團歿日乗2

 2/23
 8時過ぎに起床。二度寝。昨夜の通話現場を流し見。見たところ朝方までやっていたらしいが私がよくわからないジャンルの会話が繰り広げられており離脱しておいて問題なかったと言える。こういう知らない世界に入る勇気がないのは私のよくないところかもしれない。
 朝食に昨夜スーパーで買った食パンを2枚、その週食べてたミルクパンの残りをひとつ食べる。雨が弱まらない。午前の間に今日行く映画のチケットを無理やりネットで買う。私の悪い癖で前売りを買わないと映画館に行けない。身体を動かせる矯正力が前売りにはある。最もこの日みた二本の映画はどちらも客席が40も満たない小さな箱で、午前に買おうとしたところで半分くらい埋まっていたのでなかなか悩ましい席を買わざるを得なかった。その日のお目当ては初日のゴダールの遺作短編と東出昌大のドキュメンタリーである。前者は多分初めてゴダール作品を劇場でみるから少し胸が躍っていた。後者は完全にネタキャラになっている俳優だが、ポスターが告知になった時サイコスリラー映画かと思って一周回って劇場で見てやろうという気でいたもので、あまり期待はしていなかった。名古屋で公開している劇場はどちらの作品もスターキャットという地元のケーブルテレビの会社が運営しているところのみなのだが、伏見ミリオン座と矢場町パルコの上の階にあるセンチュリーシネマと、別々の劇場で公開しており、まさか一日でハシゴをしないといけない有様だった。私はかつてセンチュリーシネマで王家衛4Kのせいで2日で5本をみることをしたことがあったが、ハシゴは初めてである。もうすでにあまり脚が動きたがらなくなっていたのは出不精極まりない。
 12時前に自宅を出て、普段から名駅から歩いていく所、東山線に乗り伏見についた。伏見駅が久しぶりすぎて劇場の反対側に出てしまった。劇場のそばには家系ラーメン店と名古屋なら有数の二郎系ラーメンの某店があるけれど劇場に行く際はいつも前者を食べる。時間をいつもずらすのだが12時に入った。この店のいいところは昼時から夜までぶっ通しで空いていることである。
 13時ちょうどの公開を前に劇場に入るとおどろおどろしい人の数でなんだかんだと慌てた。ゴダールにそんなに人が来ているのかと思ったがたぶん哀れなるものたちとかの観客だろう。客の面構えを見れば物好きの気取り屋を見つけれれば同じ映画を見るやつだってすぐにわかる。この箱で以前見た鈴木清順のロマン三部作の時だって和服を着てきたババアがいたのには驚いたものだ。
 はっきりいうとゴダールの遺作は酷かった。なにも期待をしすぎてしまうのはよくない。まあいつものゴダールなのだろうが、映画史以降の切り貼りというか引用に次ぐ引用の技巧じみたやたら手の込んだ紙芝居というほかならなかった。イメージの本でやったことをまだやりたがって死んだのだろうか、開始5分くらい無音だったし、画面もずっと静止画だった時はまさか絵コンテみたいなもので終わるんじゃないかとハナから絶望しかけたものだ。よくわからない話が重奏的に語られ、話が動きそうなところでハサミでプッツンしたように終わった。 huhcutという猫ミームのような顔をして私は一軒目を後にした。

矢場町に行く道中で1時間くらい余裕があったのでマルゼンの少ない洋書棚をみたり、語学書の棚を見たりして全然ちがう文庫本を2冊買った。金井美恵子のカストロの尻が文庫化していたのである。おかげでセンチュリーシネマに着いてチケットを買ってトイレを済ませたらすぐに開場してしまった。観客の入りがすごかったが、愛知でここだけ、下手をしたら東海3県でもここだけなのだろうか?満席らしく、二列目の一番左という私がとった席の隣には息子と来たというお母様がいたが席が離れ離れになってしまったらしく、どこかおぼつかなかった。映画自体はかなり良かった。日頃ドキュメンタリーはあまり見ないしなんだか映ってる当人たちの主張の強いものになっていく特に鼻につくのが得意ではないのだが、今回のドキュメンタリーはまさにその類なのだが、明らかに問いは観客の方へ開かれているものではあった。てっきり狩猟生活に関するドキュメンタリーかと思ったが、狩猟生活に向かったことで干された俳優が再生する話になっており、その中でこれって実際おかしいよね、っていう問題がポツポツ出てくる、その中で東出がどういう人間かが見えてくる、そんな仕組みになっている。共演女優との不倫騒動以降、ネットニュースでたびたび東出のやることなすことが流れてきたが、暖房のないこやで自給自足だとか、3人の後輩女優とハーレムを作ってるだとか、クレカとか財布全て無くしたなど、どれもぶっ飛んだ内容で他の干された芸能人とは一線を画してきたが、実際は週刊誌の悪徳記者の歪曲の数々だったことも明かされている。実際ぶっ飛んだ人間である瞬間が垣間見えるのだが、いい例で週刊誌記者と東出の器の広さからか仲良くなってしまってさえいる。はっきり言って超人である。
 東出が語ったことのいくつかに、子鹿を仕留めたときに自分の子供のことを思い出したという場面で、自分の子供の寝息を聞いたとき、自分はもう次に繋げたんだ、とアガリのようなものを感じたことを明かしていた。生きていく上で子供ができてそういうことを実感してしまうと、その後の生ってボーナスステージというか、燃え尽き症候群のようなものなのだろうか。3人も子供がいて、そのいずれも元奥さんの方へいる人間から「男は結局子種をぶちこめたらそれでいいってもんなのかも知らない」と改めて知らされた感はある。私もこれから誰かと結婚して誰かと子を作ったとして、いつ死んでもいいとかって思うのだろうか。映画の主題の要素の一つだろうけど、そこがかなり根についた。

伏見を後にした頃には雨が止んでいたので帰りは歩いて名古屋駅に戻った。帰る前にパルコの古着屋で可愛い模様の柄シャツを二着買った。レジに店員が見当たらなくて戸惑ったがやる気のなさそうな女さんがダラダラ初めてこちらも脱力できた。脱力させるくらいの接客がちょうどいい。

歩いて名駅に着いてそっから電車に乗って帰ったら7時過ぎでそこから米を炊いて夕飯を適当に摂ったらもう9時になっていた。シャワーをそれなりに浴びて寝た。 

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