モノクロの世界④-1

いつもの賑やかな街並みとは一転、辺りには人の姿は見えない。それどころか、二階建て以上の建物すらない。代わりに視界に入るのは青と金と灰色。どこまでも広がる爽やかな青空と、視界の端から端まで見渡す限り黄金色の稲穂。ぽつんぽつんと、まるで存在を忘れさせないように点々と置かれた家屋と電信柱。それを繋ぐアスファルトの道がひょろりと一本。風が吹くとサラサラと木の葉がこすれ、土の上を舞う音が聞こえる。どこからかカラスの鳴き声もした。だが、姿は見えない。
ここは、異世界だろうか。
「いや~キョウちゃん!着いたね~長かったね~」
現実逃避しかけていた思考を、空気の読めない冨樫の言葉がぶった切りにくる。両手に持っていた荷物をドサッと地面に置き、思い切り腕を上にして伸びをしている冨樫を横目に、僕は何度目になるか分からないため息をついた。
「ちょっとちょっと、ため息ばっかりついていると幸せが逃げちゃうよ?」
誰のせいだ!と怒鳴ってしまいたくなるのを懸命にこらえる。冨樫はまともに相手をしてはいけない。なぜなら冨樫だからだ。何を言ったところでどうせ聞いてはいないのだし、仮に聞いてもらえたところで話を逸らされて終わりだ。コイツはシカトに限る。
脳内で冷静に自分を諭す。無駄なことに体力を使うのはバカバカしい。そして、冨樫を相手にするのもバカバカしい。
そもそもなぜ、こんな事になってしまったのか。
隣でなんやかんやと騒ぎ立てている冨樫を無視し、僕は今朝の出来事をゆっくり思い出してみた。

***

今日から五日間、僕は有給休暇を取得した。ホワイトな会社とは本当にありがたい。
特に予定もなかったのでダラダラ家でくつろぎながら、積読状態になっていた本でも読もうかと考えていた。
そんな時だった。

ピンポーン

相変わらずどこか気の抜けるチャイム音が室内に鳴り響く。時刻はまだ朝の7時。宅配便にしても早すぎる。嫌な予感を覚えた僕は、そっと訪問者を確認した。
ドアの前には、季節感ガン無視のアロハシャツに、じゃらじゃらと鬱陶しい装飾品を身につけ、どデカいサングラスをかけている不審者感満載の男、冨樫が立っていた。
こんな朝早くから、しかも相手は冨樫。絶対ろくな理由じゃない。
3秒でその結論に達した僕は居留守を決め込むことにした。

ピンポンピンポンピンポンピンポーン!

いつもは間抜けな音を出すチャイムのくせに、今日に限って耳元でベルをジリジリ鳴らされているかのようにガンガン響いてうるさい。だが、例え予定は無くても折角の休みを邪魔されたくない。僕はソファに座ると両手で耳を塞ぎ、冨樫のピンポン地獄に耐えた。
「…?」
少しすると、チャイムの嵐が止んだ。諦めて帰ったのか…と安心すると、突然玄関の方からガチャンッという音がした。
ハッとして振り向くと、玄関の扉が開いた。朝の眩しい光と共に冨樫の姿が目に飛び込んでくる。
コイツ、合鍵なんて持ってきていやがった。
「あ、なんだキョウちゃん!元気そうじゃない!いくらピンポン押しても出てくれないから、部屋で倒れているのかもってワタシ心配したのよ~?」
「今まさに倒れそうだよ。主にアンタのせいで」
がっしり系の190センチという体格に反して、口調はおネエ地味ている。しかも最近、自分のことを『ワタシ』と言うようになってきていた。ついにその道を進むことを選んだのでは…と疑いたくなる。
冨樫のがっしりおネエというギャップに人は惑わされ、実はコイツは良い奴なんじゃ…と思うのだろう。が、散々見て聞いてきた僕には一切通用しない。
「なんでよ~?折角様子を見に来たっていうのに」
「見ての通り僕は元気だ。だからもう帰ってくれ」
「い・や・だ・ね!キョウちゃんに頼みがあって来たの」
「生憎、今日は予定が詰まっていてね」
「無いでしょ、ウソツキ!」
まるで僕が常に暇人みたいじゃないか、と内心ムッとする。それに、別に嘘はついていない。休みを満喫するという予定が朝から晩まで5日間びっしりと詰まっているのだから。
「いいから帰ってくれ」
「…へえ、キョウちゃんワタシにそういう態度を取るんだね?」
ピリッと冷たいものを感じた。流石に邪険にしすぎたかとヒヤリとする。
「そこまで言うならねぇ…」
「…何だよ」
「キョウちゃんの家、返してもらうからねっ!」
「はっ…?」
「ここは元々、ワタシの持ち家だからね!」
「…はあぁぁぁぁぁあっ!?」
ふふん!と手を腰に当ててふんぞり返る冨樫。
いやいやいや、無いだろそれは。
「た、確かにこの家は冨樫に借りているけれど…。だったら契約を僕の名前に変えてくれよ!家賃だって払えるんだし!」
「い・や・よ!」
「何でだよ!」
「フェアじゃないもの!」
「それはこっちの台詞だっ!」
これ以上近づいたら互いの額がぶつかりそうなくらい至近距離で睨み合う。

ピヨリン

急に謎の音が聞こえた。
「…何だ、今の音」
「あ、ごめ~ん。ワタシのスマホの音だわ」
「は」
流石に毒気を抜かれ、僕はふらふらとソファに近づきどさりと座り込んだ。
そもそも何の話をしていたのかすら若干忘れかけている。
「んもう、ただのメルマガじゃない!」
冨樫は冨樫でメルマガの通知音に空気を壊されたことに対してプリプリ怒っているようだ。
「というわけでキョウちゃん、仕切り直してさっきの続きよ!」
「いや、今更無理だろ。ってか、一体何の用だよ」
「えっ、聞いてくれるの?」
「…聞くだけな」
キラキラした目をこちらに向けてくる。
どうやら用件を聞かずに追い出す方が正解だったかもしれない。
はぁぁ…と僕は大きくため息をついた。
「あのね、キョウちゃん。お願いがあるんだけど」
「断る」
「ワタシと一緒に旅行に行かない?」
「却下」
「OKね!ありがとうっ!」
「待て待て待て。僕は…」
「もー、即答だなんて嬉しいな~。あっ、キョウちゃんの荷物はワタシがまとめてあげる!大丈夫、早ければお昼過ぎには目的地につくから!」
「いやだから…」
僕の意思も返事もお構い無しに、冨樫は部屋の中をゴソゴソと漁っては次々に荷物を詰めていく。というか、何で僕の部屋のどこに何があるか把握しているんだ。
「キョウちゃ~ん。洋服も下着もワタシが詰めていい?」
いそいそとクローゼットを開けようとする冨樫の姿を見て、背中に冷たいものが流れた。
「やめろ!服は自分で入れるっ!というか勝手に開けるな!」
「だって~早くしないと9時33分の新幹線に乗り遅れちゃうよ?」
「知らん!初耳だぞ!?」
「だって今初めて言ったもん」
もん、じゃねぇ!と苛立つ心を何とか自制する。頭の中にいる理性の天使が『しょうがないよ、冨樫だもん』と話しかけてくれた気がした。いや、理性の天使など実際には存在しないのだが。
僕はもう怒るのもバカらしくなってきて、さっさと荷物を用意した。
「終わったぞ。ところで、どこに行くんだ?」
「うふっ、ヒ・ミ・ツ」
いい歳したオッサンが可愛く喋っているのはムカつきを通り越してただただキモい。
とりあえず僕は冨樫の頭をべしりと引っぱたく。
「何すんのよ、もー!」
隣でぎゃあぎゃあ騒ぐ冨樫。
僕は折角のおひとり様のんびり有給休暇を全て使い果たす羽目になるであろう覚悟を決めた。

***

それから新幹線で1時間、電車とバスを乗り継ぐこと1時間、更に歩き続けることはや15分。僕は、冨樫と共に見渡す限り田んぼだらけの田舎に来ていた。
別に田んぼや田舎が嫌いな訳ではないが、時折顔や身体を掠めて飛ぶトンボのあまりの多さに辟易した。他にも小さな虫が塊となって空中に留まっている。その塊がいくつもあるため、しっかり見ていないと虫の群れに突っ込んでしまうのだ。
いつもの都会とは違い、空気は澄んでいて気持ちがいい。空の青さも広さも、自然の雄大さや四季の移り変わりも、この頃すっかり忘れてしまっていた。時が止まったかのようなこの風景に、心が洗われる。が、隣にいる歩く騒音が全てを台無しにしている気がしていた。
「きゃーっ、キョウちゃん!トンボがぶつかってきた!」
「キョウちゃんキョウちゃん、すっかり秋だねぇ。お米があんなにたくさん!」
「キョーウちゃーん。おんぶして~?」
冨樫は一歩進む事に何かを見つけては一人でずっと喋り続けている。少しは静かにできないものかと、僕は再び大きなため息をついた。
「キョウちゃん、疲れたの?」
「ああ、冨樫に疲れた」
「そっか~。じゃあ早めに宿に行かなきゃだね!」
「話聞いてた?」
「宿は相部屋だよ?」
「今から変えられ…」
「るわけないでしょ!この辺りで宿は一件しか無いから、お部屋の予約がいっぱいなんだって~」
「野宿で」
「いいじゃーん、たまには!修学旅行みたいでさ~」
噛み合っているようで微妙にズレ続けている会話の不毛さにげんなりする。
時々思うのだが、冨樫には日本語は通じていない気がする。いや、そもそも人の話をまともに聞こうとしていない。よく何でも屋が勤まるなと思う。まあ、依頼人の話はちゃんと聞いているのだろうが。
先程まではカラスの鳴き声がしていたが、今度はスズメがチュンチュンと可愛らしく鳴く声がした。あまりにのどかで心休まるシチュエーションだが、その雰囲気に飲み込まれて肝心なことを聞いていないのに気がついた。
「ところで冨樫、質問なんだけど」
「ん?なぁに?」
「ここへは何しに来たんだ?」
「だからー旅行よ、旅行」
「…で、本当のところは?」
冨樫はヘラヘラと笑って僕の質問をかわそうとする。
「……」
僕は無言のまま、冨樫の目を見つめ続けた。
「……。分かった、分かったから!そんなに睨まないでよ~」
冨樫は顔を左右にブンブンと振り、僕の視線が怖いアピールをしてくる。
いや、睨んでないのだけれども。そんなに目つきが悪く見えたのか。
「で?」
「実はねえ……今回、蔵の整理を手伝って欲しいって依頼を受けたのよ」
「それで?」
「それでって…それだけよ?」
「…なら、どうしてそんなに説明を渋ったんだよ」
「だってキョウちゃん、『依頼』って言うとすごーく嫌そうな顔をするし」
そう言って冨樫は、眉根をギュッと寄せて深いシワを作り、目尻をキッと吊り上げた。それは僕の真似だろうか。
「それは冨樫がいつもろくな依頼を持ってこないからだろう…」
「そんなことないわよ、失礼ねっ!それにさぁ…蔵の整理って、ちょっと嫌なのよね」
「お化けでも出るのか?」
僕はからかい混じりに笑って言うと、冨樫は首を横に振って否定した。
「お化けなんかどうでもいいわよ。ワタシが言いたいのはね…クモの巣とかがありそう、ってこと」
「……クモの巣?」
「そう、クモの巣!クモだけなら全然平気なんだけど、あのベタベタくっつく糸は嫌いなの!前にも蔵整理の依頼を受けたことがあるんだけど、髪にへばりつくわ、ホコリも糸にくっついて灰被りになるわ、終わって蔵の外に出たら全身クモの巣まみれ!あの後の洗濯は本っ当に嫌だったわぁ…」
その時のことを思い出したのか、冨樫にしては珍しくげんなりとした表情を浮かべていた。
なるほど、冨樫はクモの巣が嫌いなのか。覚えておこう。
「…キョウちゃん。今何か変なこと考えていない?」
「何も?」
おっと。家の玄関にクモの巣を張らせておけば冨樫は中に入って来られないんじゃないか、なんて考えたりしているのがバレたら大変だ。
「ふうん。それならいいけど」
何か疑っている様子の冨樫からさりげなく視線を外すと、ふと前方に『お宿 菊』とかかれた看板のある建物に気がついた。
「冨樫、あそこにある宿って」
「あ、そうそう!あそこがワタシ達の泊まる宿よ!」
僕が指さした方を見て、冨樫は急に嬉しそうにし始めた。
なるほど。なかなか歴史のありそうな宿だ。外側から見た感じ、築30年以上は経っていそうだ。とはいえ、汚かったりどこか壊れたりしている様子はない。二階建ての小さな宿は綺麗に手入れされているように思う。建物の周りに咲く秋桜が風で優しく揺れ、それがまた一層宿の雰囲気を温かいものに感じさせてくれた。
「キョウちゃん、早く早く~!」
隣にいたはずの冨樫がいつの間にか宿の入口前に立っていた。こういう時だけ行動がやたら早い。
「はいはい」
僕は小さくため息をつきながらも、雰囲気の良い宿に心が浮き立つのを感じた。
宿の玄関前に立つと、僕はカラカラと引き戸を開けてみた。
「ごめんください」
一歩中に入ってみると、廊下の方からパタパタと足音が聞こえてきた。
「ようこそ、いらっしゃいませ。ご案内が遅れてしまい申し訳ございません」
薄黄色の着物姿の女性が僕たちを迎えてくれた。どうやら、宿の女将さんらしい。
「いやいや、こちらこそすみません。予定より早くついてしまったもので」
冨樫が女将さんに向かってぺこりと頭を下げる。
「長旅でお疲れではありませんか?お部屋へご案内致しますね。お荷物は後でお部屋にお持ち致しますので、宜しければ置いていただいて構いませんよ」
そう言って女将さんは優しく微笑んだ。恐らく40代だろう。長いこと女将として働いているのか、一つ一つの所作がとても丁寧で、なのに自然な流れで行われている。笑顔は若々しく、気さくな印象を受ける。
どちらかと言えば初対面の人の前では緊張しがちな僕だが、女将さんには何故か安心感を覚えた。それが、女将さんの人柄でもあるのだろう。
「こちらでございます」
僕と冨樫が案内された部屋は、ややこじんまりとしているものの、外観同様手入れが行き届いておりとても綺麗だった。大体10畳ほどの部屋には、テレビが一つ、テーブルが一つ、座椅子が二つ。あとは冷蔵庫。南側の窓から外を見ると、やや陽が傾きうっすらと夕方に近づきつつある空と、視界の端から端まで広がる実り豊かに頭を垂れる稲穂、そして先程まで歩いていた道がすぐそこに見えた。
部屋の中の空気はふんわりと穏やかに感じられたが、窓を開けると秋らしい冷たさが感じられた。
「素敵な部屋ですね」
僕が感想を言うと、女将さんは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。ですが、お若い方にはこの宿は田舎すぎて退屈致しませんか?」
「そんなことはありませんよ。むしろ、自宅よりこちらの宿の方がゆっくり寛げそうなくらい心地好くて好きです」
「えっ、キョウちゃん!ここに住むとか言わないでよ!?」
「移住も悪くないかもなぁ。なにせ、家がなくなりそうだし」
僕は冨樫との今朝の会話を思い出し、意地悪く笑ってみせた。
女将さんは僕と冨樫のやり取りを聞いて、「あらあら」と軽く口元を手で覆いながら面白そうに話を聞いていた。
「お二人は仲が良いんですね」
「そーなんです…」
「いえ、全然」
「ちょっ、キョウちゃん!?」
冨樫がデレッとして肯定しようとするのを遮り僕はあっさりと否定した。
冨樫はショックだと言わんばかりの勢いで、わざとらしくよろめいている。
「あ、お夕飯は夜7時頃になりますがよろしいでしょうか?」
女将さんは、これが僕らのいつもの会話だと悟ったらしく、特に何も気にせず会話を続けた。
「はい、大丈夫ですよ」
「キョウちゃん…。除け者にしないでよ…」
相手にしなかったせいか、冨樫は拗ねたような表情を浮かべている。
「別に除け者にはしていない」
僕は素知らぬ顔で言い返した。
「ふふっ。では、また後ほど。失礼致しました」
女将さんはくすくす笑いながら部屋を後にする。
「さて、冨樫。今度こそ聞かせてもらうぞ」
「えっ!ワタシのスリーサイズを!?」
「そんな情報はいらん!僕が聞きたいのは、依頼についてだよ」
「それなら、さっき話したじゃない?」
冨樫は惚けた顔をしてみせた。
だが、冨樫との付き合いが長い僕には、それがそういう演技だと気がついていた。
「冨樫が、最初から本当のことを話すわけがない。嘘ではないだろうが、全部ってわけでもないんだろ?」
「キョウちゃんったら、疑り深いんだから~。そんなんじゃ職場での人付き合いが悪くなっちゃうわよ~?」
「安心しな。疑り深いのは冨樫限定だから」
「ワタシ信用されてない!?」
「逆に聞くが、何を信頼したらいいんだ?」
半ば本気で聞き返すと、冨樫は心外だと言わんばかりの勢いでこちらに詰め寄ってきた。
「やーねー。キョウちゃんには、割と本当のことだったり、正直に話しているつもりよ?ただ、依頼人の都合で全部は話せなかったりすることもあるけれど」
「依頼人の都合、ね。半分は冨樫の都合だろ?」
僕が切り返すと、冨樫は図星を付かれたのか一瞬ぐっと息を飲んだ。しかし次の瞬間にはいつものヘラヘラ顔に戻っていた。
「そんなことないわよ~」
「…なら聞くが、今回の依頼人はどんな人物だ?」
「ん~…それはちょっと答えられないかなぁ」
「何故だ?」
「守秘義務ってやつかなぁ」
冨樫は、困ったように頭をポリポリとかいた。答えたくても答えられない、といった風な感じに。
「…守秘義務って言えば、僕が何でも納得すると思ってる?」
「思わないけど~。でも、言えないものは言えないんだもん」
これ以上は何を言っても教えてくれなさそうだ。僕はまたため息を小さくついた。
「なら、質問を変える。蔵の整理と言っていたが、具体的には何をするんだ?」
「えっとねぇ、蔵が大分古くなってきたから壊す予定なんだって。でも、中の物をそのままにしておく訳にはいかないから、片付けて引っ越しやすいようにして欲しいんだってさ」
「…なるほど」
依頼の概要は分かった。
だが、やはり腑に落ちない点はいくつかある。
「どうして冨樫のところに頼んだんだ?専門の業者だってあるだろ?」
「ワタシも最初はそう言ったんだけどさ。前にもウチに依頼をしてくれたことのある人だから、安心して頼めるって」
「前の依頼も荷物整理かなんかだったのか?」
「その時は違う依頼だったよ~」
冨樫は右の頬をポリポリと掻いた。
ならば、と僕はもう一つ質問をした。
「そうか。ついでに聞きたいんだが、蔵の中には金目の物は何か入っているのか?」
「そういうのは特に無いって聞いてるよ~。ただ、もしかしたら出てくるかもね。依頼人も、蔵の中全ては把握していないって言っていたし」
「なるほどな。万が一高級品を壊したら大変だと思ったが、普通に取り扱えば大丈夫そうだな」
「そうだねぇ。まあ、キョウちゃんが雑に扱うようなことは無いと思うけれど」
知りたかったことは大体聞けた。あとは実際に行ってみれば、残りの疑問の答えが見つかるだろう。
「分かった。ありがとう」
僕は冨樫に礼を言うと、再び外の景色をぼんやりと眺めることにした。

カバンの中身を整理したり、ダラダラごろごろと寛いでいるうちに、すっかり日が暮れてしまった。大したことないと思っていたが、意外と移動で疲れていたらしく、身体が何となく重たく感じた。いや、疲れの原因は冨樫のテンションのせいかもしれないが。どうやら冨樫の口は休むということを知らないらしく、5秒黙っては話しかけ、10秒沈黙すれば語り出す。僕はというとほぼ相づちだけで終わらせてしまうので会話はさっぱり続かないが、それでも懲りずに喋り続けていた。よくもまあ、それだけ話題が思い浮かぶものだと内心感心したが、二時間近くぶっ通しなので正直最初の方の内容は覚えていないのだが。
それにしても、荷物をきちんと詰めてきて良かったなと思った。このご時世だ。何か足りないものがあったとしてもコンビニでなんとかなるだろうと考えていたのだが、夕方散歩に出てみたら宿の周りにはコンビニどころか店らしいものが見当たらなかった。家から持ってきていなかったら困っていただろう。宿にもある程度日用品は揃っているのだろうが、どこまで借りられるか分からない分、自前の物が一通りあるのは助かる。

コンコン

ふいに客室の扉をノックする音が聞こえた。
「はぁい」
冨樫が軽く返事をすると、スっと扉を開けて女将さんが顔を覗かせた。
「失礼致します。今からお食事のご用意をさせていただきますがよろしいでしょうか?」
「大丈夫ですよ~。お願いしまぁす!」
冨樫が答えると、女将さんが静かに部屋に入ってきた。テキパキと要領よく夕食の準備をしていく姿に、僕はもちろん冨樫も黙って準備が終わるのを待った。
ご飯に汁物、主菜に小鉢と、色とりどりの食材が詰まったお膳が机の上に用意された。最後にカチリと鍋の火をつけると、
「ふつふつし始めたら火を止めていただいて大丈夫ですよ」
と言い残し、女将さんは静かに部屋を後にした。
とても豪華な夕食だ。茶碗に入っている白米からはほこほこと柔らかい湯気と共にお米の優しい香りがする。隣にある味噌汁にはワカメとお麩というシンプルな具材が入っていた。一口試しに啜ってみると、鰹だしがきいていて美味しい。傍にある器の蓋を開けてみると、中には茶碗蒸し。銀杏と枝豆とかまぼこという三色が器を賑わせている。小鉢はほうれん草のおひたしや、きんぴらごぼう、大根の漬物などの箸休めが可愛らしく盛り付けられていた。メインの鍋はすき焼き風とでも呼ぶべきだろうか。牛肉と豆腐、長ネギやしらたきが行儀よく並んで入っており、甘辛い匂いが食欲をそそる。最後にちょこんと添えられたゼリーはどうやら季節に合わせて手作りされているらしい。まるで芋ようかんのような見た目だが、スプーンで軽くつついてみるとぷるぷると揺れた。
「いただきます」
「いただきまぁす!」
軽く手を合わせてから改めて料理を眺めてみたが、どれも美味しそうで何から食べるか迷ってしまう。
「キョウちゃん、これ美味しいよ~!」
僕の悩みもお構い無しに、冨樫は次々と口に入れては「美味しい~!」を連発していた。決して下品ではないのだが、ちゃんと味わっているのかと疑問に思うくらいには早いスピードで皿を空けていっている。
「ゆっくり食べなよ。喉に詰まるよ?」
「大丈夫だよ~そんなおじいちゃんじゃ…な…っ!ゴホッゴホッ!」
どうやら、忠告したそばから喉に詰まらせたらしい。
「だから言ったじゃん」
「ゲホッ…。あーびっくりしたぁ」
冨樫は涙目になりながらおしぼりで口元を拭っている。それからはゆっくり噛み締めるように食べていた。
「誰も取らないんだから、落ち着いて食べな」
「う~ん、ついね。癖になっちゃっているのよねぇ。ワタシの家、5人兄弟だったからさぁ。取られる前に食べなきゃー!っていうのが染み付いているのよね~」
冨樫が5人兄弟だというのは初耳だ。ということは、冨樫みたいなのがあと4人いるということなのだろうか。
「…キョウちゃん。何か失礼なこと考えていない?」
「…いや?」
「何よその間はっ!ワタシは真ん中の3番目でねぇ。上にも下にもいたから大変だったわ。上とケンカすれば『年下は我慢しろ』って言われるし、下とケンカすれば『お兄ちゃんなんだから譲りなさい』って言われるしぃ」
「兄弟あるあるだな」
「そうなのよ~。毎日毎日もうウンザリ」
冨樫はげんなりした表情を浮かべてはいるが、どこか昔を懐かしむようにフッと口元を緩めている。本人に自覚はなさそうなので黙っておくことにするが、そんな騒がしい日々も振り返れば大切な思い出なのだろうと感じた。
「ところで、キョウちゃんは?」
「は?僕?」
急に話の矛先が自分に向いたので驚いた。
「そうよぉ~。キョウちゃんは、兄弟とかいたの?」
「いや、いなかったように思う」
「曖昧ねぇ」
「物心つく前のことに関しては分からないからな。ただ、基本的には父と母と僕の三人で暮らしていた記憶しかないから、多分兄弟はいなかったんだろう」
ふうん、と冨樫は納得したのかしていないのかよく分からない返事をした。何が言いたいのか。
「じゃあさ、何か思い出の味とかはないの?」
「思い出の味?」
「そう、思い出の味。ワタシだったら、兄弟と取り合いになった末にゲットしたビスケットの味とか、誕生日に特別に用意してもらったふわふわのホットケーキとか。味覚は記憶に直結しているっていうじゃない?コレを食べると昔を思い出すな~みたいなの、ない?」
僕は顎に手を当て、ふむと考えてみた。最近食べて美味しかったものや逆に失敗したと思ったものなら思い浮かぶが、思い出の味ともなると見当もつかない。
「ないな」
「ないのっ!?」
「ああ。あんまり食べ物に興味が無かったんだろうな。両親と何食べたーとか、ここの店の味が忘れられない!とか、そういうのは一切出てこない」
「そっかぁ…」
何故か冨樫にしょんぼりとされてしまう。
「何か、すまん」
つられて僕まで申し訳なくなってきた。僕が謝ると、冨樫は僕の顔を見てニコリと笑う。
「じゃあ、今日ここで食べた食事が思い出の味になるといいね」
いつも見ない優しい笑顔に、僕は言葉に詰まった。
「…そう、だな。ありがとう」
ぎこちなく礼を言うと、冨樫は一層嬉しそうな顔をして「うん」と頷いたのだった。
それから僕たちは他愛のない会話をしつつ豪華な食事を楽しんだ。
ふと気になって宿の料金を尋ねたのだが、経費だから大丈夫とはぐらかされてしまった。
何かと忙しい日々が続いたからか、労いの意味も込められた依頼の旅になったような気がする。最近は冨樫もあまり家に来ることはなかったし、会話も久しぶりだ。思えばこうして冨樫と遠出するのは初めてで、いつもとはまた違った顔が見られたように感じる。
食事の後はそれぞれ階下にある風呂に入った。同じくこじんまりとしていたが、誰もおらず貸切状態だった。風呂から帰ってきてみると部屋には布団が敷かれていた。
ちょうど同じタイミングで冨樫も部屋に戻ってきたため、僕は念の為確認することにした。
「僕と冨樫は同じ部屋で、しかも隣同士で寝るのか?」
室内の状態について指摘すると、冨樫はきょとんとした表情を浮かべた。
「えっ?布団同士はくっついていないし、ワタシは寝相が良い方だから大丈夫だよ?」
「そういう問題じゃなくて…」
僕は思わずため息をついた。いや、布団がくっついていたら問答無用で引き剥がすのだが。
「じゃあ何が問題なの?」
「他人と一緒の部屋は嫌なんだが」
「ワタシとキョウちゃんは他人じゃないよ?」
「いや、僕が言いたいのは…」
「それにキョウちゃん、前に同居人いたじゃない?」
「部屋は別だったぞ」
どうやら僕が伝えたい意味が本気で分からないらしい。「そんなに気にしなくても~お構いなく~」と言い続けている。
コイツの脳内には道徳とか、倫理とか、プライバシーだとかそういった現代社会において大事になってくる言葉は存在しないのだろうか?
オッサンと二人きりで寝るとか、もし万が一間違いが起きたら…。
そこまで考えて、急にバカバカしくなって止めた。僕と冨樫でどんな間違いが起こるのか。冨樫に触られた瞬間、蹴り飛ばしてやれば良いだけだ。
「キョウちゃーん?」
あまりにも返事をせず黙り続けていたせいか、冨樫は心配そうに僕の顔を覗きこんできた。
「ああ、ごめん。なんでもない」
僕は軽く肩をすくめた。全く、気にしすぎだ。

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