ゲゲゲと遭遇①

2018年7月に書いたブログです。


明日またブログ書きますって自分で言ってたのに2週間も放置してしまいました。。
まぁ別にこれでお金もらってるわけでもないし、僕のブログを楽しみにしてる人なんていないから問題ないんですけどね。ただ言ったことをやらない性格ってのは治したいとは思ってるんですよ。言葉を生業にしたいと思ってる人間の言葉が軽いってのは致命的だと思うので、。笑

それでは、11年前にたまたまピンポン押した家が水木しげる先生のご自宅で、その時にサインを書いていただいた僕の不思議なエピソードについて書きたいと思います。。

これがサイン

まず、この話を書くにあたって、今日は当時の僕の状況から書きたいと思います。「は?お前の話なんかどうでもいいわバカ。早く水木しげると会った話を書け!」と至極まっとうなご意見もあるとは思いますが、僕の中では当時の先の見えない状況で先生にお会いできたことで、すごく救われたので、ここは書かずにはいられないのですよ。

僕のブログを読んでくださる皆様は仕事も、お金も、歯もないけど、暇だけはたくさんあると思うので、少しだけ我慢して読んで頂ければ嬉しいです。

それでは、、僕が20歳で何のあてもなく東京に出て来たお話を始めます。

忘れもしない20歳の時の6月に僕は上京しました。荷物は布団と冷蔵庫と洗濯機とコタツ、そして長野で貯めた100万円の貯金。右も左も分からないまま、知り合いも誰もいない東京に僕は降り立ちました。

当時長野で同棲してた彼女を置いて、不仲になってた親と離れ、周りの友達の楽しそうなキャンパスライフとは似ても似つかない孤独な上京でした。

なんで上京したのかってのは今でも謎です。ただ日常のマンネリに辟易して、何もできずにいる自分に嫌気がさして、あと少し矢沢あいのNANAって漫画に触発されたんだと思います。とにかくこのまま長野にいたら、自分には予想できる人生しか待っていないように感じて、その閉塞感に居ても立っても居られなくて上京したのだと思います。

ただ当時の長野の生活に不満があったわけではないんですよ。当時の僕は運送屋でバイトをしてました。僕は本当に働き者なので毎朝4時半からトラックの荷下ろしをやって、そこから引っ越しや家具配送の仕事に行ってと、馬車馬のように働いてました。まだ若かったので正社員の誘いはなんとなく断りながらアルバイトで月に30万以上稼いでました。

周りからは公務員試験や正社員を勧められていましたが、なんだかそういったものに収まってしまう自分を認めたくなかったのかも知れません。

今思えば、自分はもっとやれるはずだっていう根拠のない自信と、所詮自分は何者にもなれてないっていう悲しい現実から目をそらすために何となくバイトのままでいた様な気がします。

あと当時僕には一緒に暮らしてた同じ年の彼女がいました。彼女はとても可愛いくて、僕と彼女はいつも一緒でした。

僕が仕事に行くために朝四時に起きると、必ず一緒に起きて僕を見送ってくれて、僕が夜帰るとご飯を作って待っていて、二人でご飯を食べて、二人で片付けて、二人でお風呂に入って、お互いの髪を乾かし合ったり、とにかく僕と彼女は全てのことを二人でやることが当たり前になっていました。

僕は高校の頃はそこそこ女遊びをしてましたが、その子と付き合ってる時は全く他の女の子とは遊びませんでした。なんだかその子と一緒にいることが当たり前のことになり過ぎていて、浮気はおろか、他の子と喋ろうとも思わないほど僕と彼女は強く繋がっていました。

そしてなぜが彼女の家族まで僕を家族の様に受け入れてくれていて、彼女の実家にもしょっちゅう泊まっていました。彼女の実家に行くと当たり前のように僕の食器が用意されていて、お風呂から出ると彼女のお母さんが買ってきた僕のパンツと寝間着が用意されていました。そして彼女の家族と一緒にリビングでバラエティ番組を見て、寝るときは彼女の部屋で二人で寝る。今考えると異常なんですけど、当時の僕たちにとってはこれはすごく当たり前のことでした。

なんだか好きとか嫌いを通り越して、僕らは多感な時期を一緒に過ごして、社会から逃れる様に二人の世界を作っていたんだと思います。二人でいれば成立する世界に没頭した僕達は気づかないうちに浮世離れしていたと思います。そもそも何もかも他人と一緒なんてことは本来ありえないはずなんです。でも当時の僕らは一切の喧嘩をすることもなく、お互いの全てを受け入れることが当たり前になっていました。そこに好きとか嫌いとか、幸せとか不幸って選択肢すらない、全くの当たり前になっていました。

なんだかお互いの身体を共有し合って、お互いの価値観を擦り合わせていって 、お互いがお互いの為に生きるといいますか、、まぁ当時の僕らはまだ擦れてもいなかったので、善意だけでお互いを想い合ってたんだと思います。

ただ先ほども言った通り、これは異常な状態だったんだと思います。僕らがいくら二人の世界を大切にし合って、浮世離れして二人の時間を過ごしていても、テレビをつければ世相があって、本を開けば知識があって、一歩外に出れば世の中があったのですから。。

僕はこの頃から何かを求める様に本を読む様になりました。当時は三島由紀夫、川端康成、太宰治、遠藤周作なんかを好んで読んでいました。

なんだか知らないことが多すぎることが急に怖くなって僕は本を読み始めました。ぶっちゃけ僕は20歳になるまで、ほとんど本を読まずに生きてきましたが、この頃に急にそれを求め出したのです。そして、本はいつも僕に素晴らしい物を与えてくれました。知識、語彙力、教養、想像力、表現力、言い出したらきりがありません。僕は不思議と本の魅力にハマっていったのです。そして、それと同時に自分の生きる中でやりたいことが見つかったのです。

僕は【世界の全てを一つの作品として書きたい】と思う様になりました。

ポカンですよね?何それって思いますよね。でも20歳の僕は本当にそれを心から思ったのです。何冊かの本を読んでいるうちに素晴らしい作品ってのは世界の全ての要素が入ってるってことに気付いたのです。

我ながらちょっとわかりにくい表現だと思うので、もう少し分かりやすい例で書きますね。

例えばテレビもない世界の果ての地に生まれた部族の子がいたとします。その子はその部族の村で一生を終えました。その場合の彼の世界はその村と彼の見た景色だけなんです。これが彼の世界なんです。

ところがそこに旅行者が訪れて彼に世界の地図や本を渡したとします。彼はまだ見ぬ世界に思い焦がれて、いつかそこに行きたいと思って世界を想像する。この場合は彼のイマジネーションも含めて、未だ見ぬ思い焦がれた地も彼にとっての世界なんです。彼が世界の全てを書くならば、思い焦がれた世界の裏側すら書けるのです。

さらに、もし彼がまだ見ぬ地に行って、そこで実際に見たり感じたりした場合は世界はもっと広がります。実際に行くことで、本や写真と違った何かを感じるかも知れません。それもまた彼の世界なのです。

自分なりに分かりやすく説明したつもりですが、もしよく分からなかったらごめんなさい。つまり、世界とは人それぞれで解釈が変わるのですよね。世界ってのは個人的な概念といいますか、共有できてる様で共有できないものだと思うんですよ。だから自分の世界の全てを作品にしたいなって20歳の僕は強く思ったんですよ。

そして、さらに自分の知り得る世界をもっと広げて、誰も生きたことのない自分だけの世界にたどり着いて、それを一つの文芸作品として、表出したいんです。

物語とか、小説とか、エンターテイメント作品ではなくて、自分の全てを出し切る、言ってしまえば自己満足なんですけど、一人の人間として向かい合って、取り繕うことのない己の全てを一つの作品にしたい。それが出来たら自分の人生は満足だって心から思ったのです。

そして、その雷の様な概念が頭に浮かんでしまってから僕は、彼女と過ごす家がなんだか終着地から出発地に変わってしまったんだすよね。ここから俺はもう一度飛び立たなきゃいけないって思ってしまったのですよね。

…それからの別れ話はだいぶこじれました。烈火の如く泣き叫んだ彼女の姿は僕の一生の戒めとなりました。僕たちは純粋過ぎたのかもしれません。

取り繕ったり、言い回しを変えたり、もう少しクレバーに立ち回っていれば、悪戯に僕達は傷つけ合わずに済んだかもしれません。お互いを共有しすぎたせいで、お互いが引き裂かれた瞬間に足りない人間になってしまった気がします。つがいとして世間からはぐれて暮らしてた僕達は酷い手傷を負って再び世間に帰っていくことになりました。

風の噂できいたのですが、彼女は僕と別れてからすぐに他の人と付き合い結婚したそうです。彼女の愛し方は独特でした。そして、今も幸せに暮らしてる様です。それを聞いた時には寂しさと嬉しさの両方を感じましたが、少しだけ僕も前を向けた気がしました。

まぁその話は置いといて、

とにかく僕はその年の6月に、全てをかなぐり捨てて上京したのです。彼女も、友達も、仕事も、何もかもを捨てて東京に向かったのです。

そしてその2ヶ月後に水木先生にお会いすることになるのですが、、、この2ヶ月で僕は全てをなくして、自身も夢も何もかも諦めかけてしまいます。

東京ってのは辛いところでした。そして、一人で生きるってことは簡単ではなかったんです、、、

…なんだかんだと長々と書いてたらこんな時間になってしまった。明日も仕事なのでこの続きはまた今度にしましょう。予定としては、次回が東京の闇編、その次が水木先生から貰ったもの編って感じを予定しています。

ここまで、こんな長々しいだけの文章を読んでいただきありがとうございます。それでは、おやすみなさい。

おわり

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