優しくなりたい

 誰にでも優しい人は誰に対しても興味がない人なのだ、ということを実感する出来事があったので覚え書き。


 Twitterにも少し書いたのだけど(「『これTwitterでも言ったんだけどさ~』が枕詞になるのやめたい」って話をちょうど今日したのに、また同じこと言ってるね)、こないだのゼミでちょっとした炎上(?)事件があった。

 以下概要。私が行ったジェンダー表現に関する発表に対し、学生Zくんが(とあるフェミニストに対し)「ああいう人たちって“ホンモノ”ですよね」と揶揄するコメントを残した。私たちのゼミはフェミニズムに強い関心がある学生が多いこともあり、このコメントには抗議が殺到。Twitterでよく見るようなフェミvsアンチフェミのレスバに発展し、結果的にZくんが袋叩きにされる展開になった。それが3日前の話。

 そして今日、レスバの舞台となったゼミ掲示板を見てみると、Zくんから新しいコメントが書き込まれているのに気付いた。内容は「匿名で自分の意見言って相手に攻撃するようなキモいやつは責任感のないクソ野郎だから黙って死ね」。明らかに、自分を批判したフェミ側の学生に対する暴言だった。念のため反論しておくと、①うちのゼミ掲示板は匿名前提(Zくんは自己判断で署名していた)②客観的に見ても、フェミ側の学生は論理的かつ冷静に批判していた(攻撃的だったのはむしろZくん)というわけで、そもそもこのコメント自体に筋が通っていないし、なによりどう考えてもゼミにふさわしい物言いではない。

 うーん、と少し考えて、私はゼミの教授に報告することにした。
 おそらくこのコメントは私だけが見つけていて、私が言わなければ今後も発覚しないであろう出来事だったけれど、「こんなやべーやつに好き勝手言わせてんの癪だな~」という気持ちで言った。チクったとも言える。

 幸い教授はすぐに反応をくれて、今後の対応について私と話し合ってくれたのだけど、そのやりとりのなかでこんなことを言われた。

 「一番いやな思いをしているのは(南)さんなのに、後輩を慮ってくれてありがとう。Zくんにも(南)さんの話を伝えたところ、優しいですね、と感謝していました」

 もちろんこれは「私ってこんなこと言われるくらい優しいんです!」という自慢ではない。ここで初めて気付いたのだ。興味のない人には優しい(と思われるような)目線を向けられる、ということに。
 

 その実、私は全然いやな思いなんてしてなかった。まあいやかいやじゃないかで言ったらいやだけど、別にショックというほどでもなかった。私は普段ものすごく傷つきやすいけれど、今回は本当にたいしたことなかった。

 その理由ってたぶん、私がZくんに対して全然死ぬほどまったく興味がないからだと思う。

 私はこの1年半ほどゼミにほとんど顔を出していなかったので、1学年下のZくんのことを名前しか知らなかったし、話したのも初めてだった。つまりはファーストインプレッションがあのアンチフェミ発言だったのだ。
 そういうわけで、私のZくんへの印象は「やべーやつ」で固まってしまった。まずミソジニー拗らせてる時点で理解できない。ゼミでフェミ煽りするのも理解できない。掲示板に暴言書き込むのも理解できない。これだけやべーやつってことは私とは違う人種なので真面目に対応しても無駄。絶対に理解しあえない。彼がどれだけやべーやつでも私には関係ないし本当にどうでもいい。

 そうやって一歩引いて見てみると、彼の状況を客観的に観察することができた。どうでもいい彼の思想や人格を無視すると、そこに浮かんでくるのは「他の学生と相容れない思想と軽はずみな発言のために、全ゼミ生の前で一人が糾弾されている」という構図だった。
 そしてそういう構図づくりの一端を担ってしまったのは、まちがいなく私の彼への質問だった。私はあの“ホンモノ発言”を見た時点で真面目に彼の思想を取り扱う気をなくしていたので、むしろメタ的な部分に興味がわいて、「真面目な議論ではなく揶揄をしたくなるのってどうしてだとご自身では思いますか?Twitterにいるアンチフェミもそうですよね、卒論の参考にしたいので教えてください!」という、本人にとっては煽りとしか思えないであろう質問を興味津々で聞いてしまった。
 それに罪悪感を覚えているんです、申し訳ない、という本心を教授に話したところ、前述の「後輩を慮っていて優しい」という誉め言葉に繋がってしまったのだ。

 
 Zくんに対して興味も期待もないからこそ、私はZくんの立場に同情することができた。もし私がZくんと親しかったなら、「そんなことを言うなんて信じられない、非難されて当たり前」と憤っていただろう。

 他人に興味のない人は、他人に期待をしないから怒らないし、優しくできる。巷にあふれる言説だけれど、23歳になってようやく実感を持つことができた。今までぜんぜんわからなかった。こういうことなんですね。

 私はかかわった人に入れ込みすぎるから、Zくんくらい関係の薄い人に対してでないと「理解できないし話しても無駄だしどうでもいいや」ができない。客観的に見られない。私と仲良くしてくれているあなたのことをわかりたい、私のこともわかってほしい、私たちならそれができるでしょ、と期待してしまう。本当はあなたは私のこと、どうでもいいのに。

 「他人に期待をしない」というのはここ数年掲げている私の努力目標なんだけど、なかなか難しい。他人のことを大切に思いたい、という気持ちから期待を切り離すことがまだできないし、裏切られてもいいやと思えるほど大切に思える相手は少ない。私が勝手に期待しているだけなのに、私があなたを大切に思うほどにはあなたは私を大切に思っていないということがいつまでたっても苦しいね。
 
 いつも私のことを全肯定してくれる優しい友人は、過度に期待をしてしまう私の欠点すら、私の執着すら、他の人には持てないものだと褒めてくれる。その優しさだって、きっと私に期待をしていないからこそ持てるものだと思う。だけどたぶん、100%うそってわけでもないから、今のままで上手に優しくなれるように、なんか、どうにかしたいですね。

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