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オワリハジマリ ~活動終了の報告~

この度、選手活動終了を決断致しました。

私のようなアマチュア選手が「引退」という言葉を使うことに物凄く抵抗があったので

このような表現をさせて頂きます。

2022-2023シーズン終了後の投稿でチャレンジを継続すると報告致しましたが

恥ずかしながら、挑戦を続けるために私が決めた

最低限のラインにさえ立つことが出来ませんでした。

カテゴリーを下げてまで選手活動を続ける気力がもう残っていませんでした。






思えば2022年1月、

年明け直後にポーランドへとやって来て

右も左も分からないままひたすらガムシャラに走ってきました。



「目標を達成するにはどうすることが正しいのか」

「私はどう在るべきなのか」



その答えをずっと探していました。

決断を迫られる各所において

自分が後悔しない生き方と選択はどのようなモノなのだろうかと

臆病になりながらも大胆な一歩を踏み出してきましたが

結果として目標を達成することは出来ませんでした。

チャレンジを続行しようと決意したにも関わらず

そのチャレンジを続けるための土俵にすら立つことが出来ませんでした。

自身の実力不足に他なりません。







7月頭に不合格を言い渡されて以降

どこかフットボールに集中出来ずにいました。

やらなければと思う一方で気力が湧き上がってこない

焦りと不安が大きくなるばかりで

精神と肉体が乖離したような感覚でした。

プレーをしても自分のイメージを再現出来ない状況が続きました。

それ故にプレーすればするほど自信を失くし

フットボールに対する情熱さえも失くしていってしまいました。

また何かをキッカケに再燃するのだろうと思っていましたが

そのキッカケさえ掴むことが出来ませんでした。

勝負に必要な運も含めて私には力が足りませんでした。

文字通り、私しか持っていないツテを駆使しましたし

目標のためにやれることは全てやりました。

選手の移籍が完了してチームが出来上がっていっている中

それでもチャンスがあるならと

まだやれることはあるだろうと

自分自身でもクラブに連絡を取って

自主トレを続けるという生活でした。

いつも通りに起きてご飯を食べてトレーニングをする流れの中で


「私は何故トレーニングをしているのだろうか」

「ここで辞めてしまえば楽になるのに」


とも考えを巡らせていました。

それでもやはり諦めきれない想いが胸の奥底にあって

自分以外の日本人選手が活躍する姿や

上のカテゴリーのクラブに練習参加する噂等

聞きたくも知りたくもない情報を手に入れては

また自分を無理矢理奮い立たせて活動するという苦しい1ヶ月でした。

最後の最後まで粘りましたが

練習会への参加さえ叶いませんでした。

運も含めて、私にはフットボールの実力が足りませんでした。






この1ヶ月、沢山の方が最後の最後まで

自分のために尽くしてくれました。

お金を受け取っても責任を果たさない人間もいるこの世界で

異国から来た自分のために沢山時間を割いてくれて

自分の行く先を理解してくれて

異国の地でチャレンジが

私が不自由なく生活が出来るようにと

力を貸してくれた方々の存在が

言葉に表せない程尊く価値のあるモノだと思わせてくれるそんな選手生活でした。

選手として活動を再開してから数えると2年と少し

決して長い期間ではありません。

モラトリアムにも似たこの期間での

フットボールにおける最初で最後のチャレンジは

苦しいことの方が圧倒的に多かったです。

しかし一生忘れられない濃密な時間となりました。


「フットボールをやり切る」


という目標が

いつからか


「プロ選手になる」


という目標は変わり

自分でもやれるんじゃないかと

勘違いしながらも突っ走ってきました。

ですが現実はそう甘くはありませんでした。

夢を言葉にするという行為を避けてきたのも事実です。


「お前じゃ無理だ」


そう言われた過去のせいで私には無理なんだと決めつけながらも


「やってみなければ納得いかない」


という想いは常に私の中にありました。

たらればでしかありませんが

もっと早くからフットボールでチャレンジをしていたら

もっと自分の想いを言葉にしていたら

もっともっと強い覚悟があれば

違う国を選択していたのなら

別の代理人にサポートを依頼していれば

違った結果になっていたのかもしれません。

そう思うと後悔にも似た少し残念な気持ちがあります。

練習をせずに試合に出て点を決めて結果を残すチームメイト

下部リーグでありながらもしっかりと結果を出した後輩

私が持っていないモノと出来なかったことを思い知らされました。

幸いなことに


「圧倒的な才能」


というモノに出会い現実を思い知らされました。


「私はあんな風にはなれない」


と本能で思わされました。

努力の量も仕方もそんな才能を凌駕するには

圧倒的に足りませんでした。

ですが私にとって最も重要だったのは



「チャレンジすることなく勘違いしたまま選手活動を終えなかったこと」


です。

選手として最前線に戻って来なければ

日本を飛び出さずに狭い箱の中に閉じこもっていたら

一生他人を羨んで生きていくことになっていたでしょう。

沢山の人達に支えられてこの挑戦が出来たことを

夢を叶えることは出来ませんでしたが

納得した形で次の人生に踏み出せることを誇りに思います。

悔しい想いは確かにありますが後悔はありません。






この場を借りて沢山の方々へお礼申し上げます。

私が何処へ行っても生きていけるようにと

技術と経験を与えてくれた師匠

選手活動へと復帰すると決めた際に

背中を押してくれた大学時代の監督

コロナ禍で行くあての無かった私を受け入れてくれた

鹿児島実業高校サッカー部の関係者の皆様

大阪へと繋いでくれた井出さん

大阪で指導して下さったシンジュンさんと高石コーチ

コロナの真っ只中でありながら仕事を与えて下さった焼肉どての皆様

そして遠い日本から、オーストラリアから

私のチャレンジを理解して常に背中を押し続けてくれた

私のかけがえのない友人の皆様

ポーランドで私のことを理解して支えて下さった皆様

本当にありがとうございました。

ポーランドでのチャレンジは1年半という短い期間ではありましたが

大きな怪我や病気もなく挑戦を完遂出来たこと

そして、行く先々で沢山の素晴らしい出会いに恵まれたこと

言葉では言い表せないくらい感謝しています。







「死守せよ。だが、軽やかに手放せ。」


過去10年間ずっと死守し続けてきたこの想いを手放す時が来ました。

これから私はフットボール以上に

自分の情熱を注げる「何か」を見つける旅に出ます。

人としてまだまだ半人前以下です。

世界はまだまだ広いです。

何処で、誰と、何をして生きていきたいか

この答えを探す旅に出ます。

「人は歩みを止めたときに、そして挑戦を諦めたときに年老いていくのだと思います」

アントニオ猪木氏はこう語りました。

なので私は死ぬまでチャレンジャーでありたいと

例えそれが陽の当たらない場所であっても

1人でも多くの人に勇気と情熱を届けられる挑戦者でありたいと思います。

年が明けた2024年に一度日本に帰る予定です。

フットボールを通じて出会った全ての方へ感謝致します。

ありがとうございました。

ではまた。


佐々野祐輝

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