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THE FIRST SLAM DANKの何をそんなに語りたかったのだろう(ネタバレあり)

ゴールデンウイークのある日、高校時代の仲間5人で呑みに行った。

私たちは、中学時代にアニメが放映されていたスラムダンク世代ど真ん中だ。

私は嬉々として聞いた。
「ねぇ、スラムダンクの映画見た⁉︎」

全員「見てない」

はぁ〜〜〜〜〜⁉︎
なんで〜〜〜?

「三王戦なんでしょ」
「そう、山王戦をりょーちん目線で描いてるの。そこに向かうまでと、その後も」
「その後?りょーちんがキャプテンになるの?」

んもーーー!
そういうことじゃないの!



じゃあ、なんだろう。
私は何が語りたかったのだろう。

「THE FIRST SLAM DANK」を観て、山王に惹かれている自分に気付いた。
あの坊主頭にミニマリズムの美学を見た。必要のないものは全て削ぎ落としてバスケに全リソースを捧げていることが伝わった。

そして、私が最も心に残ったキャラクターは沢北だった。

神社で祈るシーンが印象的だった。
あれがまっとうな祈り方だと思った。
やるべきことはやったと言い切れる努力と、出してきた結果。そしてこれからの成長のために全てを受け入れようとする覚悟。
それがあって初めて、あんな祈り方ができる。

でも勝敗は決まってしまう。
全リソースを注いで打ち込んでも、誰もが勝つと予想していても、負けることがある。

沢北は自分の祈りを思い出す。
「必要な経験をください」
監督は言う。
「『負けたことがある』というのがいつか 大きな財産になる」

だからといって、
負けを受け入れることは難しい。



だから、最後に沢北とりょーちんが対峙するシシーン、あれには本当に感激した。
澤北は、経験を大きな財産に「した」んだ。

負けたことが、自然と大きな財産になるわけがない。

挫折の痛みを知っても、
また痛い思いをするかもしれなくても、
また新たに挑んだ人だけが体験を財産にできる。

「なる」んじゃない、「する」んだ。

神社のシーンがあまりにも美しかったため、映画を見てすぐ私も神社に行った。

「自分がこの先何をするのかわかりませんが、とりあえず成長したいので必要な経験をください」

すると数日後、仕事でお客様からクレームが入った。

この祈り、すぐ叶う。

対応がうまくできなくてこじれにこじれ、なんとかクローズさせたものの、時間と精神力を消耗した。
そして私は感情を持って向かってくる相手への対処がうまくできないことに気付いた。

「クレームをこじらせた経験」を財産にしたいのだが、自分の課題にどうアプローチすれば良いのかよくわからないでいる。

沢北は湘北に負けたあと、どんな日々を過ごしてあの場に立ったんだろう。
沢北のその後のストーリーも見てみたい。

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