いっそのことバケモノの形をしていたらよかったのに

 どうしてわかってくれないんだろう、とずっと、思っていた。
 
 昔から、「おまえの喩えは分からない」と言われてきた。
 言葉を重ねれば「聞いてる余裕はない」と言われてきた。
 だから比喩を持ち入れば、「分からない」と半笑いで流された。
 
 言葉と知識は武器で、盾だ。
 「こどもだから」「なにもしらないんだから」と口を塞ぐ大人と戦うための武器。
 武器を集めて、磨いて、構成を考えて。
 言い方を変えて、感情を混ぜないで、理論的に。
 言い聞かせて、言い聞かせて、血反吐を吐いて、それでも誰も聞いてくれなかった言葉。
 
 そのまま音にして、伝わらずに落ちていく言の葉は空しい。
 人に伝えることを考えろ、と誰かは言った。
 上澄みだけをまず伝えよう、と誰かは言った。
 相手が何を聞きたいのか考えなきゃね、と誰かが言った。
 
 そんなの、伝えたいことの原型も残らないのに。
 
 伝わらずに落ちていく言の葉も空しいけれど、伝わるように変形した言の葉も空しい。
 はらはらと零れ落ちた言葉の死骸達。
 伝わらないからと飲み込んだ音の残骸。
 
 人の話を聞け、お前は思い込みが激しい、というのに、
 私の話は聞いてくれなかった、沢山のひとたち。
 
 きっと、周波数がずれていて、ちゃんと届かないんだろう。
 だから、ちゃんと伝わるように全部説明しようとすると、「話が長い」と遮られた。
 言いたいことを纏めると、「何が言いたいのか分からない」と言われた。
 相手に合わせて話せば、それでいいんだと満足そうにした。
 
 水晶体が歪んでいるのか、脳が欠けているのか、周波数がずれているのか。
 見えてるものが違っていて、認識も違っているなら。
 言葉を尽くして、それを埋めるしかないのに。
 埋めるための言葉を聞かないで、「理解できないお前が悪い」を指される後ろ指。
 へらへら笑ってそれを飲み込んで、溜まった澱は喉に詰まる。
 
 
 私の話は聞かないくせに、自分の話を聞くことを求める沢山の人達。
 その言葉は理解できるのに、どうして私の言葉は理解してもらえないの。
 どうして、私の言葉を聞いてくれないの。
 なんで、どうして。
 私は理解するために沢山対価を払うのに、なんで。

 ねぇ、なんでわからないの。
 ねぇ、なんできいてくれないの。
 ねぇ、なんでせつめいさせてくれないの。
 そんなの、さいしょから、わたしのことばなんて、
 
 それ以上はいけないと思考を切り上げて蹲る。
 いつだってひとりぼっちで、どこかに苦も無く話し合える人がいるはずだ、なんて言い聞かせる。

 

見た目も人の形をしていなかったら、きっとここまで苦しくなかったのに。
残念なことに人間で、だから、どうしようもない期待を捨てられずにいる。

いっそ、寂しいなんて思わなかったらよかったのにね。

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