限界すぎて会社で泣いてしまった 自分が至らないところ、 分かってるけど防げないものは どうしようもない。こっちも苦しい。 自分がいちばん歯痒くてつらい。 悔しい気持ちでいっぱいだから 喉元まで涙が込み上げてしまう。 なんでできないの って言葉が1番私を傷つけるんだと思う。 悲しくてというより悔しくて 勝手に泣いちゃうもので こっちだって別に泣きたくて泣いてるわけじゃない。 むしろそういう無神経な発言ができるあなたがすごいです。本当に人間ですか?心ありますか? って言いた
誰かを助けたい気持ちは 本当だけど 同時に自分が救われたいから そうしている という言葉を聞いて腑に落ちた 本当に救われたいのは 自分のほうなのかもしれない 私が守りたいと思ったものは 私が昔自分で守れなかったものなんだ 気持ちの供養を勝手に他人でやってる なんてエゴなんだろう とか思ったり。
頑張って って人にいうのなんか苦手だな だってもう既に一生懸命な人に 頑張って っていうの酷だと思っちゃう 頑張ってるのにまだ頑張らなきゃいけないの? ってなりそう 当事者でもない人間からそんな言葉 聞きたくないんじゃないかな なんてたまに思ったりする プレッシャーとか重荷になっちゃうこともあるからこの言葉は極力使いたくない 私がそうだった 期待されることがいつからかプレッシャーに変わって、周りが求める理想の自分と何もできない自分がどんどん乖離していくのは苦しかった
何かに悩むこと、それは人生においてほとんどの人が経験する行為であると思う。 コンビニで食べたいものを決める時、欲しい靴がいくつかあって、どれにしようか選ぶ時、それに限らず何か行動を起こす前に悩むことは多い。恋愛もまた然り。 一見、悩むこと=考えること とさえ思うのだが、昔、悩むとは考えることを放棄していると人に指摘されたことがある。 ある物事に対して、どうしようかと悩んだとき、具体的に選択肢があるにしろ、ないにしろ、どちらかに決めきれない段階で、考えることを放棄している