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Cift #7 ~カネがない~

■メンバーのお財布事情

突然だが、Ciftの拠点である渋谷キャストは、それなりのお家賃だ。(ただし新築・渋谷駅近で考えるとむしろお得かもしれないが。)さらにCiftのメンバーの多くは多拠点生活者。つまり家が2つ以上ある人が多い。普通に考えたら家賃もかさむ。移動費もかさむ。そんなライフスタイルを選択しているCiftのメンバーとやらはさぞかし儲かっていることであろう。

しかし実際は人によってかなり事情が違う。

もちろん一定以上の収入があり、だからこそ金銭に極端に縛られず、このCiftの世界観スタイルを選択する人もいる。またもともと東京以外が拠点&東京に仕事でよく来ていた人にとっては、Ciftはある種ホテル代わりなのであまり無理がない。一つの部屋を複数人でルームシェアする契約もあるのでさらに無理がない。
ただ一方でこのようなスタイルを選択するうえで現状の収入が足かせになっている人も存在するのは事実だ。それで入居を諦めた人がいたかもしれない。あるいは自身の所属する企業を味方につけサポートを受けることでようやくなんとか入居できた人もいる(私もその一人)。また住み始めたけど金銭的に厳しい状況になってきて、Cift的世界観と現実のはざまで悩んでいる人もいる。資本主義は間もなく限界!と謳い、ある種のオルタナティブとして旗を掲げなら、その実、「カネがない」と気を揉む姿は、20世紀的資本主義に屈しているようでどこか滑稽に映る。

■カネに悩まない=自立?

以前のエントリーでCift入居に際しては一定のプロセスがあることに触れた。そのうちの一つにコンセプターとの対話があるのだが、そこで問われることの多かった質問がある。

「あなたは自立しているか?」

ここで言う自立とは、自己実現のフェーズを終了し、“社会実現”に意識を向けられている状態とでも言えよう。この状態を言い換えると「様々な面で余裕・余白があること」だ。たとえば様々な事象に対して一度受容し、解釈し、反応できる精神的余裕。たとえば様々な事象に対して応じたり、向き合うための時間的余裕。そして同じように、様々な事象に対して行うアクションを妨げない経済的余裕が挙げられる。
では実際にCiftの全員が「自立」できているかと言われると怪しいところがある。少なくとも会社の支援を受けて入居している私は完全な「自立」ではない。他にも人によっては精神的余裕がないかもしれないし、時間的余裕がないかもしれない。完全な「自立」は難しいけれども、それでもこのCiftの世界観に共感し、未熟ながらもなんとか実現していこうという集団というのが今のCiftの実態に思える。
(そしてここで言う「自立」という言葉の凶暴性についてもいつか触れてみたい)

■逃げない

ここまで触れてきたように、カネ一つとってもCiftの目指す世界観と現実の間にはまだまだギャップがある。どんなに素晴らしい理念を掲げようとも、それを体現しているのは一部の20世紀的資本主義の勝者(=カネ持ち)であり、残るは想いだけが先行して実態が伴わず「自立」できていない人たちだ。そんなCiftはなにか一つ間違えればすぐにでも崩れ去ってしまう脆い虚像にも見える。

それでもこのCiftに魅力を感じずにはいられない自分がいる。

それは20世紀的資本主義のルールに完全には飲み込まれず、たとえば「カネがない」というある種の恐怖と戦いながら挑戦し続けているからだろう。本当に怖ければ多拠点生活なんてやめ、既存のルールに従って外貨を稼ぎにいけば良い。Ciftのメンバーはその気になれば問題なく稼げる力を持っている人たちばかりだから。そう、逃げるのは簡単なのだ。しかしそうはせず挑戦し続ける。なぜなら逃げた先の生き方が心地よくない(良心に従っていない)ことを彼らは知っているからだ。

例えばクラウドファンディングのように、世の中にはうまく20世紀的資本主義に折り合いを付けながら新しい価値観を広めようとしているサービスはすでにある。しかしCiftは色々な前提をすっ飛ばして、今日もドラスティックに実験という名の暮らしを続けているのだ。

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