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ガンダムSEED アスランとカガリの「勘違いの恋」とは

ガンダムSEEDのアスランとカガリは私が大好きなカップルです。

アスランとカガリの関係を「勘違いの恋」であったと脚本家の両澤千晶さんが説明したということは、私も聞いたことはありました。

この「勘違いの恋」について、私の考えることを書いて見ようと思います。

「ガンダムSEED Destiny(以下運命)」冒頭での2人の関係

私は運命冒頭での2人の関係をどう捉えているかと言いますと、「アスランとカガリはお互いだけを頼りあって生きていこうとした」と考察しています。

カガリはオーブの国家元首となったものの、最大の理解者であった父を失い政治家としても孤立していました。アスランを自分の護衛・随員として自分の手元において、泣きたいときには彼の腕の中で泣き、アスラン「だけ」を頼っていました。

一方のアスランも、故郷のプラントから亡命し、名前も変え、カガリ「だけ」を頼って、カガリのため「だけ」に生きようとしていました。

お互い「だけ」を頼り合うことの限界

しかし、アスランは「カガリが国というものを背負って毎日死にものぐるい」なのに、自分はカガリを支えきれていない、自分にはなんの力もないという事実を目の当たりにします。

そして、「力がほしい」と願い、カガリのいるオーブを離れてザフトに復隊するわけですが、結果としてアスランの願いはデュランダル議長に利用されアスラン自身は殺されかけるわけです。

カガリは、アスランが自分の手元から居なくなってしまったあと、自国が戦争に巻き込まれていく様子を目の当たりにしながらも、そんな自分を支えてくれる多くの人の存在に気づいていくわけです。キラやラクス、AAのメンバーはもちろん、アマギたちオーブの軍人やキサカやエリカ、そして亡き父ウズミもカガリをいつも支えてくれる存在であると、実感するわけです。

つまりお互い「だけ」を頼り合って生きていこうとすることは『勘違い』であり、それは愛ではなくお互いの少しわがままな『恋』だったのでは?と解釈しています。

『勘違いの恋』に気づけたからこそ、本当の『愛』に近づいた2人

カガリはずっと身につけていたアスランからもらった指輪を外し、大事そうにジュエリーケースにしまいます。これが何を意味しているかというと、カガリは「自分がまたアスランの近くにいると、また自分の都合のいいように頼って、甘えてしまう。だから、自分がちゃんと精神的に自立できるまでアスランへの思いは大切にしまっておこう。」という決意の表れかなと解釈しています。

アスランも、カガリが指輪を外したことに気がつくわけですが「今はこれでいい、焦らなくていい」と自分に言い聞かせるように言うシーンがあります。これもカガリの決意を尊重して、受け止めているからこそ言えるセリフかなと思います。

「恋」が「愛」に変わっていく瞬間

自分の都合や自分の思いではなく、心から相手の立場や思いを尊重しあえる関係、つまり2人の関係が「本当の愛」に変わった瞬間かな、と私は解釈しております。

これは私のかなり個人的な解釈というか感想なのですが、HDリマスター版のAA出航の際、アスランとカガリが抱き合うシーンがありますが、私はあのシーンを見ているとアスランがカガリに「待っているから」と語りかけているように感じるんです。そして、カガリはうなずいて「ありがとう」って返してしている・・・。そんな気がして。

このシーンを見ていると、「ずっと一緒に居て、『愛しているよ』って言い合うよりも、離れていても深くお互いを愛しいと思いあうって、こういうことなんだな。苦しいけど、でも素敵なことだな」って思うんです。

人によって解釈は違うだろうし、「勘違いの恋」と言った脚本家の両澤千晶さんは、もっと別の意味で「勘違いの恋」と言ったのかもしれません。

私は自分なりの解釈として「(お互いだけを頼り合うことが愛だと)勘違い(した少しわがままな)恋(だったけれども、その勘違いに気づけたからこそ、お互いを心から思いやる『愛』に近づいたアスランとカガリ)」であると解釈しています。

こんなに深く愛し合えた2人ですから、またいつか、アスランとカガリが一緒に歩いていける日が来ることを信じています!

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