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心を開く

noteで、赤裸々に全てを書く事の意味。


わたしはこれをする事で、心を解放し本当の自分を、どんな自分も全て受け入れたい、わたしという人間が経験して来た事、傷付いたこと、傷つけたこと、それを全部統合して本当の自分で生きたいという欲求からの行動だったんだと、今、思う。



悲しみや苦しみ、辛さ、良くない過去、自己防衛から隠したくなる、なかったものとして押し込めたり、過剰なポジティブさを身に付けたり、テンションの上がるものへ転換したり。


そこに悲しみがある、そこに辛さがある。


それらから自分を守るために、自己防衛のために、あらゆる手段で押し込めたはずのそのものたちは、なかったものにすると、自分の心を傷付け出す。



傷付け出すのに、それらを、大切に外に出さないように心に鍵を固くかける。


心を開けばそれらが溢れ出る事が怖いから、固く固く鍵をかける。


それがどんどん強くなると、優しい人、慈悲深い人を避ける。
その人たちは、心を開いているからだ。


心を開いている人に会うと、心の鍵が開いてしまいそうで怖くなる。


知らず知らずに優しい人を避けるようになる、わたしを大切にしようとしてくれる人と、反対の人との縁が結ばれて行く。




子供は、親に認めて欲しいという承認欲求から母親へ、父親へ、本音で本当の気持ちで話しかけてみる。
分かって欲しい、認めて欲しい。


しかし、その気持ちは、親がそれを受け入れられない状態なら返り討ちに会う。

それを何度か、繰り返すと心に鍵をかけて、親とコミニュケーションを取りたい気持ちから、親の承認欲求を満たすという方法を取り出す。



親の興味があるものを見つけ、自分もそれに興味を持ち、親を褒める。


そうして、どんどん自分は自分を、忘れる。



親を理想化し、それに応えて行く。


そうして、どんどん本当の自分の心には固く固く鍵をかけ本当の気持ちと感情をないものとして行く。


心の開き方を忘れて行く。


誰かの欲求を満たす事で安心し、自分の承認欲求を満たす。
対象は幅を広げて親から、他の人にまで広がって行く。



どんどん、自分の欲求や本当の気持ちや感情は、押し込められ続ける。
自分で自分も分かってあげられなくなる。



幸にも、わたしの心の中に閉じ込められる容量は、小さかったようで、早い段階で自分を押し込める事にギブアップした。



聞いてくれる人に、甘えよう。
助けてもらおう。

ありがとうと言える気持ちが、嬉しかった。

ありがとうと伝える事が、幸せだった。


優しい人、慈悲深く、その人自身が自分の心を大切にしている人。


わたしの溢れる本音は、本当の感情は、鍵をかける事を忘れさせてもらえた。
受け入れてもらえた。


心を大切にしている人。
優しい人。
わたしを大切に思ってくれている人。

そんな人との縁が結ばれて行く。



無理やりに心を開く事もなく、わたしに何かをしてあげてるという態度でもなく、わたしを助ける事で承認欲求を満たしたい人でもない。



ただ、優しい人は、その人自身を大切にしている人だった。


本当の自分に寄り添い続けている人は、優しい。
自分の気持ちを知ろうとしている人は、優しい。
自分の心に正直に生きている人は、優しい。



ただ、静かに聞いてくれる人は、ただ、心の隙間からポロポロと本当の気持ちが、本音が、真実のその人が出て来る事を喜んでくれる人だった。


泣けるのは、美しい。

そう言える人だった。


母や、姉と、話す時、話が通じない。
会話が出来ない。
理解し合えない。


そう、感じる事がとても多かった。


今になって分かる。


きっと、それぞれに心に鍵をかけて話をしていたんだなって、辛い事、苦しい事、悲しい事。


自分を守るために、心に鍵をかけたんだなって。


今、分かってあげられる気がする。



だからと言って、わたしはわたしの心に正直に、身体と心を大切にしてあげる事を全う出来るように、毎日を過ごすだけだ。

わたしの心を開いてくれた人は、自分で自分を満たしてあげられている人だった。




心の扉のドアノブは、内側にしか付いていない。


何かで見た気がする。


心が開く時、それは、自らがそっと内側のドアノブを回す時なんだと思う。


わたしのドアノブを回したその時に、そこにいてくれた人。


思い出すだけでも涙が出る。


これからも、お互いを大切に生きて行きたい。





noteに、書く事で受け入れてもらえる事で、心の扉の存在さえも薄くなって行きました😭

本当に感謝です🙏









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