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青い彼

ある雨の日に、養殖の青い観賞魚を買った。

2日前の昼間、不意に思い立って、17時15分の電車に乗って胸ビレの欠けた青い観賞魚を買った。

17時15分の電車を二つ隣の駅で降りて、うんざりするほど広いうちっぱなしのコンクリートの観賞魚専門店で、胸ビレの欠けた養殖の青い観賞魚を買った。

その店は、ライトの明かりが端から端まで行き渡っていなかった、打ちっぱなしのコンクリートのザラザラした匂いに生臭さと湿度がうっすらの混ざる、その店の真ん中に古いバスタブのような水槽があった。

清潔さの保たれている水に、過剰に多い茂った水草、カラフルな魚達、苔塗れの水槽、ミスマッチを寄せ集めたようなその場に、胸ビレのない、養殖の、名前も種類もわからない、彼がいた。

顔のない店員に声をかけると、
「あ、その子ね、生まれつき無いの、胸ビレ、その他は健康だけどね。背ビレがひらひらしていて綺麗な青でしょ?安くするよ」

と言った。

彼の値段は700円だった。
700円で買える青、700円で買える鱗の光沢、700円で買えてしまった美しい彼。

2日前の雨の日に買った彼は、取り敢えず水槽屋で揃えた道具一式に囲まれて、1人でいるにはあまりにも広い水の中に居る。

ヒレが欠けている影響か彼はいつも蛇行して泳ぎ、餌の時間には水面を激しく揺らしながら青い唇を覗かせてくる。

彼の背ビレは驚くほど長く、目を刺すようなコバルトブルーだった、彼の透ける家の前でぼんやりと彼を眺めていると、時折、
彼はわざと胸ビレを持たずに生まれてきたのでは無いかと思う、そうして持たずに来た胸ビレを背鰭に継ぎ足したんじゃないかしら。
その方が、辻褄が合うような気がして。
彼はきっと無いことで生まれる不便を選んで、無いからこそ成立する美を選択して生まれてきたんじゃないかしら。

きっと、おそらく、そうなんじゃないかと思う。
生き物としての正解が、美しさに直結しない場合、前者と後者の選択を迫られる訳だけれど、きっと彼は後者を選んだ、それだけのこと。
そして私も彼に美しさを見出した時点で、恐らく後者を選択する分類の生き物なのだと、ぼんやり思う。

私の思考は、いつの間にか零れ落ちて、彼を包む水の中にぽろぽろと流れ込んでいたけれど、彼はまるで気にする素振りも見せず、絶えず不安定な、ある種の不穏さを孕んだ青色で、ゆらゆらとした泳ぎを続けるだけだった。

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