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空気を読むこととデザインすること

完全に私の持論だけども、デザインすることと空気を読むことは似ているなぁ、と昔から思う。

前職に在籍していた時、採用委員会というものがあった。
私はそこで少し採用のことをしていたので、当時は学生さんと話す機会があり、(彼らはデザイナー志望ではなかったが)
よく「どんな人がデザイナーに向いていると思いますか?」と質問をされていた。

私はいつも「空気を読むのが得意なら、デザイナーは向いていると思います」と答えていて、
上司にも「あまりそう答える人はいない気がするけど、どの辺がそう思うの?」と聞かれたのだけど、当時はなぜそう思うのかうまく説明ができず、自分でもよく分かっていなかった。

私は昔から友人でも恋人でも、付き合う相手を意識的にはあまり選んでこなかったし、今もそういう性格のままだと思う。
振り返ってみても、縁が深かった人のタイプは(学生時代のグループなども)みんなバラバラだ。

私は人が喜ぶのがやっぱり好きだ。
相手のツボを掴んで見つけることが好きだ。
人の気持ちは時間と共に変わるので、この人はこういう人だ!と決めつけてしまうのは良くないけれども、
その時だけだとしても、その人ならではのツボが分かって仲良くなれたりすると、これだから人間ってやめられないよなぁと思ったりする。(?)

たとえば、面白いことを言う相手なら同じ方向性で同じ温度感の面白さを考えて返してみたりするが、面白いというのもさまざまで。

簡単にいうと、「この人はこの空気の時、こんな言い方で言うと笑ってくれる!」という特徴や癖を一度掴めると、その人にとって面白い人間でいられる(ような気がする)。

人によって違うわずかな隙間に手が届いて、同じ面白さを分かち合えると、一緒に楽しめるのだ。

今でもうまく言えないけれども、こういうところがデザインすることに似ているな〜と感じる。

デザインも、限られた情報を受け取って
「こんな状況でこんな雰囲気のデザインを求めているのかもしれない」と届けたい人に向けて予測しながら出力する行為なので、多分わたしはそういうことが言いたいのだと思う。

デザインしたものを見る人は一人ではないので、そこは上記に書いた人間関係とは大きく違う点ではあるけれども、
お客さんにもよく「状況を読んで捉える力がすごい」という内容の言葉でよく褒めていただけるので、ここは引き続き伸ばしていきたいところ。

わたしが得意なデザインの種類を特に決めていないのは、
純粋に本当に色んなデザインのことを考えるのが好きということもあるけれど、
いつでもこういう考え方で作れていると、引き出しが無限大に増えると無意識に感じているからかもしれない。

以上、ふと気づいた突然のぼやき記事でした。。


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