考えるということ

大学四年生になって気づいたことがあります。

今更だなとも思うのだけれど、私は何考えて生きてるのだろうと。

大学の同じゼミの女の子が、普段は20歳越えてるから成人として生活して、大学にいる時は大学生として振舞って生きてると言ってました。

私は今までこんなふうに生活したことなくて、そんな風に自分の立ち位置、所属によって自分を変えながら生活するということを意識したことがなくて。

私は大学生だから20歳越えて成人の意識なんて持つのは社会人として働きは始めてからでいいじゃんと思ってました。

最近星野源が気になる存在です。

星野源は自分で作詞作曲しているのですが、彼の思うこと、世界に対して感じることを音楽を通して触れるとこの人は色々考えながら生きているんだなと漠然と感じました。

今いる世界に対して疑問を持ったり、自分がどういう所に所属しているのか、自分があるべき姿とは何なのか、どうして世の中はこうも矛盾だらけなのか

学部での勉強で疑問を持つことはあっても、日常生活の中でこのようなことを意識して考えたことが無かったのです。

私は中学校から大学まで一貫の学校に通ってきました。私立で一貫校ということもあり、一緒にいる子たちもみな同じような進路を辿る子ばかりでした。

大学行くのも当たり前で、大学に進学しないということは世の中から逸脱してくようなものだとさえ感じていました。

大学に入って、様々な環境の中で育ってきた子達と出会いました。けれどやはり同じ大学の同じ学部に通う子たちは大学に行くことが当たり前のようでした。

私は育ってきた環境、学校、社会に対して疑問を持つことが無かったのです。

それは実というと楽な生き方なのかもしれません。疑問を持ちなぜこの社会はこんなにも窮屈なのだと思い、自分を縛り付けてしまうことはしんどくて、それならいっそ受け入れてそれが当たり前だと思い、生きていくことの方が楽なのです。

私の家は自営業ということもあり、とても複雑な家庭でした。裕福とは言えませんが、やはり中学校から大学まで私立に通わさしてくれたことは感謝すべきことであると実感しています。家庭の事情で苦しくなることは頻繁にありましたが、私はアルバイトもろくにせず、家でダラダラ過ごすような学生でした。

きっと私が世間の中での疑問や、自分の立ち位置について何ら疑問を思わなかったのは社会での経験が圧倒的に乏しいからなのかもしれない。

そして受け入れることを当たり前としているから、何も疑問を抱かないのだ。

こんなことを大学4年生の卒業間近になって気づくなんて……

自分と向き合おうとすると欠点ばかりが見えてしまう。長所を肯定できるほどの根拠もなくて、人にどう評価されてるのか、失敗が怖い、そんなことばかり気にしてしまう。

自分の考える力の無さや、頭の乏しさ責めてしまう。

そしてまた一つ、受け入れるとうことがなんでも良いわけじゃないんだよと自分に言い聞かせる項目が一つ増えてしまったのだ。









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