だれ?らじへ~番組終了に寄せるメッセージ~② だれ?らじの始まり(2016年)
①の続き。ミリPだった自分が野村香菜子さん、駒形友梨さん、角元明日香さんの3人を知り、2016年6月7日を迎えたというところから話は始まる。
2016年6月7日 第1回配信
第1回配信日を今でも覚えているというのは、アイマス10thのBDフラゲ日だったというのもあるが、やはり第1回の内容が衝撃的だったからに他ならない。当時自分は大学生で、授業こそあれ13時の配信開始後そこまで時間はかからず聴けたと記憶している。
少し話は戻る。①でも書いたが、自分はだれ?らじ以前にいくつかの番組を聴いていた。デレマスの新情報を仕入れる手段としてデレラジを聴いていたり、ASに鞍替えしてからはアイマスタジオの超人的な掛け合いに酔いしれ、その後中村繪里子さんがやっているラジオが他にもあると知りモモノキファイブやごぶごぶちゃん☆を聴いたりしていた。その他アイステやアイマCHUやもじゃ先輩とさくら君なんかを聴いていたが、今思えばこれらの番組は「作り手サイドによってかなりコントロールされている番組」だった。具体的にはパーソナリティにラジオ巧者がいたり、作品タイアップは番組のフォーマットがきっちり決まっていたり。
正直なところ、「こんなに自由な番組があっていいのか…?」という困惑が第1回を聴いての感想だった。なおこの場合の自由は「ラジオ慣れしたパーソナリティが越えてはいけないラインを意識した上ではっちゃける」というものではなく、「交通ルールのよくわからない人が車のハンドルを握りよくわからないままアクセルを踏んでいる」ような危うい自由である。その点で言えば最初期のコーナー「ラジオなめんなっ」も対リスナーという意味でアクセルを踏みすぎちゃった気がしなくもなく…
ともあれだれ?らじのトークは当時の自分にとっては新鮮だったし、大阪スペクランドのネタとは違った種類の面白さがあった。第1回を聴いて、次回も気になるし必ず聴こう!と思ったことが4年半近くも自分の人生に影響していることに今更ながら驚いてしまう。
人生初の公開録音、人生初の学祭トークショー、人生初のメール採用
第1回を聴いて、自分のように「この番組放っておけないぞ」と思った人はそれなりにいたようで、毎回メールもそれなりの数が集まり、マイナビニュースに取り上げられたりと上々の立ち上がりだったと言える。音泉の運営会社であるタブリエ・コミュニケーションズサイドの動きも迅速で、6月29日には秋葉原の13式催事空間で番組初イベントを開催している。個人的には現地参加がかなわなかった(CD発売イベントの昼夜公演を片方欠席ということはあったが、番組名を冠したイベントに一切参加できていないのはこの時だけ)ため、ニコニコ生放送で見たことを覚えている。
同年9月3日、現地に行けず悔しい思いをした自分に早々のリベンジの機会がやってきた。「だれ?らじ」「モグコミ」合同公開録音である。
恥ずかしながら、このイベントに参加するまで「人の話にお金を払う」という経験が無かった。ライブにはちょくちょく足を運んでいたし、コスパなんて野暮なことを言うつもりもないが、その一方で「チケット代に見合うトークが聴けるのだろうか」という興味を持って会場に向かったことを覚えている。
最早内容まで詳しく思い返すことはできないが、このイベントを機に番組以外のトークショーや朗読劇など「ライブ以外のイベント」にも参加するようになったことがEventernoteの記録からもわかる。だれ?らじのおかげで足を向ける気のなかったイベントに興味を持てたと言えるかもしれない。
合同公開録音の興奮冷めやらぬ中、2か月弱でやってきた聖学院大学ヴェリタス祭トークショーにも大学の授業をすっぽかして足を運んでいる。サークルにも入らず自分の大学の学祭ですら足を運ばない(のちに声優トークショーに参加するため学祭期間のキャンパスに足を踏み入れることになる)オタクだったので、大学の学園祭に足を運ぶというのも(厳密には番組イベントではないが)だれ?らじきっかけでの初体験であった。
初体験つながりで最後にもう一つ。ラジオや関連イベントでメールが初めて採用されたのも、2016年11月19日<音泉>文化祭2016「だれ?らじ」ステージだった。それまでいくつかの番組にはメールを送っていたし、だれ?らじにも早々にメールを送るようにはなったものの、勝手がわかっていなかったのもあり採用されず。この時もテーマ「だれ?らじに求めるもの」というものに合わせて、思ったことを正直にダメ元で送っていたところ読み上げられて大変驚き喜んだのを覚えている。まあ客席がめちゃめちゃ暗くて(元中学校の体育館なので仕方ない)、手を挙げたものの3人からは見えなかったと思うが。
現在だれ?らじ含め色々な番組にメールを送っているが、この時の気持ちは今でも忘れられないし、また体験したいと思うからこそ無い知恵を振り絞って画面と向き合うのだ。
本当は2017年までで1記事にするつもりだったが、2000字を超えてしまったため2016年までの振り返りで一区切りとする。配信されている番組の内容そのものにも言及したいが、そこまで手を回すとキリがなくなるのでやめておく。この頃の配信はラジオCDにも収録されているし。
思い入れがあることの証左でもあるのだが、次からはもうちょっとテンポよく振り返っていきたい……
③に続く