私のエデン(最終話)

桜の蕾はまだ頑なに閉じている。花が咲き綻ぶのを見ることができるのは、まだまだ先になりそうだ。3月と言えどまだ風は冷たく、けれどどこからか香る梅の花の存在が、もうすぐ春が来るよと告げていた。
校舎の入口にぼんやりと立つ。今日でこの学び舎ともお別れ。明日からは、家を出て大学に通うための準備に追われる予定だ。
学費は親が工面すると言っていたが、きっぱり断った。大変かもしれないが、自分一人の力でやり切ってみたくなった。
世間知らずな私を友人は笑った。「本当に大丈夫?」と、最後に心配そうに聞いてくれたのを覚えている。
「ねぇ、何してるの?卒業式始まっちゃうよ!」
二階の窓からひょっこり顔を出した友人が声をかけてくれた。
「わわっ、ごめん!今行く!」
私は、足早に教室へと向かった。


エデンか、現実か、選ぶ時が訪れる日が来るなんて思わなかった。最初1ヶ月はなかなか立ち直れず、やっぱり止めておけば良かった...と後悔したりもした。
だが、その度に誰かの言葉に助けられ、私はここにいて良かったと思えるようになった。学校で新しい友人もできた。夢もできた。もっと学びたいと思えるようになると、自分でも驚くくらい行動が活発になっていった。
これから先、また挫折する時があるかもしれない。でも私はもう一人じゃない。決めた道を歩むことの出来る勇気が私の背中を押してくれた。


『卒業証書授与──』
私は今日で卒業する。高校を、だけではない。今までの弱い私を、理不尽を受け入れるしか出来なかった私を、未来を捨てようとした私を、卒業するのだ。
高ぶった思いが一雫の涙となり、私の頬を伝っていった。


「お、こんなトコにいたのか」
一人教室に残っていた私のところに、黒髪の男子が現れた。
「ん、何だか色々考えちゃって」
嬉しいような、悲しいような、誇らしいような、寂しいような。感情がごちゃ混ぜになって、曖昧な返事しか返せない。
(もう明日からは来ないんだよね…)
高校生は今日で終わり。明日からは大学の準備に追われるだろう。
「まぁな…卒業って実感湧かないけど、でもま、いつでも遊びに来られるんだし?そんな悲観的に考えなくてもいいんじゃねーの?」
「ふふっ、そうだね。…また、いつでも来られるんだよね」
黒板に残された卒業メッセージ。窓際の特等席。風ではためくカーテン。窓から見えるグラウンド。そして、さらに遠い町の景色。
今まで見続けたものが無くなるわけじゃない。ここが出発点。ここからが始まり。私という人間の、新しい生き方が始まるのだ。
「…じゃ、帰ろーぜ」
「そうだね。帰ろう」

校門を出て頭上を見れば、青空が広がっていた。まだ時刻は昼過ぎ。太陽が眩しい時間だ。飛行機雲が空に線を引き、うっすら昼間の月が顔を出している。道行く人ものんびりと歩いていた。
「今日のごはんなぁに?」
「んー、何が食べたい?」
「ボク、ハンバーグ食べたい!」
すれ違う親子の微笑ましい会話。いつもの通学路。短く伸びる木や電柱の影が、まだまだ終わらぬ一日を感じさせた。
「卒業とか実感湧かねえよな」
「そうだね。明日も制服着ちゃいそう」
「ただのコスプレになるぞ」
「3月いっぱいはセーフでしょ!」
いつかのデジャブ。他愛ない会話が心地いい。
あの時と違うのは、私が私らしくいられるということだ。
「…なんか、吹っ切れたみたいだな」
「え?何が?」
「いや…最近ずっと何か迷っているみたいだったからさ。でも、今の姿を見てちょっと安心した」
「そっか…そう見えたのならきっと、私はもう大丈夫だよ」

これは私の選んだ道。
後悔が全くないわけではない。
だけど、幸せは自分で掴むものだと思っている。

だから私は、私の楽園(エデン)をつくる為に今日も生きていく。

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