【小説】死者と暮れ

引きこもりの兄がある日死んだ。

揃っていたパズルのピースが大きく欠けたようなそんな虚無感だけが残って、悲しさはあまり感じなかった。

お父さんとお母さんが難しそうな顔をして話しているのをよく見るようになった。
死因とか、自殺とか、私にはよく分からない感覚だった。

その日は、隙間風がいつにも増して冷たい冬だった。
私は、兄の亡霊を見たのだ。仏壇に飾られた顔写真、その写真の服装のまま仏間の端で背を丸めて蹲っていた。

体は壁側に向いていたので顔は見えなかった。だけど、あれは兄だー。そう私は確信した。

それから、時間が随分と経ち私は高校生になった。
お父さんとお母さんも老いて、口数も減った。笑っている顔をあまりみていない。

冷たい隙間風がまた、広い廊下をびゅうと駆け抜ける。
この家はとても広い屋敷だ。
隙間風の冷たさを感じると兄の亡霊を初めて見た日のことを思い出す。

まだ、いるのかな。仏間の目の前、兄の亡霊がいた場所。

すうっと扉を開く。今日は曇天だ。お父さんもお母さんも用事があって帰ってこない。

分厚い雲に遮られた不十分な光量に照らされた部屋の静けさは異世界を彷彿とさせた。

仏間の扉を開ける。

その瞬間、庭にあった柿の木から熟した柿が一つ、落ちた。
その音がとても大きく、家中に響いた。なんでだろう。柿なんて滅多に落ちないのに。

部屋に、光は届いていない。薄暗い。
足を踏み入れる。足の爪先が冷気に触れ体温が一気に下がった。

何も変わらない景色ー、兄が壁に向かって座り込んでいる景色がそこには広がっていた。

「お前もこっちに来るか」
脳に直接送られたように兄の声が聞こえた。
それはまるで音だった。

私はその音に何も応答しない。

また隙間風が強く吹いた。風がもないている。
「お前もこっちに来るかー。姉さん。」

兄の亡霊がそう呟いた。
何を言ってー。
私は声を発しようとした。だが風に遮られる。

「俺に、妹なんて居ない。お前は、俺が産まれる前に母さんが流産した子供の怨霊だろうー。」

兄、いやー、男の声が遠くなる。

私は亡霊だ。名前も無い亡霊だ。

仏間に飾られた兄の写真。お父さんとお母さんと兄の3人の家族写真ー。

3人で笑顔で写っている。その写真の端っこに、歪な笑みを浮かべる私がはっきり自覚できた。

「お前は、地獄に落ちる罪も天国に行く徳も持っていない。人間になり損なった。お前は誰だー。」

写真の中の私と目が合った。

流産した子供の亡霊。りゅうざんなんて言葉、わかんないや。そもそも言葉って、何ー。この思考は誰のものなのー。

隙間風が強く吹いた。その風はやがて突風に変わり、家中を無作法に叩いた。

薄暗い部屋の入口。目を落とすと小さな影が私の足元につながっている。

お前は誰だー。影に向かって私はそう疑問を投げかけた。

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