女性差別より弱者差別
部屋の中でクーラーをつけていてもじっとりと汗ばむのでクーラーの温度を下げて寒い状態になっているのにじっとりと汗ばんでいるのは病気か何かですかそれとも単に湿度が高いだけですか、こんにちはまみやです。
女性差別?
本日のツイートなのですけども、みなさんはどう思われますか?僕はtwitterでフェミニストたちが女性差別や女性の権利拡張や差別コストの話をしながら男社会の弊害だとポスターや漫画やアニメに難癖を付ける状況をとても不思議だなあと思っています。漫画に出て来るキャラクターの名前が変わったら女性差別ってなくなるんですか?ポスターの女の子の胸が小さくなれば女性の権利って拡張され優遇されるんですか?
巨乳論争のときにも言われていましたが、女性が見た目を気にするのは男の価値観に支配されているからだ、男社会が女性の見た目をジャッジするから女性は抑圧されているのだ、という女性が生きづらいのは男社会のせい理論、僕にはよくわかりません。
女性が男を必要としていないのであれば、男のジャッジなんて気にする必要ないのではありませんか?何故男の価値観に支配されているのですか?不要な存在に気に入られる必要ありますか?大学で自分が所属する研究室の教授に気に入られる必要はあるかもしれませんが、隣の研究室の教授に気に入られるように振舞うことってありますか?まったくもって無意味です。
しかし女性の中には将来好きなひとと結婚してそのひととのこどもが欲しいと思うひともいます。恋愛をして結婚を夢見るひとも当たり前にいるのです。そういう女性にとって脱コル(脱コルセットの略。女性が男性から受けていた女らしいという装飾抑圧を脱するの意)を唱えられても何のエンパワメントにもなりませんし、高めの男を狙うために自己投資することは何も間違ったことではありません。
エンパワメント empowerment
能力開花の妨げとなる様々な社会的抑圧や不足から解放され、社会的資源へのアクセス、対等な存在として政治・経済・社会・文化的生活への参画、権利などが満たされること。さらに、それぞれの人が本来自分に備わっている能力を最大限に活かし、自分の生活や環境を自分自身でコントロールする力を持てるようになること。その人が本来発揮できる能力を持っているという前提が重要。
── 世界性の健康学会 福田和子
第一、誰かのためにお洒落やメイクをしている女性ってそんなに多いのでしょうか。少なくとも僕は女友達に逢うときのほうが気合が入りますし、男受けなどビタイチしない真っ黒なヨージの服を着ていたりします。男の人って黒装束お嫌いよね。
スキンケアをする時間、メイクをする時間、髪を整える時間、服を選ぶ時間、靴を選ぶ時間、メイクを落とす時間、再びスキンケアをする時間、これらを自分の趣味に回せば自分の人間としての魅力が上がると仰る女性もいましたが、それって合計何分?マナーやエチケットの範囲であればこれらに何時間も掛かるような女性はいないと思います。
脱コルすればいいじゃない
ショートカットにし、スキンケアもせずぬるま湯で顔を洗うのみ、メイクもムダ毛処理も一切しない「ありのままの自分」でいたいならいればよろしい。誰もそれを咎めることはありません。どう思うかは周りが決めることですが。
そして自分は肌も荒れ放題ムダ毛も伸び放題で解放されていても、男には清潔感や女性に対するマナーやエチケットを求める。これって男女平等ですか?男から押し付けられた女らしさを放棄するのであれば、女から押し付けられた男らしさを放棄する男がいても認めることが平等ではありませんか?
というわけで、法的な性差別がなくなった日本に於いて女性はいまや差別対象ではなくなりつつあります。ある意味フェミニズムという思想のおかげかもしれませんし、モンスタークレーマーを避ける社会のせいかもしれませんが、めでたくラブライブ!のイベントは半ば中止され、AIさくらさんは返答の仕方を変えました。
弱者差別という闇
しかしその日本に於いて、未だに深刻な差別を受けたり住む場所も持てないひとたちがいます。ネカフェ難民やホームレス、シングルマザーやシングルファザー、就職難民のひとたちです。このひとたちは明らかに社会的弱者であり、いま正に支援を必要としているひとたちなのです。
健康で、ある程度のコミュニケーション能力があり正社員として働いているひとには想像も付かない世界かもしれません。しかし住む場所もなく、お風呂にも入れず、食べるものもなく、それ故に連絡手段を持たず、就職も出来ないひとたちは存在するのです。ADHD(注意欠陥・多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)のひとたちも空気が読めなかったり、上手くコミュニケーションが取れなかったりと苦悩したひともいると思います。あ、専門用語っぽいものはご自身でググってください!
住所がなくても現在地(役場)を指定すれば生活保護が受けられるのに、と簡単に考えているひともいるかもしれませんが、生活保護はシロウトが簡単に受けられるような制度ではありません。役場の水際作戦により窓口で追い返されたり、親切に近寄って来たひとが暴力団の囲い屋であったり、NPOを掲げた貧困ビジネス関係者だったりと、生活保護を受けられたとしても裏で搾取されているひとも少なくないのです。
日本の福祉制度は本当にわかりづらく難しいものが多いのです。例えば精神科に通っている場合自立支援医療制度というものが簡単に受けられることを知っていますか?正社員として働いていても障害者年金を受け取ることが出来るのを知っていますか?車を持っていてもPCを持っていても働いていても生活保護を受けられることを知っていますか?本来、社会的弱者が救われるよう福祉制度は一般的に広く周知されるべきではありませんか?
主観で見れば命の重さは平等ではありません。しかし客観的に見ると上場企業の社長の命もホームレスの命も同じ重さであり、同じように人権が保障されているのです。それなのにホームレスは面白半分に石をぶつけられ殺されることもあるのです。失われた命は二度と戻りません。住む場所があれば、仕事があり収入があれば、奪われることのなかった命です。社会的弱者に無関心であることは、社会的弱者を差別していることと変わりありません。
世界には貧しい国がたくさんあり、産まれた命がほんの数年で消えてしまうことも珍しくありません。開発途上国への寄付や募金をしているひともいらっしゃるでしょう。それはとても素晴らしいことだと思いますが日本にも様々な事情により社会の最底辺を生き延びようとするひとたちがいるということも忘れないでください。そして日本の福祉制度がどうすれば正しく機能するのかを少しでもよいので考えてみてくださいませんか?
というわけで、今回はもう女性差別とか性別に拘らずに社会的弱者差別をなんとかしようよということが書きたかったのに、文章がまったくまとまらず何が言いたいのかわかんねえよ!と思われたひとも多いかと思いますすみませんすみません。精進します。