『自由と幸せと・・・①』

尾崎豊の『15の夜』
・・・私の1番好きな曲だ。

こんなことを言うと、

「盗んだバイクで走り出す歌やろ?w」

と、おちゃらけた様子で揶揄してくる人がいるが、この歌の本質はそこではない。所謂(いわゆる)全然、面白くない冗談である。自由になるためにバイクを盗むという方法が用いられただけで、結局自由にはなれていない。あの歌で1番言いたいことは、「盗んだバイクで走り出す」ことではなく、「誰にも縛られたくない」「自由になれた気がした」のほうである。

大人の世界や雁字搦めの法律に縛られた、やり場の無い少年の怒りが"バイクを盗む"という行為に繋がったわけで、決して「バイクを盗もうぜ」という歌ではない。"バイクを盗んで楽しく騒ごうぜ"という陽気な歌なら、尾崎豊が歌ったとしても、私もさして好きにはなっていないだろう。

「15の夜」というタイトルも秀逸だ。
元々は「無免許で」という仮タイトルだったが、プロデューサー須藤氏によって変更を指示され、「15の夜」となった。

本人は、成人しても15の夜を歌うことに戸惑いを隠せない様子だったが、約束の日では「いつまでも大切にしたい曲」と言っているあたり、思い入れは特に強いのだろう。やはり"尾崎豊といえば"「15の夜」というところはある。

そしてもっと言えば、尾崎豊が歌う15の夜だからこそ、意味があり格好良かったのである。曲の最後の叫び(Oh〜)なんて見事でしょう。あの叫びは、決して野蛮な叫びではなくて、曲に合った雰囲気で"美しくて儚い"

尾崎豊の外見と美声だからこそ良いわけだ。カバーもよく聴いているが、やはり尾崎豊以外には歌えない一曲である(とはいえ、私もカラオケなどでは歌うが)

尾崎豊は教祖的ポジションを嫌っていたが、凡人からするとそれは贅沢な悩みであり、理解されることも少なかった。彼はだからこそ苦しみ続けたのであろう。「もう解ってくれとは言わねぇけどよぉ、 お前らのその笑い声とか、お前らのその視線が俺を孤独にするんだ」は有名なセリフである。
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さて、尾崎豊は結局、自由な答えを見つけることができたのか?

15の夜▶︎"自由にはなれた気がした"

Scrambling Rock’n Roll▶︎
"自由っていったいなんだい 
どうすりゃ自由になるかい "

(どうすれば自由になれるか。でもそうやって思いをぶつけられること自体、自由なことだろう)

誕生▶︎ "探している 答えなんかないかもしれない 何ひとつ確かなものなど見つからなくても"

 (探している答えはないかもしれない。それでも生きる意味を見つけて走ること。限りなく幸せを求め続けること)

そして彼は1992年4月25日、人生に幕を下ろした。"命あっての自由なのに"

尾崎豊が考えていた自由とは、
"幸せを求め続けること"

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