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とおい家族 ー「Voyager is with you」

 大石一貴の個展「Voyager is with you」を見に行った。1階には壁掛けの彫刻が展示され、2階は暗室となっている。ボイジャーと聞いて、宇宙船の話を思い浮かべた。アメリカで行われたボイジャー計画は、wikiによれば、「太陽系の外惑星および太陽系外の探査計画」らしい。その宇宙船が象られた粘土の彫刻が天井からぶら下げられ、まず、それに目がいく。近づいてみると、奥に粘土の映像があり、光のハレーションの様なものが残像として、粘土から何層にも連なっている。よく見ると後方にカメラが設置されており、撮影された映像がモニターに流れていると気づく。この身体感覚は、ダン・グレアムによる《向き合った鏡と時差を持つヴィデオ・モニター》(1974)に近い。グレアムの作品は、2台の鏡とモニターが展示室に置かれ、モニターを見ると何層にも連なる鑑賞者が投影されている。そのとき空間の歪み、破れを意味している作品だと考えさせられる作品だ。大石の作品はそれと異なり「何者かが見ている」という関係について意識させる。それが映像というメディアやカメラの動きについての展示であることを更に考えさせるのは、同じフロアにある台座の上に置かれた束になったチラシである。天井にはモニターが吊るされ、カメラで撮影した映像が流れている。その映像は、撮影者が手持ちで歩いた形跡が伝わる映像となっていた。そして、その真下に置かれたチラシには、カメラワークの動きのあるエッセイとボイジャーについての話が書かれている。それを読むに、光から塑像される、その方法についての展開だったのではないのかと思う。話は変わるが、思想家、バックミンスター・フラーが唱えた宇宙船地球号は、地球に住まう我々が乗組員であると、意識させる造語であり、ボイジャー側の視点ではないのかとも考えてしまう。これは、ランド・アートを鑑賞する際の身体感覚について紐づければ分かる。我々はロバート・スミッソンの《スパイラルジェティ》(1970)を現地で歩いて回ることはできるが、その土地が螺旋であるという方法は限られる。ヘリコプターを持っていれば螺旋を眺めることはできるが、Googleマップで眺める方法であれば、未知なる誰かが撮影した画像を頼りに螺旋を知る。そのみる/みられるの関係がカメラによるものだとしたら、それは何か。その疑問に対し、束のチラシに書かれた「家族」という単語が連動する。宇宙船地球号もある種、乗組員としての共同性を考えてしまい、チラシの「家族」という単語は示唆的に示していた。だとするならば、カメラが収める家族写真とは、カメラが集合させたのだろうか。光の集積と家族写真の集合。いつの間にか、カメラによって成される時間について考えさせられていた。

「Voyager is with you」(Art Center Ongoing)
2023/7/5 - 7/16


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