よしなしごと ろく

 きのう3回目のワクチンを打ってきて、今朝から副反応に襲われている。熱は37.5~38.0℃あたりをうろうろしていて、起き上がれないほど辛いわけじゃないけど体力気力を使うことはできないかな、くらいの感じ。こうして文章を書いたり、あと卒業旅行のプランを組んだりはできているので、頭を使えないわけじゃないんだけど、さっきバイト先からかかってきた電話の内容はまったく覚えてない(大丈夫かな)。腕もそこそこ痛いけど上がらないほどではない。想定内。けど、脇が痛いのは想定外。人生で脇が痛くなったこと初めてなので困惑している。これ何すれば治るのかしら、湿布? 「ワクチン 副反応」でパブサしたら反ワク派の呪詛ばかりが流れてきたのでいやになってやめた。

 寝るのも飽きてきたのでベッドに座ってスマホをぽちぽちしているとき、仕事から帰ってきた母に部屋のドアを開けられた。やばい、怒られるかな、と思ったら「飲み物足りてる? 何か持ってこようか」と言われて大変びっくりした。アクエリアスの2ℓボトルを抱えながらふるふる首を振ると、母は引っ込んだ。


 小学校から高校くらいまで、わたしが体調を崩すと母はものすごく冷たくなったものだった。
 わたしは他が頑丈な代わりに片頭痛持ちで、特に長時間日光に当たったりパソコンの画面を見続けたりするとすぐに頭が痛くなってしまっていた。そういうとき、それを母に悟られてはいけなかった。うっかり体調不良を訴えてしまうと、決まってめちゃくちゃに怒られた。

 「お前が遊びまわってるのが悪い」
 「勉強したくないから嘘をついているんだ」
 「さんざん遊びまわってたくせに勉強の時間になると逃げようとして卑怯だ」
 「本当に体調が悪いならベッドから動くな、寝るか勉強以外のことは許さない」

 そういう感じだったので、小学校はほぼ皆勤賞だったし、インフルエンザで出席停止になったときも2日目には起き上がって塾の宿題をやっていた。文字に起こすとまあまあ嫌な過去だなあと思う。
 
 だから、今回母から冷たくされなくって、寝ないでスマホいじってても怒られなかったとき、なんだかいつの間にか呪縛が解けていたんだなあと感じた。それは母からわたしへの呪縛であり、学歴主義から母への呪縛でもあった。

 母は結構な学歴主義者だった。一緒にテレビを見ていると、「この人は慶応」「この人は東大」と聞いてもないのに説明しだすくらいの。小学校の時は「桜蔭行って東大行って医者か弁護士か公認会計士」と毎日のように言い含められたし、私の頭の出来からしてそれが叶わないことを知ったあとは慶応に行かせたがり、わたしが第一志望の大学と慶応の両方に受かった時も「やっぱり慶応に行かない?」と未練がましくしていたくらいの。

 きっとその根源は、娘に良い人生を歩んでほしいという親心だったんだと思う。でも、母は勉強の仕方もさせ方も知らなかった。だからとにかく机に縛り付けておく、勉強以外のものを奪うというやり方しかできなかった。勉強が娘の生活のすべてであるように感じて、体調不良すら勉強を妨げるものとして憎むようになってしまった。

 ま、今ならわかる。自分の学歴のなさをコンプレックスに感じていたことも、わたしに姉の分まで期待をかけていたことも、莫大な教育費をかけているプレッシャーも、馴染まない土地でワンオペ育児をするつらさも、そういうものに母が相当追い詰められていたことも。
 どんな理由があれど、わたしが母から受けた仕打ちはそれなりにつらいものがあって、そのすべてをきれいさっぱり許せるものではないけれど、大人になって、母側の事情も少し思いやれるようになった。

 だから今、わたしの大学卒業を目前にした今、母が呪縛から解き放たれていたことを、少しだけ嬉しく思う。もう母はわたしに勉強させなくていいし、わたしは体調不良を隠さなくていい。もちろん、勉強という要素を抜いても母とわたしの確執はまだまだあって、母の暴言は止まらないし、わたしが実家でやすらげる日は来ないけれど。


 ベッドに座ってパソコンかたかたしてたら腰が痛くなってきた。こんなの書く時間と元気があるなら卒論の発表レジュメを書くべきだったな……。


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