オーディション番組こわい

大前提おもしろくて、それがまたこわいんだけど。


PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLSを観ている。
通称日プというらしい。
101人の練習生が歌とダンスのトレーニングやテストに励む様子を放送し、視聴者の投票によってデビューするメンバー11人を決める、という仕組みの、いわゆるオーディション番組だ(サバ番っていうらしいので以下そのように表記します)。

わたしはこういうコンテンツには馴染みがなくて、サバ番をリアタイするのはこれがはじめてになる。
というかそもそも生まれてこのかたバラエティ番組の類をろくに観たことがないし、YouTubeなんかもほとんど開かないので、「現実を切り取って(編集して)エンタメ化する」というコンテンツにちゃんと対峙するのがはじめてといえるかもしれない。

で、いまちょうど2話を観終えて、ついでに今日の投票も終えたところで気付いた。

サバ番の構造ってグロすぎる。

「視聴者の投票によってデビューメンバーを決める」ということがこんなにおそろしいことだったなんて、はじめて知った。


1話を観終えたあと、日プについてパブサするなかで頻繁に”悪編”というワードを見かけた。
調べると「悪魔の編集」の略らしく、特定の練習生に悪印象を与えるような悪意のある演出のことをいうそうだ。

サバ番玄人のみなさまがあまりにも悪編をおそれているのを見て最初はいやいやそんなと思っていたけれど、2話まで観てようやく実感した。

悪編を含めて、「編集」というものがサバ番に及ぼす影響というのはとてつもなく大きいのだ。それがすべてとすらいえるほどに。

たしかに番組では現実の彼女たちの様子をカメラに映してはいるけれど、それはもちろん現実の彼女たちそのものすべてではなくて、わたしたちが観ているのはあくまでプロデューサーか誰かによって恣意的に切り取られ形作られたコンテンツでしかない。
有名な画像だけど、まさにこれ。


そしてサバ番の最もおそろしいところは、編集された番組を観たわたしたち視聴者が投票という行為によって現実の彼女たちそのものに直接作用してしまうという点だ。
彼女たちがデビューできるか否かは、ひいては彼女たちの人生は、「現実の彼女たちがどうであるか」よりも、「番組がどう編集され、視聴者の目にどう映るか」で決まってしまいかねないのだ。

上に書いたようなことは(サバ番や類似のコンテンツが好きな)多くの人にとっては当たり前のことだと思う。
かつ、わたしも大学で編集と名のつくゼミにいたこともあって、編集というものの作用については頭ではわかっていたつもりだったけれど、自分がサバ番のシステムの一部に組み込まれてみてようやくその途方もない重さを実感した。

1話を観たあとと2話を観たあとで、自分が投票する対象がこんなにも変わるなんて思わなかった。
1話でビジュアルに一目惚れした子が2話で叱責されているのを見て、あ、この子あんまり魅力的じゃないのかも、と迷ってしまったし、1話であまり注目していなかった子が2話で審査員に絶賛されているのを観て、この子はすごい子なんだと印象づいてしまった。

こんなに日和見ふらふらな人間が、その行為の重さに無自覚で無責任なまま、他人の人生を決める一票をもてあそんでいいのかしら?ってこわくなる

なんかさ、罪の意識なんてなにもないまま軍需工場でへらへら働いてるみたいで……

過去の日プの再放送を何も考えずにただ眺めてたときのほうが幸せだったのかもしれない(ちなみに1話で直感的に佐藤景瑚が気になり、3話くらいで佐藤景瑚しかいないと確信し、途中からは佐藤景瑚が映らない場面は飛ばしていました)

* * *

ここまで書いておいて何だけど、オーディション番組の構造ってよく考えたらこっわ!!!!ってなっただけで別にそこに罪悪感とか嫌悪感とかはないので、最終回まで楽しく参加させてもらおうと思います。

ちなみに今日の投票はこの子たち!あからさまに面食いかつ2話の影響を受けすぎている。


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