私たちはお嬢様なので

母校の話をしようと思う。

私が通っていた高校は、都心から40~50分ほどの距離にある中高一貫の女子校だ。カトリック校であることや穏やかな校風、そして世間一般の私立女子校に対するイメージからか、外部からは「お嬢様学校」と形容されることもあったけれど、私たち生徒はそんなことお構いなしに、「動物園」とか「モンキーパーク」なんて自称してゲラゲラ笑っていた。まあたいていの女子校はそんな感じだと思うけども、とにかく私たちは自分のことをお嬢様だなんて微塵も思っちゃいなかった。


けれど、大学生活も4年目を迎えた今になって、私たちは本当は本当に「お嬢様」だったんだな、と思う。
おしとやかでもお上品でもなかったけれど、育ちがよく世の中の悪に染まっていない、という意味では、間違いなく「お嬢様」だった。


そもそも「首都圏の」「私立の学費や塾代を捻出できる家庭で」「中学受験からの大学進学を前提としている親のもとに育ち」「それなりにハイレベルな入試を突破できる頭脳を持った」「女の子」という同質の(しかもレア度の高い)人間しかいない時点で、母校は世間一般の学校に比べてかなり特殊であり、そして平和だった。私などは比較的育ちが悪くひねくれていた自覚があったけれど、周りの子は明るくて純真な子が多かったように思う。少なくとも、明確な悪意を持って人を傷つけるような人はほとんどいなかった。みんな賢く優しかった。

加えて上記のとおり伝統的に穏やかな校風であり、抑圧されたり理不尽な目に遭ったりすることはあまりなかった。そして何より女子校だったというのが本当に大きかったと思う。「女子だから」で許されることは何もなかったけれど、「女子だから」で不当に扱われたり遠慮したりすることはなかった。何にでもなれたし、何でも言えた。
この環境はかなり特殊なんだって考えればわかることなんだけど、私たちは至極当然のようにそれを享受していた。


こんな温室でのびのび育ったお嬢様たちが、大学進学を機に突然外界に放り出されるとどうなるか。
遅かれ早かれ、大なり小なり、内と外とのギャップに直面することになる。

私は大学に入って初めて、首都圏4都県以外の出身の同級生と知り合った。
非進学校から死に物狂いで這いあがってきた人に会った。
学費を自分で稼いでいる友人ができた。
「お前は女だから●●/女なのに○○」と言われた。
理不尽で意味不明なことが当たり前に起こることを知った。
倫理も道徳も無視した、どうしようもない悪人に害された。

本当にびっくりした。いちいち衝撃を受けたり傷ついたりした。異議を唱えたりもしてみた。そういう過程を、きっと私たちの高校出身者の誰もが経験してきたんだと思う。


そして、今まさにその転換点に立っているのが、ミス東大候補の神谷明采さんなんだと思う。
彼女は私と同じ高校を卒業し、大学に入学したばかりの1年生だ。

目下炎上中の東大ミスコンについてパブサしていたとき、こんなツイートが目に入った。

神谷さんって人調べたら――県の超お嬢様学校である―――高校(中高一貫女子校外部なし)出身だしそんな品のある子に対して普通(笑)の大学生のノリで生々しい性的な質問したらそりゃぁキツいでしょ。

私は彼女と一切の面識がないし、同じ高校出身というだけで彼女を理解したつもりになる気はないけれど、それでも彼女の一連の言動には確かに「母校らしさ」の片鱗を感じ、上記のツイートにも納得してしまった(まあ、品の良さというのは神谷さん個人に備わっていたもので、間違ってもモンキーパークで培われたものではないだろうけど……)。
同時に、母校と世間とのギャップにわりと最悪な形で直面している彼女の心境を思うと、部外者ながらも胸が痛かった。
この記事が直接神谷さんの助けになることはないけれど、一連の騒動を受けて自分が感じたことを書いていこうと思う。


今回の神谷さんが告発した「セクハラ」「運営・対応の不誠実さ」のどちらにも通じる問題点は、正しくないことを“大学生なんてそんなもん”として正当化してしまっている現状であると思う。

他人のプライベートな領域に軽率に踏み込むこと。ミスコンでは特にそれが通過儀礼として黙認されていること。いち大学のいちサークルが主催するミスコンが、多くを巻き込みファンから金を搾取するビジネスになっていること。その規模にはそぐわない杜撰な体制。

ぜんぶ、本当はおかしいことだ。理屈に合わないことだ。
それでも、大学生なんてそんなもんなので、よくあることなので、みんなそんなのに慣れちゃって受け入れちゃってる。いつのまにか迎合してる。きっと多くの人は大学生になる前に、世の中そんなもんだって諦めてうまく合わせていく術を身につけているのだろう。
でも私たちは世間知らずのお嬢様なので、そんなことは習わなかった。私たちが母校で学んだのは正しくないものに合わせて自分を捻じ曲げる術ではなく、「正しくない」と判断する思考力と、逃げずに忖度せずに「私は正しくないと思う」と言えるふてぶてしさだった。

本当は、「大学生なんてそんなもんだから」「よくあることだから」は何の免罪符にもならない。「よくあること」でも悪いことは悪いし、悲しいことは悲しいし、やめるべきことはやめなければならない。それでも、大学にいれば嫌でもある程度は“大学生のノリ”に慣れてしまう。神谷さんはそういった空気に染まっていないからこそショックを受けたし、異を唱えることができたんだろう。

ただ、もう4年も大学にいる私は経験則として知っている。
正しくないことを容認する空気が確かにあること。そしてそれに従わない姿勢は他の人たち、特に「内輪」という、私たちとは別の意味での「温室」にいる人たちの反感を買いかねないことだということ。

だから、容易に想像がついてしまう。神谷さんの告発に対して「そんな軽いのセクハラって言わない」「耐性なさすぎ」「大学生のサークルに期待しすぎ」「ミスコンなんてそんなもんなのに出た方が悪い」と思う人、そしてそれを臆面もなく声に出してしまう人がたくさんいるんだろうってことを。

でもそんなの本当は「本人が不快に思えばセクハラだし」「被害者が耐える必要なんてどこにもないし」「大学生のサークルという意識でデカすぎる案件を扱ってる実態に問題があるし」「“ミスコンなんてそんなもん”であること自体が問題」なんだよ。そこから変えなきゃいけない。正しくないことは正しくないと言っていいし、言わなければ変わらない。
私だって普段そういうの忘れちゃってるし、こうして考えなきゃ言語化できないようなそのへんの大学生なんだけど。

そういうのぜんぶ、神谷さんの世間擦れしていないまっすぐさと勇気が表面化してくれたことだ。


社会ってこういうもんなんだよって斜に構えるの、本当にダサいと思う。
子どもだから賢いやり方をわかってないんだね、教えてあげたいよ、って上から目線、何様って思う。

社会に理不尽があるのは前提として、それに抗議する道を選ぶか、それに迎合する道を選ぶかは個人の自由だ。でも、社会という大きな流れに抵抗するのは本当に大きなエネルギーを使うので、潰されてしまいかねないので、“賢い大人”は後者を選び、うまく波乗りしてる気分になって前者を馬鹿だと嘲ったりする。本当は波に乗ってるんじゃなくて、飲み込まれてるだけだったりするのに。まちがっていることは正されるべきで、そしてそれを推進していくのはいつだって前者なのに、そういう人たちが叩かれるのが辛く悲しい。

こんな事態になってしまったけれど、神谷さんは引き続きミスコンへの参加を希望しているようだ。「辞退したらいいのに」「無理しないで」という声もあるが、私だったら「なんで私が被害者なのに私が引っ込まなきゃいけないんだよバーーーカ!」って思うだろうし(彼女がそう思ってるかは知らんけど)、なるべく望むとおりになってほしい。

どんな結果であれ、これ以上神谷さんが傷つかなければいいな、と思う。応援しています。


P.S.
私の構成力不足で本文には組み込めなかったけど、私は運営の杜撰さについて広研スタッフを責める気にはなれない。たぶんだけど、彼らは彼らなりにめちゃめちゃ頑張ってると思う。そうでなければあの規模のイベントを運営するなんて到底できない。学祭の運営スタッフの友人が身を粉にして働いているのを見聞きしてきたけれど、たぶんあんな感じなんだと思う。たぶん。
ただ、問題は「大学のミスコンというものが、大学のいちサークルが運営するにはあまりにもデカくなりすぎている」という構造自体にあるんだと思う。
結局はサークル活動の一環だから、ところどころでお粗末になってしまう部分はあり(資金調達ガバいところとかまじでそう)、そしてそのしわ寄せは候補者に来てしまいやすい。彼女たちはミスコンの内部ではあってもサークルにとっては外部でしかないので、サークル単位でやっている運営面に関しては蚊帳の外になりやすく、神谷さんが批判していた「説明不足」という点もここらへんに理由があるのだと思う。たぶん。いやまじで想像なんですけど。
要するに、広研が持つ「所詮はサークル」という“私”製の免罪符を使うには、あまりにもミスコンが“公”になりすぎていて、そこにギャップが生まれているんじゃないかな。
ミスコンを開催すること自体の是非が問われるようになった現代ですが、この先どうなるんですかね。

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