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何かを残したい気持ちになった

鉄の道を走る物体、近年はモータリゼーションの影響による財政面のため廃止になっていく移動手段がある。鉄道に魅了される者は数多いる。レールの上を走る電車や汽車に対して魅了される者もいる一方、風景との美しいコントラストを画角に納め記録に残すことに魅了される者、純粋な移動手段として魅了される者、その他多くの理由で人々を引き付ける。

幼少の頃、一度は鉄道に魅了された者は多いのではないだろうか。しかしながら多くのことを学び多くの経験を積むうちにその魅了から醒める者もまた多いのではないか。私もその一人である。幼少期は「電車に乗りたい乗りたい」と平日の仕事で疲れ果てている父親に駄々をこねた記憶はかすかにながら残っている。また小学校の進学すると路線の全駅を暗記しようと試みた記憶は鮮明に残っている。しかし中学校高等学校と進学すると部活動や勉強が中心に移りいつしか「電車」に対する興味はなくなっていった。

私が鉄道に対して単なる移動手段から幼少期の頃のワクワクを甦らせたのはいったいいつだろうか。今となっては正確には覚えていない。記録に残していなかったことに心底後悔している。YOUTBEでもTwitterでもなかったことは確かではある。実際は興味が甦ったのではなくなくなっていたと思い込んでいたが実際は心の奥底でくすぶっていただけだったのかもしれない。

さてここまで568文字書いたがなぜこんなことを始めたのかを説明したい。近年の情報技術の著しい進歩により一個人が情報を発信することが特段珍しいことではなくなった。鉄道系、旅行系YOUTUBERやインスタグラマーが鉄道や旅の情報を発信するようになってから一定の月日がたっている。「私も何か発信したい」と思ったことは何度もあるが先駆者の完全なる模倣はしたくなかった。最近では飽和していたと思っていた分野でも先駆者とは一線を画す者が現れている。自分の趣味だから別にいいかなと思っていた時に一冊の本に出会った。それこそ宮脇俊三著『時刻表2万キロ』(角川文庫)である。ただし本当に感銘を受けたのは非常に申し訳ないが著者の文章ではなく書評であった。著者が国鉄全線を乗り通したという記録に残ってる中では一番古い全線乗破だと考えているその偉業に対して、中野孝次氏は『知り合いに「証拠になるものはとってあるのか」ときかれ、「そんなものはありませんよ。」と答える。なぜといってこんなことをするのはただ「自分自身のためですから」、と言う。(中略)自分が自分一人を証人としてする行為。これだけが唯一の信頼できるものではないか、と思った。』と述べている。この数行を読んだ時もやもやがかかっており文字化できてなかった感情がはれた気がした。しかし私は学生の頃パフォーマンスを魅せてきた立場でもあった。書評では効用を考えるというより自分の気が済むようにしているだけとまとめていたがやはり私は何かしらの形で残したい、そう思ってしまった。

しかし私には文才も経験も知識もない。無いなりに何かしらを生成するつもりではあるがそれは自己満足の部分である。自ら慰める、そんな文章くらいしか書けないだろう。何かの間違いでこの文章にたどり着いた者には大変申し訳ないが許していただきたい。それでも私が経験したものを読んでくれる者がいるのであれば私にとって幸せなことだろう。

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