文章の書き方を忘れてしまった気がする

ふせったを長文を書くためのブログのように使いがち芸人、ついにnoteのアカウントを取得しました。ふせった、今度こそちゃんと伏字投稿のために使うからな……

転職してから極端に文章を書かなくなった気がする

前職を辞めてから早3年ぐらい……

今の職に就いてから書く文章と言えばもっぱらメールでのごあいさつ文ばかりで、しかも社内の身内向けメールみたいな簡素で形式ばった文面ばかりで、どんだけ盛っても文章を書いているとは言えない……

実はこのnoteを書く前に1記事書こうとしたのだが、あまりの文章構成の乱雑さに嫌気がし、下書き保存して温めている。たぶん忘れた頃に思い出すんだろうな。電子レンジで温めた昨日のおかずを、洗い物も全て終わった頃に思い出す程度には忘れた頃にな。

そういうわけで、その書きたかった方の記事の前に慣らしがてら最初の投稿文っぽいnoteを書くことにした。

正直、noteのことを1割ぐらいしか理解していないが、まぁようはブログのように長文をなんか書いていいところだろう。違う場合は違うなって思ってそのままにしといてくれ。

社会人どこで文章書いてんの?

人生で一番文章を書いていたのは前職の頃か、高校生の頃だ。

中学生ぐらいから2次創作を嗜むようになり、SSを書く程度の字書きをもう10年以上続けている。高校生の頃はそこに更に小論文だなんだと、文章を書く機会が多かった。

前職ではその高校生を相手にしていたので、やれ小論文指導だ、おたより向けのコラムだと、少なくとも週に1回はB4を埋める程度の文章はすらすら書けた。職が職なので2次創作での活動は、たまにらくがきをインターネットの海に投げるぐらいで、サークル活動はおろかイベントへの参加も一切していなかった。

転職してからは微妙にサークル活動を再開したが、如何せん人間一度何もしないことに慣れれば身体がそうなるので、ぶっちゃけ全然書いてない。

1次だろうが2次だろうが創作をしない一般人は一体いつ文章を書くのだろう。

自分の言葉すら書けない文章力

昔からの癖で人と喋ってたりする方がいろんな考えが自分の引き出しからポンポン出てくる。2次創作の自ジャンルはもちろん、政治・文化・生活なんでもそうで、人と話してる方が、自分の引き出しだというのに気づいていなかった引き出しまで引き出される。

文章もそうで、昔から書いているうちに筆が乗ってきてサクサク書けるタイプだ。それが長いこと文章を書かなかったら、書きたい内容なのに「…で、何が書きたいんだっけ?」となってしまった。元々文章構成は下手くそだったけど、輪をかけて下手くそで、もっと言えば文章構成だなんだ言う前にパーツが全然揃ってない状態までしか書けなくて驚いた。自分が書きたい話なのに。

仕事でたまに、なんでこの文面で送ってきた? ってなったり、自分がCCに入ってるメールでのやり取りでアンジ○ッシュ現象が起きてたり、メールの端的な文章すら支離滅裂になる人多すぎでは? と思っていたが、件の1記事が書けない現象に直面して、もしかして自分も「そちら側」の人間なのでは? と心底怖くなった。読み解く能力が人それぞれであるとは言え、自分の書く文章は9割ぐらいの人には正確無比に伝わっているものだと思って文章を書いていた。もしかしたら、自分のメール文も正しく読み取れていない…というより「意図を汲み取っていただいている」状態なのかも知れないとするとめちゃめちゃ怖い。

文章力を鍛えるnote

基本的に文章力を鍛えるのは、

1.いい文章をたくさん読む

2.文章の組み立てを考えることを覚える

3.とにかくたくさん書く

ことがほとんどだと思っている。社会人になると、1はともかく、2と3はかなり意識して取り組まなきゃいけないし、3は書く場が無いといけない。

なので、このnoteはたまに長文を書いて文章力を鍛える場にしたいと思う。件の記事も、いつか日の目を見ることを夢見て。

気まぐれに書きに来るので、もしかしたらこの1記事だけで終わってしまうかも知れないが、何か書きたいトピックに出会ったら書きに来ようと思う。



ゆうき

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