ハックルベリーにさよならを、個人的考察

J-VOICEproject 第4回公演「ハックルベリーにさよならを」の考察を覚えている限り自分なりの考えで書き散らす。考察になってないところもあると思いますがあしからず。

「僕」の存在

未来のケンジ、自分を許せず10年という年月電話をかけ続けた結果「兄さん」としてケンジの意識に入り込む

10年間欠かさず電話をかけるという行為により理由など無く奇跡的に10年前の別れた直後のカオルさんに繋がる

カオルさんとの電話で自分を許すということを知った僕は、最後ボートから降りた時にケンジに別れを告げる。ここで別れを告げるのは取り付いていたケンジを許して二人であった自分が一人になったから、ケンジはこれからそうなるために歩き出す。帽子を渡すときに「ちょっと小さくなってきたんだ」と言ったのはこれから一人で歩き出していく始まりだから

最後の砂時計の砂をケンジの帽子で受け止める、これは時間の流れを「僕」の手で「ケンジ」の帽子を使って受け止めることで21歳の「僕」はやっと心が一つになった

ケンジの葛藤

ケンジは今の状況に不満がありながらも一定の満足があった。この状況が壊れることの怖さと家族が戻るかもしれないという希望がカオルさんと父さんの結婚を拒絶するようになる

何故ケンジはカオルさんを「大嫌いなのに大好き」になったのか、まず、カオルさんに対して複数の"愛"が芽生えたから。家族愛と恋愛。家族として迎え入れたい、自分のお姉さんになってもらいたいという愛と一人の女性として惹かれた愛。次に今ある家族形態が壊れることを危惧しての拒絶、そして父さんと母さんの再婚が完全になくなることへの恐怖。この2つの状況が「大嫌いなのに大好き」という状況を作った。

何故「僕のボートには一人しか乗れない」のか、それは上記の「大嫌いなのに大好き」な自分の状況を認められない。独り立ちできてないケンジの心情。

ケンジの服、New Yorkと書いてあるのは自由になりたい一心だから

ケンジと僕の関係性

ケンジと僕は、カオルさんを好きな自分と嫌いな自分で二分されているが、それ以外にもケンジは母親側、僕は父親側である。それが顕著なのがボートで神田川を下る際、電話に出てるのが父さんに対しては僕が出て、母さんに対してケンジが出ているというところ。橋の上に父さんが居た時に目を合わせず似いたのはこのため。母さんとの電話の時に拒絶したのは結果的に母さんが父親に肩を持った状況になったため。

カオルさんの心情

カオルさんの「電話がかかってきますように」、これはきっかけになってほしいというのと同時に、最後に僕からかかってくる電話に対しても案じていたのだと思う。どちらもケンジが「自分を許す」ことだから。

カオルさんの服の色:白と黒、ケンジから見た時の"無い色"

感想

この他にも色々考えてたはずなのですが記憶から欠落してるので諦めます()思い出して気が向いたら書き足します()

初めて観劇というものをしましたが、これほどまでに惹かれる世界があるのか、とすごくのめり込みました。全く同じ状況であることはないにしろ、誰しもが通るであろう2つの状況に揺れながら自分と向き合うという真っ直ぐなストーリー、ハッピーエンドでは終わらないけどもその思いを胸にこれからを見つめていくというところがとても響きました。自分にもそういうことがあったから、なおさら。

この劇は本当にいろんな人に見てもらいたい、そして見終わった後にその思いを大切にしてもらいたい、そんな作品だなと思いました。

そして少年くっすんとても良かった、あそこに居たのは間違いなくケンジだった。アフタートークは可愛さの塊でしたね!!!!!かわいい!!!!!

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