ゲゲゲと遭遇⑩

冬晴れの穏やかな1日だった。

空が高くて太陽の光は柔らかく、北風はハッとするくらい冷たかった。底冷えする大地を柔らかな日差しが少しずつ温めていた。

僕は中央高速を東京に向かって走っていた。道中で富士山が見えた。穏やかな日差しを浴びて、雄大なその大山は一層に荘厳さを増しているようだった。

くっきりと澄んだコバルトブルーの空と、山頂の雪化粧が稜線をくっきりと写した。雲ひとつない空はどこまでも晴れやかだった。

カーステレオからお気に入りの音楽が流れている。時々タバコに火をつけて、窓から煙を寒空に吐き出しながら、僕は東京に向かっていた。

11時に僕は川崎についた。仕事のアポがあったからだ。なんのことはないただの短い打ち合わせだった。打ち合わせが終わると、取引先の男が飯でもどうですか?と誘ってくれた。

僕は、ありがとうございます。でもこの後は用事があるので、またお願いします。と断った。またご機会あれば是非と男は僕に言ってくれた。はい、是非。と僕は答えて次の行き先を目指した。

穏やかな1日だなとつくづく思った。冬至も過ぎてこれからは少しずつ陽も長くなっていく。本格的な寒さはまだこれからだけど、何だか、この冬晴れの空を見ていると、少しずつ世界が好転していく気がした。寒さは続けど、陽は伸びる。太陽って希望の象徴なのかな?なんてふと思ったみたりした。

昼過ぎに僕は調布についた。

そして、思い出の住宅街に入っていった。

12年前に宅配牛乳の営業で訪れた街だった。不思議なもので、色々なことを覚えていた。懐かしい家や、懐かしい公園、あの時と変わらない景色。

はっきり言ってビックリした。自分がこんなにも当時のことを覚えているだなんて、、何だか記憶が鮮明過ぎて、そこの路地を曲がれば当時の自分がいるような気がした。

そんな事を思いながら車を走らせていると、目的地の寺院に到着した。車を止めて、僕はネットで調べた通りにお寺の裏手の墓地へ向かった。

目的の場所はすぐに見つかった。

水木先生のお墓だ。閑静な住宅街にあるお寺の墓地はとてもコンパクトで、規律が守られていた。きっちりと区画整理された、それぞれの区域に墓跡もまた綺麗に並べられていた。

僕はその場所を確認すると、水場に戻って桶に水を汲み、再び墓標の前に戻った。

先客がいたのか、まだ綺麗な花がいくらか供えられていた。僕は花瓶の水を変えて、自分の持ってきた花をそこに足した。枯れた花が風に飛ばされて地面にいくらか落ちていた。ぼくはそれを片付けると、お供え物用に買った缶コーヒーを墓前に捧げて、線香に火を灯してから、手を合わせた。

空が一層と高く感じる冬の昼下がりだった。

耳を澄ますと、どこからともなく子供達の遊んでる声が聞こえてきた。冬の物悲しさがない、希望に満ちたような陽気だった。

何だか色々な憑き物が落ちていくような感覚だった。僕の記憶の中にある水木先生に、全て見透かされているような。もちろん先生は僕のことなんか覚えてるわけも無いし、僕が勝手に思い込んでることなんだけど。

ただ書籍や漫画を読み込んで、水木先生の色々な考えを知れば知るほどに僕はそれを思った。

お礼に行けなかった後悔は僕だけにあるものだし、お礼に行ったところで、それは僕だけが満足することに過ぎないのだ。でも僕はお礼には行けなかった。それも含めて僕なんだから。

今まで色々な理想に縛られたり、色々な思い込みに駆られて、自分を見失い、他人を呪詛し過ぎていたんだと僕は強く思った。

冬晴れの穏やかな日に、僕なりに入れ込んで訪れたはずな御墓参りのはずだったのに、いざ目の前にして手を合わせると、何だか意外とスッとした気持ちになってしまった。

水木先生の生前の言葉や書籍の言葉をたくさん思い出した。それらを思い出すほどに、答えはシンプルなものになっていった。

そうだ。

好きなことを一生懸命やれるほどの幸せはないんだ。

僕はそんなことを強く思った。いつか僕もこの世からいなくなる。必ずこうしてお墓に入ることになる。でも、それまでは何だってやれるのだから。「できる」か「できない」じゃなくて、「やれる」のだから。

そんなことを思えたので、僕は最後にもう一度だけ手を合わせて、お墓を後にした。

ただ別に長年の鬱積した思いや悩みが瞬時にして瓦解した訳ではない。そんな簡単なものではないのだから。

ただ、それらを抱えて前に進めばいいんだ。と僕は思ったのだ。無理に意味付けしたり、思い悩むことはないんだと。そんな晴れやかな気持ちになった。

12年越しのお礼のつもりで鼻息荒く、お参りしたお墓にて、僕はまたしても大切な何かを頂いた気がした。いや、頂いてはない。気付かされたんだ。

自分らしく好きなことを続けていけばいいんだと。そんな気持ちになる暖かな日差しの1日でした。

おわり

…これで、僕が勝手に思い焦がれて、書き続けた水木しげる先生にお会いして、サインを頂いたお話は終わりです。なんのことはないただの僕の思い込みの話でしたね。笑

今でもあのサインは僕の机に飾られています。そのサインを見るたびに、僕は大切なことを見失わずに気づけるように。

すがるのでも、思い込むのでもなく、気づける為の羅針盤として。自分の中に最初からあった大切な答えを忘れないために。



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