「Eutopia」を考える

前書き

どうも、ソニックです。
虹ヶ咲5thもいよいよ来週に差し迫ってきた今日この頃(書き始めた時点)、いかがお過ごしでしょうか。
自分はあのガーデンシアター、武蔵野の森に13人の景色を見に行けるのがたまらなくわくわくしている所存です。
アニガサキ2期、ここまでの色んなニジガクの歩みに対する回答があった訳ですが、その中のひとつにランジュと言う存在がスクスタと相互補完をしながらまたひとつ救われたのが、良かったですよね・・・
気高く時には不遜に、そして繊細な彼女がせつ菜、栞子に並んで大好きな人となってしまいました、スクスタ時から好きだったのが更にぼこぼこに精神殴られて所謂推しになってしまった・・・
わたくし、「ほー民」もやってるもので、Eutopiaという曲が双方の想いをダイレクトに感じずには居られないのです。
ほーみんの作品・キャラクターへの解像度の高さ、そしてそれを表現しきろうとする気持ちをひとつでも多く汲むにはこの曲を解剖すること他ない、と言うわけで自分に出来る限り崩していきます。というか自分用の整理です(

本題

ランジュとは

・まず何といってもランジュと言う女性は「誰かと繋がりたいけどうまくいかなかった」、そして「自分のやることに対する絶対的な自信がある」女性で、その自信が対外関係においても「"ここまで出来るのは普通"という考え、及び周りの人はそこまで行けないからこそ遠い存在に感じて離れてしまった存在」であるのが原因で人と繋がることに躓きがあったと言うのがスクスタ・アニガサキ共に根底にあり、それが恐らく小学中学で「凄い」を超えて「遠い人」になったり、その経験からファンとの関わり方に相互性でなく一方性を求め、侑ちゃんと言う存在がかけがえのないものになっている同好会に入ることを拒んだし、「夢中にさせる」という手段で離れさせないという究極の実力行使で繋がりを見出すしかなかった。だからこそ、ミアという「間違いのない」コンポーザーを用意し、実親の圧倒的なパフォーマンス力でもって「間違いのない」ステージをした。この強力なタッグだからこそ、自分の意志を載せることができたのがEutopiaの歌詞だと思います。

Eoutopiaとは

・それを踏まえてのこの曲は、ランジュという存在の気丈さ、その裏にある脆さがいたる所に感じられる。
 ランジュの視点では、ニジガクは「それぞれ自分だけの力で、それぞれのファンを強烈に引きつける個々の集まり」であったはずで、それを思ったからこそ、タイトルに理想郷と言う言葉を付けたのだと思います。
 じゃあランジュの理想とは?となると、前述の事柄から、「人との繋がりを長く持ちたい」、「自分を肯定して欲しい」と言うところが上がると思います。
 圧倒的なパフォーマンス、スタイル、ビジュアル、(加えて金持ち、)高嶺の花とされても可笑しくない少女の年相応〜少し下ぐらいの可愛らしい欲求が、過去の経験から強引な手段でしかもうできないぐらいにじわじわと精神に作用していた末の今であると思います。
 それに加えて中国と言うお国柄としての側面も入って、日本よりも学歴及び何らかの特技による競争社会と言うのも、この歌やランジュ自身にも影響があるのではないかと思います。(中国ニワカなんで違ったらごめんなさい)
 「もっと熱く高く光よりも早く Your heart 連れてくよ Higher」から歌い始めるこの曲、光よりも早くと言う事は周囲の時が止まると言うこと、一瞬と永遠を同時に歌うのはまさしくラブライブ!であり、この曲ももしかしたらひとつの「たすけて、ラブライブ!」であるのかも知れない。そのあたりが強く出るのがDメロで、「ファンを魅了させたい」本心と「繋がりを求める」本心、どちらも本当の気持ちだからこそ「私は逃げない、最高を見せたい、貫くよ」に繋がっていくのだと思います。

イントロ

・EutopiaとQueendom、どちらもイントロに時計の針を巻き戻すかのような音が使われてる。前述までのランジュの生い立ちを考えると、それは「あの時欲しかったものを手に入れたい」「止まっていた過去を動かしたい」「自分の力で過去の自分を救いたい」というメッセージを感じる。そしてそれは、少し逸れるがコンポーザーであるミアにも同じことが言える。
 クライアントの要求通りの完璧な曲を作るのがミアだが、果たしてそこに自分という要素を排除してるかと言うとそう言うわけではない。それが作中で一番感じられるのが「stars we chase」の原曲をランジュに聴かせたシーンで、ランジュに「私の曲じゃない」と言わしめさせたこと、そして「stars we chase」に対しての秀ちゃんのインタビューで

元々この曲を歌ってもらうつもりだったランジュのことを思いながら書いたんだろうなって

Febriより

と言うことを語っていることにより、曲そのものはランジュに作ったものが原型であると言うこと、それを発展させて自分の曲とすることが出来たのはミアとランジュに共通する感情もあれど、曲を通して自分というものを表現したかった、歌を諦めたミアだからこその自己の表現であると思います。
 だからこそ、ミアにとってもEutopiaは、自分を発露したいと言うこと、そして過去の未練をランジュを通して(もっと言えば今まで提供してきたアーティストたちを通して)乗り越えたい、乗り越えるというメッセージがあると思っています。
二人の意志を乗せたアニガサキでの初めての曲、だからこそタイトルは「Eutopia」なのです。

MV演出

・EutopiaのMVはオブジェクトが水槽のようになり、そこには魚と龍が漂っている。そのの事から、モチーフは「竜宮城」なのではないかと思います。
 前述までで、時を戻す・時を止めるという要素がこの曲にはあり、それは竜宮城に行った浦島太郎が楽しい時間を外界よりも非常に遅い時の流れの中で楽しんだ、つまり浦島太郎とはファンでありトキメキをくれたニジガクのみんなであり、永遠にも等しい時間を共有したい、離れないで欲しいという気持ちの表れがステージに表現されていると感じます。
 また、もうひとつの側面として、水槽の魚たちをランジュと捉えることができます。
 眺めるだけの、美しく、触ることのない鑑賞としての存在。ランジュと言う存在が周囲からそう捉えられ、自身も今は「周りからはそう見られてる」と認識している状態。MVの過程でそれらと別に水で満たされた鳥籠が映るが、サビに入るまでにその水槽の水が抜け落ちる。スクールアイドルという自分の存在を発露して人と繋がれる場に自分が立つことで、水槽から解き放たれる=ただ鑑賞されるだけの存在ではなくなると言うのを表している。そのあとに濡れたランジュが髪をかきあげて、そのあとにサビに入るのがそこに繋がっていて、「私についてくれば最高の景色を見せてあげる、魅せ続けてあげる」と言うのを描写している。
 ランジュと言う女性の「魅せる」部分を凝縮した、そんなステージに感じました。

まとめ

・総じてこのEutopiaという曲は、ランジュの自身の始まりを自分の手で最高に彩るための色んな要素があり、その中に自分でも隠し切れない願望が見える、ショウランジュの始まりを象徴する曲であると思います。
 自身の過去の気持ちを今この場所で、スクールアイドルと言う形で清算・成仏させて今を最高に幸せにしたい、認めさせたい、認められたい。その気持ちを歌とダンスと言う形で体現する、そんな曲であると思います。

後書き

 なかなか言語化に手間取ってたりしたらいつの間にか公開が当日になってました。こんなはずでは・・・
 この曲を会場で浴びたとき、自分は本当にランジュのすべてを受け止めきれるのか、そこに乗せたほーみんの気持ちを汲み切れるのか。長年ランジュと寄り添って生きてきた彼女のことをおそらく汲み切れないのだろうなとは分かっているのですが、それでも少しでも近く、力強く受け止めれるようになってたら良いなと、そして色んな人にもっとランジュとほーみんを愛してほしいなと、そう思います。

ところで・・・





ランジュの顔良すぎません?


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