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人はなぜ、明日会社に行けるのか?(オチなし)

「明日は月曜日だ。会社に行く日だ。」
ということを、人は忘れないものだろう。日曜日の午後には明日のことを考えているし、月曜日の朝になっても覚えている。正午に起きて、夕方になって、あるいは火曜日の朝くらいに「あ!昨日仕事だった!」とはならない。

なぜ覚えていられるのだろうか。覚えていてなお、何故自然と出かける支度をして、正しいルートを通って会社に行くことができるのだろうか。

会社と契約しているからというのがまず初めに思い浮かんだ。会社と契約していて、それを破ると罰則がある、だから会社に行く。というのは一見正しそうだが、罰則があるからな〜〜と思って会社に渋々行っているわけではない。

他には「生活のため」というのがあるだろう。働かなければ給料が出ない。だから働きにいく。ある意味では、働かないと食べられないという罰が待っているとも言える。

社会的にはそういう理由でもいいのかもしれないが、もっと機能的に「なぜ明日の朝会社に行く」ということを覚えていられるのだろうか。あるいはそう思えるのだろうか。もっと本質的にはどうなのだろうか。

人間は前に進んで生きている。次に何をするかを考える生き物だからというのを仮説として考えた。明日会社に行こうが、行かずに家でダラダラしようが、未来のことを考えてそれを行動に移すのは人間としての本能なのではないか。
ではなぜそのような機能が備わっているかというと、そういうものだから以外の答えが思いつかなかった。

やりたいことややるべきことは人それぞれであるにせよ、明日は〇〇すると考えてそれを行動できる人間というのは、特殊な生き物だなと改めて思った次第である。


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