『カメラを止めるな!』鑑賞【※ネタバレ注意】
ようやく話題の『カメ止め』を観ることができた。
ウワサに違わずとても面白かったし、大いに笑ったし、感動もした。
むかし一度は映画の道を志したことのある身としては、とくに。大袈裟に言えば、ちょっと身がうち震えるくらいの感動があった。
でも。
たぶん年末になって一年を振り返ったとしたら、「今年面白かった映画トップ10」には余裕で入ってると思う。もしかしたら「生涯で面白かった映画トップ200」くらいにはランクインするかも。
でも。
今、SNS上での熱狂的と言っていいくらいの盛り上がり。できればぼくも「もう3回も劇場に足を運んだぜ!」というリピーターになりたかったし、「カメ止め」のハッシュタグを付けたりして手放しでこのフィーバーに乗りたかった。
でも。
そこまでは、乗り切れなかった。
そしてそのことが残念でならない。とても面白かったのに。
なぜ乗り切れないか? 理由はいくつかある。
まず、ぼくにとってこの作品の最大の感動ポイントが、約300万円とも言われる低予算で制作された、という点にあること。これは日本映画の現状を少しでも知っていれば、「超」がいくつ付いても足りないくらい、とんでもない偉業だと言っていいと思うけれども、でも、予算が幾らだったとか、観客にとってはそんなこと作品外のことだ。ぼくは映画制作者を褒めたいんじゃなくて、作品を褒めたい。作品に酔いたい。
ふたつめ。この映画の面白さは、既存のフォーマットの上に成り立つものであること。具体的には、そのフォーマットとはパンフレットでも触れられているように三谷喜劇のそれであるし、たとえば2001年のMー1グランプリで鮮烈な印象を残した麒麟の漫才と同種のものだ。だからダメ、という話じゃない。だから「スペシャル」ではない、という話だ。
みっつめ。前半の「ONE CUT OF THE DEAD」について。トラブルが起きる前の「正規の物語」が、ぼくにはいまいちよく見えなかった。観客によっては、これは「些末なこと」と思う人もいるかもしれないけど、ぼくはとても良くないと思った。ベタでカッチリした「正規の物語」があるからこそ、トラブルによる逸脱がいっそう際立つ。もちろんその「正規の物語」を一から十まで説明する必要はなくて、トラブルを描くのを通して、「ああ、本当はこうだったんだろうな」と思わせることが、優れた脚本にはできる。そこは単純に甘かったと思う。
要は、予算300万円でこれだけ面白い映画を作ったという事実は、間違いなく「スペシャル」な偉業で(個人的には「超スペシャル!!」と快哉を叫びたいくらいの偉業で)、日本映画界からそういう映画が生まれたのは心の底から嬉しい。でも、作品自体は「スペシャル」ではなかった。ぼくにとっては。
個人的に、そこをハッキリさせとかないと、モヤモヤするし作品に対して失礼だと思うので、ここに記す。
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