戦後神奈川県議会の選挙区定数の変遷

 今回は神奈川県議会の選挙区定数、戦後の変遷を取り上げます。神奈川県は古来より源頼朝が鎌倉幕府を開いたり、そのあとの室町時代においても鎌倉公方がおかれるなど、東国の政治の中心として機能してきました。江戸時代は、県の西半分の多くが小田原藩の領地でしたが、その他は幕府の直轄地や旗本領、他の藩の領地など領国支配は錯綜していた状況でした。幕末の1858年に日米修好通商条約が結ばれると、それまで一漁村にすぎなかった横浜村が開港地として選ばれ、外国との交易の中心地として発展してゆきました。
 産業面では、明治末期から東京湾岸部において工場が建設されはじめ、川崎市から横須賀市にかけて京浜工業地帯を形成していきます。また戦後は内陸部にも様々な企業の工場が建設され、日本の産業の中心地としてなっています。
 また東京から近距離ということもあり、箱根の温泉、古都鎌倉、海水浴の湘南海岸など豊富な観光資源を有していることもあり観光産業も盛んな県です。
 ではこのような背景を持っている神奈川県議会の選挙区定数は、戦後どのような変遷をたどってきたのでしょうか。主に人口動態の面から探っていきます。

 それでは具体的に分析していきますが、まず分析の基礎となる地域割りを行います。地域割りは、かつて行われていた衆議院の中選挙区の区割りを基にしたいと思います。すなわち、横浜市は北東部の旧1区、南西部の旧4区の2地域に。川崎市は単独で1地域。三浦半島の三浦地域、相模地域は相模川を境に東側は県央地域、西側を県西地域に分けて、県全体としては6地域に分けます。
 詳細な市区郡ですが、1951年当時で旧1区は、鶴見区、神奈川区、西区、中区、港北区、緑区。旧4区は、南区、保土ヶ谷区、磯子区、金沢区、戸塚区。現在では旧1区では緑区、都筑区、青葉区が加わり、旧4区では港南区、旭区、瀬谷区、栄区、泉区が加わりました。川崎市は1972年に政令指定都市となり、選挙区が行政区単位となりました。三浦地域は1951年当時は、鎌倉市、横須賀市、三浦郡、現在ではこれに逗子市(選挙区は逗子市・葉山町)と三浦市が加わっています。県央地域は藤沢市、茅ヶ崎市、高座郡、津久井郡。現在ではこれに相模原市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市が加わり、津久井郡は全域が相模原市となり消滅しました。県西地域は1951年当時は、平塚市、小田原市、厚木市、中郡、足柄上郡、足柄下郡、愛甲郡。現在ではこれに秦野市、伊勢原市、南足柄市が加わっています。
 では分析に移りましょう。まず人口の増減についてみてゆこう。県全体の人口は、戦後一貫して増加している。1950年は2,487,665人であった人口が2020年には9,237,337人と3.7倍に増加している。
 次に地域ごとの人口を見てゆこう。まず地域の人口が県全体からみてどれくらいの比率であるのか、戦後の推移を見てゆきたい。時代ごとに順にみてゆこう。まず1950年時点では、旧1区22.4%、旧4区16.3%、川崎市12.8%、三浦16.9%、県央13%、県西19.2%とすでに横浜市が38%余りを占めている。これが高度経済成長を経た1970年になると、旧1区19.4%、旧4区21.5%、川崎市17.8%、三浦11%、県央17%、県西13.4%となった。旧1区、三浦、県西地域が減少し、旧4区、川崎市、県央地域が増加した。ただ減少した地域を含めて、すべての地域において人口が増加している。ただ比率が増加した地域では、川崎市が319,226人から973,497人と3倍増加したのをはじめ、増加した他の2つの地域でも3倍近い増えている。逆に比率が減少した地域では、人口の増加が2倍未満であった。
 1990年になると、旧1区17.3%、旧4区23%、川崎市14.7%、三浦9.4%、県央21.2%、県西14.4%となった。川崎市が減少に転じ、県西は横ばいとなった。他の地域の傾向は引き続き変わらなかった。いずれの地域も引き続き人口は増加している。
 2020年になると、旧1区20.2%、旧4区20.7%、川崎市16.7%、三浦7.5%、県央22.1%、県西12.8%となった。旧1区と川崎市が増加に転じたのに対し、旧4区と県西地域は減少に転じた。横浜市においては、比率で減少が続いていた旧1区が増加に転じたのに対し、これまで比率が増加していた旧4区が減少に転じた。川崎市と県央はやや増加し、三浦と県西は減少した。三浦地域は人口も減少した。
 1950年と2020年を比較すると次のことがいえる。人口増加が最も高かった地域は県央地域で6.3倍に増加した。伸び率が低かったのが三浦地域で1.65倍であった。三浦は1990年から2020年の間人口も減少している。横浜市の比率は人口そのものは増加し続けたが、県の人口比率でみると40%前後で推移していた。
 次に地域ごとの細かな分析に移ろう。旧1区は戦前から市街地化が進んでいた地域であり、それゆえ人口の飽和も早く訪れた。西区と中区では1960年代後半から70年代に減少した。鶴見区と神奈川区は70年代に入り減少するが、80年代に入ると回復した。西区と中区は90年代前半まで減少が続いた。港北区は一貫して増加したが、青葉区は増加の伸びが近年鈍化傾向にある。
 旧4区は、古くから市街地が進んでいた南区は70年代後半に減少に転じて以降横ばいが続く。保土ヶ谷区、旭区、金沢区、瀬谷区は2000年代前半まで増加傾向であったが、それ以降は減少に転じている。戸塚区と泉区は近年まで増加が続いているが、泉区は2010年代に入り減少に転じている。磯子区は90年代から2000年代前半に減少しており、栄区は90年代に増加が止まり、横ばいに転じた。
 川崎市は、政令指定都市に移行した1972年以後の状況をみてゆく。基本的に増加が続いている。ただ各区によって異なる動きをしている。川崎区、幸区、中原区は80年代前半まで減少していた。その後中原区では増加に転じたあと、その傾向が持続しているが、川崎、幸の両区は90年代に再び減少し、2000年代以後増加に転じている。他の区、高津、宮前、多摩、麻生区は増加が続いている。
 三浦地域は先に分析したように、他の地域とくらべて人口の増加が低い地域である。比較的遅くまで増加が続いていたのが、横須賀市と三浦市であり、横須賀市は80年代後半まで、三浦市は90年代前半まで続き、その後減少に転じた。鎌倉市は80年代前半まで増加していたが、その後90年代まで減少した後、再び増加に転じている。逗子市・葉山町は80年代に減少したのち、90・2000年代に増加傾向にあったが、その後再び減少に転じている。
 県央地域は、前述したように県のなかで最も人口が増加した地域である。藤沢市、茅ヶ崎市、大和市、相模原市などの市部では、戦後一貫して人口増が継続しており、県央地域の人口増加に反映されている。高座郡と津久井郡においても、少し遅れたが60年代から増加し、近年まで続いていた。一貫して増加が続いている地域であるが、近年相模原市緑区と綾瀬市では減少に転じている。
 県西地域も三浦地域同様、他の地域と比べて人口の伸びが緩やかな地域である。ただ他の地域と同様に人口は増加しているが、市部と郡部で傾向に違いも見られる。市部は基本的に増加傾向を示している。平塚市、秦野市、伊勢原市、厚木市は近年まで増加し続けたのに対し、南足柄市と小田原市では2000年代に入って減少に転じている。一方郡部では中郡と足柄上郡は、60年代から増加を続けたが90年代後半から減少に転じている。愛甲郡は増加が続いていたが、90年代後半から減少に転じている。足柄下郡は60年代後半には減少に転じてその後横ばい状態となり、90年代後半から再び減少している。
 さて次に選挙区の定数の分析に移ろう。全体的にみれば、総じて人口比例どおりに配分されているといえる。すなわち、地域ごとの定数配分の比率が、県全体の人口からの地域ごとの比率とほぼ同じ割合で配分されているということである。具体的にみてゆくと、県のなかで最大の人口増加の伸びを示した県央地域は、1951年時点では人口比率13%のところ8議席(総定数の11.9%)であったものが、1975年では人口比率17%で20議席(18.3%)、1995年では人口比率21.2%で25議席(21.7%)で人口比率の上昇とともに議席も増加していった。対して人口比率が減少した三浦地域もみておこう。1951年時点において人口比率16.9%で11議席(16.4%)であったのが、1975年には人口比率11%で12議席(11%)、1995年には人口比率9.4%で10議席(8.7%)と人口比率の低下とともに議席の比率も低くなった。
 このように人口比例どおりに議席が配分されているが、ところどころに定数過多と定数過少の選挙区がみられる。地域的には偏りが見いだされないほどに少ない。座間市が2003年、2007年と連続して定数過少になったのが目立つ程度である。戦後開発された住宅地を抱える選挙区は他府県の場合、たいてい定数過少になることが多いが、神奈川県の場合、1971年の港南区や1983年の緑区のように定数過多になる事例があることも特徴的である。 
 神奈川県の定数配分の特徴として、政令指定都市を抱える府県では、これまで分析してきた愛知県やこれからのシリーズで分析していく千葉県や兵庫県のように定数過多と定数過少の選挙区が多いのが特徴なのであるが、神奈川県はそうした特徴が当てはまらない県である。このように神奈川県と同じ特徴をもつ府県としては、大阪府が挙げられる。なぜこうした配分になるのかという要因も見出すことは難しい。ただこの両府県は、自治体間の人口差が少ないということを特徴として見出すことことができるということを指摘して、締めくくりとしたい。

(参考文献)
神奈川県議会史編集委員会編「神奈川県議会史 続編第1巻~第5巻」1973年~1981年
神埼彰利ほか「神奈川県の歴史」山川出版社 1996年
(web)
神奈川県議会の公式サイト
総務省統計局 国勢調査の公式サイト
 
 
 

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