吉報
とても長い期間、やっていることが報われていないような気持ちで悶々としていたところに、吉報があった。
嬉しいというよりも、報われたという気持ちが先に来る。
“嫌われる勇気”というよりもただただ自分のやり方を信じて邁進してきた。
つまり、味方がいなかった。
いなかったというよりもどうせわからなくても良いだろうという気持ちがあった。
時代が追いついてきてくれて、何かふわっとした価値観から、地に足がついたという部分が急激にクローズアップされてきたからというのはあると思う。
とはいえ、薄氷を踏むやり方には変わりがない。さぁ、これからだ。