井戸に飛び込んでも戦国時代には行けません
私は小学校の時から無類の高橋留美子作品の大ファンである。
るーみっく作品を語りだすともう支離滅裂&字数5万字くらい余裕で書けちゃうぜと豪語するくらいには大好きである。
でも毎日高橋留美子大先生の作品を読んでいるわけではない。
毎年数回高橋留美子先生の作品ごとに対してものすごく熱を帯びる時がある。そんな風に一つ一つの作品に対して尊い熱を爆発させながらローテーションを繰り返しているうちに一年が終了するのである。
こんな深夜(いや早朝)にノートで文章に残さなければと開かない瞼をこすりながら書き込んでいるのにはわけがある。
そう、その時がやってきたのだ。
「犬夜叉」
犬夜叉という作品との出会いは当時連載が開始されてまもないころだった。
なんとなく読み始めたのだと思う。(ここは曖昧)
でも、読んでるうちに犬夜叉や、かごめ、珊瑚というキャラクターに惹かれるようになり、いつのもにか私の小学生時代の人格形成の礎となった作品といっても過言ではない存在になっていった。
犬夜叉が大好きで、いつも風の傷ごっこをしていた。
弓矢を駆使するかごめに憧れて、木の棒で弓矢を作りひたすら撃っていた。
珊瑚に憧れて顔サイドの毛を短く切ったりもした。(いわゆる姫カット)
戦国時代にもしかしたら繋がってるんじゃないかと思い、真剣に家の裏にあった井戸に飛び込もうとして母にガチギレされた。
犬夜叉みたいに強くなりたくて、柔道を始めた。(武術に強くなりたかったんだと思う。)
こんなふうに犬夜叉が私の幼少期の人格形成に与えた影響は甚だしかった。(この時期から何か熱狂的にはまりだすという性格が作り上げられていったのだ)
当時の私は圧倒的かごめ派だった。犬夜叉とかごめが近づくごとに一喜一憂していた。
だから桔梗に対してプラスの感情を持つことなんてできなかった。
幼いながらに犬夜叉ふらふらしとらんとはっきりせえやと強く感じていた。
しかしそんな私も中学、高校、大学と年を重ねていった。
犬夜叉はちょくちょくアニメを見ていたけど、小学校時代ほどどっぷりハマることが無かった。
けど久しぶりにアニメを見た時に、犬夜叉は結局かごめが好きなのか?桔梗が好きなのか?という子供の頃の疑問を思い出したのだ。
よしそれじゃあ久しぶりに犬夜叉の漫画読もうかなと手に取った始末がこれですよ。
深夜四時に大号泣。
あれ犬夜叉こんなに泣ける漫画だったっけ??あれ桔梗ってすっごく悲しい人じゃないか??あれ??
大号泣しながら今までとは違う捉え方で犬夜叉を見ている自分に気づいた。
犬夜叉という漫画は妖怪バトルものだけど、そうじゃない。
二人の男女が宿敵に憎しみ合わせられながら殺され、その少年はかつて愛した女の生まれ変わりに出あう。その女にかつての恋人の面影を見出すも徐々にその女自身に惹かれていく。だが昔の恋人が死人としてまた現世に蘇り、過去の宿敵もねちねち攻撃をしかけてくる。
なんてドロドロの恋愛劇なんや…。これは深いぞ、深すぎるぞ。。。。
そして小学校の頃には分からなかった登場人物の気持ちも察することができつようになっている自分に気づいた。
犬夜叉にとってかごめか桔梗かどちらが大切か論争なんて不毛であると。
どちらも大切なんですよ。
そしてかごめちゃんは桔梗を想い続けている犬夜叉を受け入れ、そのままの犬夜叉を愛そうとした。
めぞんと似てるなーとも思った。いや、めぞん一刻を読んでなければこの高橋留美子大先生が描こうとした犬夜叉とかごめの関係は理解できなかったと思う。
でも死んだはずの桔梗が生き返ったことで、事態はまた変わってくる。
かごめも桔梗も女の子だもん。嫉妬するし、悲しくなるし、いろんな感情が混ざる。
でも、ちゃんと高橋留美子先生は漫画の中でそれぞれの気持ちや疑問に対してちゃんと答えを書いてたんですね。
当時の私にはそれを読み解けなかったし、全く気付かなかった。
一つ一つそれを紐解くには原稿用紙足りないからまたの機会にと思う。
つくづく高橋留美子先生の人間の心情の描き方は尋常じゃないと思う。
そしてようやく、少しなのかもしれないけど、それらの心情に共感できたり、理解できるようになってきた自分がいるこにも気が付いた。
成長するって楽しいね。
勢いで書いたノートだけど、
何がいいたいかって、結局、
みんな、井戸に飛び込んでも戦国時代には行けないぞ
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