あの場所

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」ってアニメ知ってます?通称「あの花」ってアニメ。すごく好きで僕は何回も見てます。

このアニメで何回か出てくる言葉なんですが「あの場所で」ってすごく素敵な言葉ですよね。その「場所」で感じたことって年をとって訪れたりすると、その時のことを思い出したりして、、、場所でものを思い出すことってありますよね。あそこを通るとアレを思い出すみたいな…

そんな場所が僕にもあって、いつも何だか柄にもなくアンニュイな気分になった時はそこに行くんですよ(基本はネアカだから滅多に行かない)

それは僕の育った家から少し離れた山の上にある展望台です。ちょっと前にもツイートしましたが、僕の育った町を全て見渡せる山の上の展望台。

とっても素敵な景色じゃないですか?眼下に僕の育った町があって、その遥か向こうには雄大な北アルプスがあって、その山の稜線はどこまでも続いていて、小さい頃はあの山の向こうには何があるんだろう?っていつも考えてました。そして、離れてみると僕の育った街はなんて小さいんだろう、もっともっと広い世界に行ってみたいなといつも思っていました。

僕が一番最初にここを訪れたのは保育園の遠足でした。今の僕を知ってる人には信じられないと思いますが、幼少期の僕はとても泣き虫で、心の優しい子供でした。保育園の帰りにお母さんと手を繋いで歩いて「お母さん今日はお花摘んで帰ろうね」なんて言って、空き地でお母さんにプレゼントする花を摘んだりしてました。(まぁ、今思えば汚い空き地だったから、雑草を摘んでたんでしょうけど…)

そんな泣き虫の僕は保育園の先生にもその可愛さのあまり溺愛されてました。それは僕の初恋の相手。とってもキュートな田中先生。先生は泣き虫の僕が高い展望台に登って泣いてしまわないように手を繋いで登ってくれました。

でも僕は展望台に登ると全然怖くなくて、むしろ景色に興奮していたそうです。こらは後日、母に聞いた話ですけど、泣き虫の僕が展望台でとても楽しそうにしてたと、田中先生が母に嬉しそうに話したそうです。

僕はうっすら覚えています。大好きだった田中先生と手を繋いで展望台に登ったことを。本当に薄っすらと…

ただ展望台は、僕の小学校の学区外にあった為に、そこからしばらく僕はそこに行くことはありませんでした。

中学生になると僕はテニス部に入りました。なぜかテニスは僕にぴったり合っていたらしく僕はメキメキ上達しました。まぁ、それは置いといて。

部活を始めるとテニスコートのある体育館なんかに行く機会も増えて、僕達はチャリンコで学区外に出ることが増えました。そして、中2の大会の帰りに僕は友達に誘われてあの展望台に再び行きました。

小さい頃は歩きだったので気にしませんでしたが、チャリで登るには、けっこうな坂の上に展望台はありました。保育園児の足で1日かけて遠足に行く山は、中学生の全力チャリで15分程でした。ただあまりに勾配がキツイので登るのは至難の業でした。

山を登りきり、展望台に友達と登るとそこには懐かしいあの景色が広がっていました。

僕の育った町は田舎と都会の間のやや田舎よりで、保育園から中学までほぼメンツが一緒でした。なので、その日に展望台に登った友達もみんな保育園の時にココに登っていたのです。なんだか不思議な感覚でした。

アレお前の家だな。アレが学校で、アレが近所の墓地で、、なんて話をみんなでしました。なんか、すごくいい景色。

中学生になり、チャリで移動できる僕らはその後も何度か展望台に登りました。特に理由もなく。ただ、そこに行くと不思議と心が休まる気がして。

ここからはちょっと社会的に是認されない話なんですが、もう15年も前のことだから書きますね。

中3で部活を引退すると、田舎の中学生はすごく暇になるんですよね。それで僕の地元の中坊達はバイクに興味を持つんですよ。なんたって行動範囲が広がりますから。それで原付とか乗りたくなるんです。

僕には3つ上の兄がいて、これがまたそこそこ不良でバイクなんぞ持ってるわけなんですよ。ホンダのエヌワンって言う原付なんですけど、余裕で100kmでちゃうミッションの原付。ただ、原付とはいえミッションなんでいきなり乗れるかって言うと無理なんですよ。

それで、兄貴に運転を教わるんですよ。近所の田んぼ道で。笑 てか田舎なんで車なんか一台も通ってないし、もはや本当に公道?って感じの田舎道なんだけど。

真面目か不良かよくわからないのは必ずメット被って30km以上出さないって約束しないと兄貴は運転を教えてくれないの。それを約束したら最初後ろに乗せられて、色々説明されて、クラッチを切って右足のミッションを一速に入れて、ハンクラして…って感じ教わって。兄貴の監視下の元で田んぼの周りをぐるぐる回るの。それが楽しくて楽しくて。

学校から帰るたびに兄貴にお願いしてバイク乗らせてもらうの。これはマジでありえない話なんだけど中坊の俺が兄貴とバイクの練習してたら警察が来たことあるの、もちろん俺は免許なんかないからヤバって思うの、だって中学の制服着てるし。笑 そしたら警察のおっさんは兄弟仲よくていいなって言って帰っていったからね。田舎って怖いよね。

そんなある日、学校から帰って兄貴にバイク乗ろうって言ったら、兄貴に忙しかったらしくて断られたの。俺がそれで落ち込んでたら兄貴はバイクの鍵だけくれて、あんまり遠く行くなよってバイク貸してくれたの。

もう有頂天だよね。そこそこ運転も出来るようになってきてたし、何より今日は監視もいない、、、それで俺はその日、一人でバイク乗って展望台に行っちゃおうと不意に思ったの。そう決めたら、なんだかドキドキが止まらなかった。部活引退して、勉強嫌いだったし、刺激がない毎日が憂鬱だったから、すごいワクワクした。

それで、例の果てしない坂をバイクで登って、初めて一人で展望台に登ってみたの。

その日の景色は今でも覚えている。ちょうど夕日が北アルプスに沈む時で、山が真っ赤だった。赤く染まった自分の育った町は幻想のように綺麗で、初めて一人でバイク乗ったドキドキと、綺麗な景色の感動が合わさって、なんだかすごい冒険をクリアしたような気になってたよね。最高だった。

ただ人生はいいことばかりじゃなくて、その日調子乗って帰りが遅くなった俺は、親父にバイクで出かけたのバレて、クッソ怒られたの。そして、兄貴もとばっちりで怒られて俺はバイク禁止になったの。さらにその後、とばっちり食らってブチ切れた兄貴にも殴られて、、もう最悪だったよね。…でも景色が最高だったからいい思い出ではある。

それから高校生になると、スポーツ推薦の僕を待ってたのは部活漬けの毎日。更にそこには鬼のような顧問がいて、名門校だったから大学の推薦枠とか持ってたりで誰も反発できないの。殴る蹴るは当たり前で、マジで独裁者みたいだった。

でも若い時の僕は割と気合い入ってたからその顧問に反発したんですね。そうしたらあっさり部活クビになったけど。笑

今思ってもありえない話なんだけど、僕は高校三年の時に半分くらいしか授業出てないの。毎日遅刻するし、勝手に中抜けするし、休み時間に一服しに出かけたまま2時間帰ってこないとか当たり前。でも不思議と卒業できたの。

後日談で聞いたんだけど、やっぱり自称名門の私立だから、実績とかの問題で目を瞑ってたらしい。しかも、僕らの一個下の代から受験制度が変わって頭のいい生徒を集めだしたから、なんとか僕らのバカな代はまとめて卒業させたいって学校の思惑があったみたいで…笑

そんな緩さのおかげで僕は学校の裏まで原付で行ったり、朝パチンコ行ってから学校いったり、やりたい放題だったのに無事に?卒業できたの。

でも、こうやって書くとめちゃくちゃ不良みたいに聞こえるけど、実際はそうでもなかったと思う。
今だからわかるけど、ただひまだったの。やる事がなくて、でも根は真面目だから悪いことはしたくなかったの。友達は喧嘩だ、大麻だ、カラーギャングだとか、色々とやってたけど、僕は一切本当に悪いことはやらなかった。

酒もタバコも多少したけど、バレて大人に迷惑かけたことないし、セックスもしてたけど妊娠させたこともないし、夜遊びしても補導されたことないし、親とか学校に迷惑かけちゃダメってちゃんとわかってやってたの。まぁ別に褒められたことじゃないけど。笑

まぁ、そんなこんなで話はそれたけど、この高校生の頃に僕はしょっちゅう展望台に行くようになったの。名実共に自分のバイクも、免許ももあったし、学校はサボっても大丈夫だったし、だから週一くらいで一人で展望台にいって、MDウォークマンで音楽聴きながらタバコをボーッと吸うのが唯一の癒しになっていた。

部活クビになって暇だし、親は破産して家は荒れてたし、つるむ友達はバカすぎてたまにシャレにならない悪いことしようとするし、、今思えば、それらと距離を取るために、どうしても一人の時間は必要だった気もする。

一人で展望台でボーっとタバコ吸ってると、友達とか、彼女からメール来るの。今日は学校こないの?とか、遊ぼうよ!とか、今どこ?とか、、それを全部無視して、自分の生まれた町を眺めて、山を眺めて、空をぼーっと見て、、ずっとポケーッとするの、そうすると自分の中のわだかまりとかモヤモヤが少しずつ抜けていく気がして、なんかリセットされる気がして。

その頃のエピソードで、俺がいつもの展望台ポジションであぐらかいて、MD聴きながらタバコ吸ってたら、誰かが階段を上がってくる気配がしたの。別に公共の場所だから、たまにカップルとかも来るし、特段気にしなかったんだけど、そしたら初老のおっさんが一人で上がってきたの。

おっさんは一人でウロウロと景色眺めてたから、俺は無視してたんだけど、そうしたら急に話しかけてきたの。

当時の僕は見た目はアレだったけど、バイトもしてたし、愛想は良かったから軽く会話したんだけど、おっさんがすごい俺を気に入り出して、、平日の昼間に制服着てタバコ吸ってる高校生なんて、普通は引かれるのに、おっさんは妙に楽しげで。しまいには、タバコ一本くれとか言い出して、、まぁあげたけど、そしたらお礼にお菓子くれて、、、まぁ食ったけど。笑

そんな変な出会い?もあったりで、、

そんな感じで高校生くらいの時から、その展望台は自分一人の場所になってたの。なんか誰にも教えたくないっていうか、誰にも踏み込んで欲しくない場所で。でも、何度か女の子といった事もあったりする。初めては高校の時に長く付き合った彼女と、でもこれはすごく後悔していて、、

別に悪い思い出がある訳じゃないんだけど、ここは大切な自分の場所だから。人生の節目とか疲れた時に来る場所だから。そういう時に別れた女を思い出したくないなって思ったの。

当時の彼女と別れた後に、ここに来るたびに薄らと思い出すのがなんか鬱陶しくて。嫌じゃないんだけど、なんかね。なんかそういうことを、この場所で思い出しちゃう自分が嫌だなって思ったの。

でも人間の決意なんて脆弱なもので、なんだかんだで、その後の人生で何度か他の女の子とも来ちゃうんだけどね。でも不思議と嫌じゃないなってことも増えたんだよね。月日が経って僕の考え方とか感受性が変わったのか、一緒に行った子が良かったのか、どっちかわからないけど、他人越しに見た僕の生まれた町は、全然僕の町と関係のない子だったけど、すごく絵になるなって思えたりもするの。

まぁ自分の好きな場所に好きな子と行けば、自然とそうなるのかも知れないけど。

…気づけば僕も30歳を超えて、そろそろ人生の折り返し地点。本当に時間なんてあっという間に過ぎていった。

あの日、保育園の田中先生と見た景色は遠い過去であって、あれから街の景色も随分と変わっているはず。でも不思議と、僕は展望台に登るといつも同じ景色を眺めている気になる。

僕が産まれて育った街。

そして、目を凝らすと幼い頃の僕が昔の家の近所で遊んでいたり、中学校の帰り道にコンビニの前にたむろっていたり、免許取立ての僕が当時の彼女とドライブしてるのが見える気がする。そんな懐かしさを強烈に感じる場所。

もちろんそんなことはないし、そこから見えるのは少しずつ変わっていって、今や当時と豹変した故郷なんだけど、それでも僕は何か説明しがたい懐かしさを感じる。そして、そこにはいつも僕自身がいるような気がする。


なぜかこのnoteは今年の一月にここまで書いて、下書きボックスに保存されていた。なんでだろ?

そして、なぜそんなものを今開いて読んで、そのまま公開しようかと思ったかというと、、今の僕は強烈に「あの場所」に行きたいからだ。

今、僕は遥か遠くの沖縄にいる。大学の友達四人と旅行に来ていて、とても楽しく、充実した時間を過ごしている。

それでも、帰ったらすぐに僕はあの場所に行くと思う。そして、展望台の階段を登り自分の生まれた町を眺めると思う。それは、何故だかわからない。だけど、そうしないと僕はいけない気すらしている。

沖縄を離れるのは名残惜しいし、来週からまた喧騒の日々が始まるのは憂鬱でしかない。それでも、そんな雑多な日々の中に戻ってでも、僕はあの場所から、あの頃と、これからと、そして今の自分を眺めたいのだと思う。

何事にも終わりと始まりは常にある。でも、あの場所だけはいつもその外側にある気がする。だから、僕はまたあの場所へ帰り、そして、変わらない幻想を眺めていたいのだと思う。

おわり

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