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蒼麗天然美少女金魚ちゃん

 あれはこんがりな夏のことでした。四方木町の中池のほとりで夏休みに滝沼れる子と待ち合わせていましたの。私いちごみる子は猛暑の極みにヘロヘロで木陰に身を隠していました。けれど滝みたいに流れ続ける汗の止め方がわからなかったし帽子を忘れるというみる子のおてんば属性を発揮してしまったものだから頭はガンガンくらくらでとてもこれじゃ遊戯なんてできっ子ない。いっこうに滝沼れる子ちゃんが集合時間になっても現れないものだから、みる子一端家に戻って麦わら帽でもハンチングでもボルサリーノでもキャップでもボーラ―ハットでもキャペリンでもカンカン帽でもシルクハットでもニットでもいいから帽子を持ってきてもよかったかもしれない。茂った雑草の所為でれる子ちゃんに見えてないのかしら。みる子を見つけ損ねていちご家に電話をかけてみる子が約束をすっぽかしていることをお母さんに電話していたらどうしよう。帽子を取りに行けば大目玉じゃん。大目じゃん。でめきんじゃん。もうこの際だかられる子ちゃん家に突入しちまった方がみる子にも安全だしれる子ちゃんも家を出てこないで済むだろうから、うん、もう行っちゃおうかしら。れる子ちゃん家は中池の南側、かつてあった大池を埋めたてたところにどーんと構える大屋敷で、木造平屋でその高い塀、緑色の沼のお堀からして「滝沼城」なんて近所じゃ呼ばれてる。この土地旧名家で大地主、曾祖母はあの泉鏡花の有名な小説のキャラと同じ名前の滝の白糸さんで、目玉が潰れるくらいのべっぴんさんで男噂が絶えない人だったんだって。そんな滝の白糸を射止めたのが曾祖父滝沼じゅん吉さんで、大の金魚狂いで、何万匹も生涯で飼育して、大東亜戰争の際は防空壕を大きな金魚の水槽に改造して空襲の難を逃れようとしたから息子の滝雄に中池に沈められちゃった。滝雄が学徒出陣で戰死すると金魚の呪いだって白糸が慌てだしてじゅん吉の遺産を大事にするようになったら終戰で、何を慌てたか白糸さんは町の人々と沢山子を産みまくった。その三十二女あたりが滝子さんで、後年太陽族のばみ山ばみ造と結婚。子を産まされてあっさり死んで葬式の席で香をいきなり遺影写真に叩きつけられることはなかったけどある晩に大学時代の連中とのいざこざでドスに刺されてばみ造がちゃっかり死んじゃってもう滝沼家はまた大慌て。滝子とばみ造の間に「5、6人くらい欲しいやんな。」なんて話されたらしいけど、実際残念ながら産まれたのはれる子ちゃんのお母さんにあたるまみ子さんだけだったらしくって意気消沈の白糸さんとその他数十人にも及ぶ息子娘が鴉根山にある鴉の松を見に行ったっきり蒸発しちゃった。空っぽになった滝沼家のスペースを埋めるようにまみ子は仙台で知り合ったねぶた左衛門蔵之介と沢山子どもをつくるの。その八女がれる子ちゃんってわけ。
 滝沼家にやっとの思いで着いた頃には着ていた黄色のワンピースは汗でびっしょりであとめっちゃ水気を吸って重たくなっていた。蚊刺されをさすりながら、幾重にも折り重なる、蟬の音のカーテンをかいくぐってきたかいがあった。みる子は滝沼家に近づくだけで蹴落とされるようなというか実際蹴落とされていたかもしれない、それ相応の者でないと思わせるのに申し訳なさなど一ミリも持ち合わせぬ構えにへどもどしておりました。この日もそうで、もしこのように門前の橋の元で直立したまま静止し、オーブンの中のブタのように佇んでいれば刺客と勘違いでもされ、門にわずかに空いた穴から弓矢で射止められかねません。虚無僧の格好でもしていればよかったかも。後悔は遅いです。インターフォンらしきものはないものですから、結局門前で私はれる子ちゃんを待つしかないのでしょう。このまま一生れる子ちゃんがこの門から現れなかったら私の夏休みはどうなってしまうのでしょう。このまま中学校に上がってすり切れるような部活ざん昧に明け暮れる夏が押し寄せてるのに。私がどん底も胸に篭めていたところでれる子ちゃんがひょこっと門から顔を出しました。「あらあらみる子さん。お早うごきげんやう。」れる子ちゃんは麦わら帽子を深々と被り、オンまゆも姫カットのサイドも帽子のつばの影で見えません。「こんなどうしたのかしらみる子ちゃん。お暑いでせう。門の日陰に入りなさいよ。」とれる子ちゃんは私を門の足元まで誘いました。おうちの屋根を塀の上にどっこいのっけた立派な門でしたから、よくこの屋根を見る度、屋根を謙譲した近所の家がないか町中探したものでした。私はれる子ちゃんの誘いに応じて堀の橋を渡って門へ向かいました。緑色のお堀からは縁日のりんご飴の臭いがしました。私が来るとれる子ちゃんはするりと抜き取るように門の狭間から躰をこちらに出して間髪いれずに門の戸を閉めました。そしてあからさまにその身で戸の取っ手を隠すものですから気になってつい、「どうしたのれる子ちゃん。」と聞くと質問の意図がわからなかったか、れる子ちゃんは首を傾げてみせました。「さう云えば私、先約があるのみる子ちゃん。ちょっとおうちの方であれよこれよとあって遅れてしまったわ。許してくれるかしらね……。こんな暑さで中池のほとりで待たせてしまったからきっと立腹よね。もう家に戻って頬を膨らませて『もうれる子ちゃんとは遊ばないんだから』なんて云われていたらどうしませう。あゝ、私どうしたらいいのみる子ちゃん。」「いやいや、そんなことないと思うなあ……。向こうもれる子ちゃんに何かあったと思って下手に家に帰ればすれ違いを起こしてれる子ちゃんを悲しませかねないって考えてならばいっそのことれる子ちゃん家に行っちゃえなんて考えて来てるかもしれないじゃん。」「そうかな。私が待っている彼女の立場であればきっと家に戻ってふて寝してる筈よ。みる子ちゃんの考えている人は随分と優しい子なのね、いやきっとみる子ちゃんの考え方がとてもよくて、みる子ちゃん自体すんごい優しい人なんだよ。お願いだからその優しい性格来世のイソギンチャクまで受け継いでよね。私来世だとオスのエンゼルフィッシュで、サンゴ町の郊外に住んでるカクレクマノミのカヨ子に片思いする予定(シナリオ)だからさ。」「え、みる子イソギンチャクなの? 生き残れるかな……大丈夫かな。」「大丈夫よみる子なら。とりあえずカヨ子との逢引の際はヨロシク。」「わ、わかった……」「ありがとう、さすがみる子よ。」「ねえれる子ちゃん、だから私来ちゃったんだけど良かったかな。」「だからって? イソギンチャクだから?」「それはちょっと関係ないと思うけど。」「ええ、イソギンチャクは関係するよ。」「あーもー、れる子ちゃん、何して遊ぶの。」「だから私、先約が。」「私がもうこっち来たじゃないの!」もうれる子ちゃんったら。絶対わざとこんなこと云ってんだ。わたしをおちょくってるのよ。心の内で混乱する私を笑ってるのよ。間違いないわ。「ちょっとみる子ちゃん。私に先約があるからって泣き出すの?何考えてるの。やだなやめてよ私の家の前で。」「れる……れ……る、れる子ちゃんの馬鹿!イジワル!!偏屈おたんこなす帝国。」「そう云ういちごみる子は泣き虫共和国よ。国民から搾取して泣かして、王様かお偉いさんは隣国のお姫様に貢ごうとしてるけど振り向いてもらえず毎晩枕に泣寝入りしてるのよ!」「そんな設定混みあわなくてもよくない?」「とりあえず泣くのやめてもらえるかしらん。みる子ちゃんのみっともない姿、私見てられない。」そう云ってれる子ちゃんがみる子に差し出したのは金魚のエサが入った筒状の容器でした。「れる子ちゃん何よこれ。」「何って、これで涙拭きなさいよ。」「いやれる子ちゃん、こんなんで涙なんて拭けないよ。」「なに云ってんのよ。『乙女の涙も金魚のエサ』なんて云うじゃない。」「云わないよ!なんかさ、タオルとかさ手拭いとかさ、他にない訳?」「何を求めてるの私に。何か履き違えてませんか。」「ええ…。」なんだかれる子ちゃんが割と本気で云ってるんじゃないのこれ。私どうしたらいいの。どう云えば正解なの。私はれる子ちゃんに何を云えばいいの。「ちょっと吹き出さないでよ目玉汁。」「目玉汁?」「目玉汁とは太平洋に浮かぶ孤島アッケカランット島の民族料理でアメリカから島流しで送られてくる凶悪犯の目玉をくり抜き、それと鰯の缶詰でダシをとった汁のことです。」「いやキモチワルイからそれは。」「キモチワルイ?みる子ちゃん。貴女って子はなんて井戸の中の蛙(かわず)なの。きっとオホーツク海も知らないのよね。この蛙。」「オホーツクは知ってるよ、それより。」「それより?それより何か大事な―」「お手洗、借りてもいいかな。顔を洗いたいの。」私がぽかっと云うと、筋を断ち切られたのか、饒舌にあれよこれよと語るれる子の口が静止した。静まることを知っていたことに驚きだが、それ以上に焦燥感にも似た汗の垂れる、目の張りようからして、触れてはいけないレッドゾーンに侵入してしまったのかもしれない。そのまま私とれる子ちゃんとは日が暮れる迄門前で静止し合った。蟬の音が耳から侵入し脳みそを揺すり、蚊は私やれる子ちゃんの生足に凹凸をつくった。それでもれる子ちゃんは口を利かずであったし、私も返事を待つべく粘った。とっくの昔に涙も汗もひいてしまった。お堀の蛙の合唱も始まりました。彼らは妙な歌詞を蟬の伴奏に乗せて奏でてくるものだから、変な気分になって吐きそうになりました。やけるよ胸がむけてえくるよ。ぱかっぱかっぱかっ。おりんこダンス。お盛りんこ。ぱぴーがもうひとつついてくるよやったぜ。人は欲がマリアナ海峡してるから仕方ない。猛烈ぱいなっぽー。積乱雲がげっぷをし始め、アスファルトのにおいのする風がみる子やれる子ちゃんをひっ叩いてよろめかせ始めた頃、れる子ちゃんが思い出したように「今日は駄目よ。今日は。赦してね。縁日(・・)の帰りならゼヒいらしてくださらない?」「縁日?」四方木町の役場で行われるお盆祭りのひとつで、屋台が軒を連ねるアレのことでしょう。「きっといらして? さもなくばもう一生その機会は訪れませんわ。」「は…はあ…。」「では縁日の帰りにね。わた飴を買ってきて下さらないかしら。さすればとっておきのものをみる子ちゃんにお見せできるわ。」「わた飴ね…わかったよ。」何もわかってないけど私みる子は了承してしまった。その瞬間、北方の鴉根山に稲光が轟いた。胸を焼いた気分でした。確かに嗅いだ。胸を焦がす臭いが。
 私いちごみる子の暮らす団地は鴉根山から北側へ四方木町から神戸川へ続く通りに十棟そびえていて、どれも六階建てで一フロア九世帯がひしめく集合住宅でその名は四方神住宅。住む世帯はだいたいが(二割近くが)核家族で年収三百万から高いところで七百万円の父親と町外のスーパーから本屋、二十四時間営業のコンビニ、レストランなどでパートを行う母親によって生計がまかなわれる。子供は私みる子のようなひとりっ子から多くて三兄弟。(丸々の三人組が居てみんなが串で刺してまとめたがってるよ。)団地ぐるみの活動において四方木町盆踊、神戸川クリーン大作戰から、毎年指名で小学生各学年から二名、神戸川の対岸の山奥にある秘密組織(只のじじばばの活動団体)である草炭研究会に駆り出されることもある。草炭から発される水分には美容効果、蚊刺されの効果あり、掃除の洗剤、確保分の非常水分として町内を配り廻る危険な団体。だいたい草で炭をつくれたって黒い粉でしかないわ合法的に野焼をしているだけ。おかげで鴉根山の神戸川を挟んで反対側の猪松山はツルっぱげ。校長先生ってみんな北側の山を指差してるよ。猪松山側に住んでるブルジョワ世帯はもっぱら団地ティーンズに裏で「コーチョー、コーチョー」って呼ばれてる。哀れ哀愁歌。クラスメイトで猪松山に住むジョン雅太郎バリ固王君は校長っ気が若くして巻き起こってて誰もが彼の将来を心配に思ってる。こんな腐蝕の激しい町のちっぽけな小学校の長になるなんて、もし仮にジョン雅太郎バリ固王君に天武の才能だとか実は六万光年先の高度に発達した惑星の王子で地球を救いに来た奴だったとか、芥川賞谷崎賞三島賞松本清張賞泉鏡花賞川端康成賞小島信夫文学賞織田作之助賞丸山健次文学賞Bunkamura文学賞読売文学賞ピューリッツァ賞フィリップ・K・ディック賞、ヒューゴー賞キャンベル賞フォークナー賞、フランツカフカ賞and etc……を総なめしてセクハラのノーベル文学賞を蹴飛ばしてジョン雅太郎バリ固王文学賞が世界で最も権威を有してできて、熱狂的愛読者にリボルバーで脳天ぶち抜かれて逝くだとか、そんなものを持ち合わせていたとしても、火星の砂漠で私との思い出を綴ったノートの切れ端(三ミリ×三ミリ)を探すような悲しさがあるってもんよ。実際問題、ジョン雅太郎バリ固王君はコーチョーハラスメントに遭ったのち小5の秋の中ごろにもう枯葉で埋め尽くされヌルヌル要素しかない罰ゲームの極みと化した、プールに息もせず浮かんでたんだっけ。それでも私たちいちごみる子のいるクラスではこの夏休みまで「コーチョーコーチョー」って奏でてて、もう嫌んなって蹴とばしたくなった。ジョン雅太郎バリ固王君は純粋な少年でまだ生の喜びも人生の愉楽も知らぬまま枯れ葉になった。私みる子は校長を許さないし猪松山も許さないし猪松山を校長にしたあの極悪団体指定暴力団草炭研究会を絶対に死んでも許さない。星になれず枯れ葉になったジョン雅太郎バリ固王君の仇撃ちをすべく私みる子は例の草炭研究会に指名されるように担任大林先生にハニートラップをかまして入会した。そこで出逢ったのが滝沼れる子ちゃん。れる子ちゃんは絶品アナーキストでじじばばの余生の愉楽として位置する草炭の製作をことごとく邪魔する。カマに冷水をホースで放つ、草に飼犬の糞を並べ中学の野球部の兄貴にロードローラーでならしてもらったり研究会の拠点を成している小屋と藤棚に放火する、猪松山完全封鎖、じじばば拷問、などなど多種多様で、私みる子の行おうとしていたジョン雅太郎バリ固王君の仇撃ちを代行されたようで以後れる子ちゃんは姉さんと云うか私みる子にとってのマリア様で爪跡でも歯形でも刺し傷でもなんでもつけて欲しいし貧血になったら血を吸ってほしいし指を家庭科とかで切り落としたら私のをスペアでくっつけてくれていいし、きもちわるくなったら私の口に吐き出してくれたっていいし喋るの怠かったら私がテレパシーで受け取って代理で話していいし、というかれる子ちゃんの口になっていいしてかなりたい。マウストウマウスではなく、ウィルビーマウス。あれ英語合ってるかな。まあ、いっか。どっちにしろ中学校で習うしね。
 私みる子の暮らす九号棟五階の七号室の四畳半二間はフロア突き当りで隣の八号棟の部屋の窓を団地の大動脈(通称朱雀大路)を挟んで向かい合わせ。八号棟五階七号室の人間はおっぴろげえで、下校して宿題に手をつけるかつけぬかみる子が迷ってる間にカーテンを開け放たれたままにお風呂に這入る準備を始めちゃう。彼女の部屋の丸見えのリビングで。私みる子の勉強机は丁度窓の目の前にあって、ほぼ目前で女の人がおっぱじめているの。初めて見たのは彼女が越してきた私みる子が小5の夏。湯だるまか焼豚になるようなぐらつく暑い日だったから究極の冷房かと思ったら、それから毎日続いて年をまたいだし冬を越えたしまた夏が来てしまった。女の人は決して若そうには見えず、スーパーのレジ打ちをしてそうなパートのおばさんで絶賛反抗期息子と夜遊びに夢中で冷めきった夫に挟み撃ちにされているのか顔の肉が垂るんでブルドック。肌のハリはなく、黄ばんだ水の袋を躰中に埋めこんでるのかな。彈力は窓枠に押しつける太ももの潰れ具合からして察しできたよ。彼女はあらかた片付け、バスルームに出陣する前に必ず私みる子の方、九号棟の部屋をいまにも決壊しかねない涙目で見つめてくるの。絵画を張りつけたみたいにぴくりとも動かない。だんだん私みる子の方も涙ぐみそうな悲しさが匂ってきたら、それを見計ったか「してやったぞ。」と云わんばかりのニンマリ顔を残して窓の前から消えてしまう。宙吊りのままにされた気持で私を返して欲しいっていっつも思う。なにがしたいのかしら。全然宿題が手につかねえわ、この野郎。ママにある時その見つめ合う障子越しに覗かれてしまって妙なことを云われた。「あんな大人になっちゃいけないよ。人間ってのは、いつになく強く生きてゆかなくてはならないのよ。」私みる子には強さなんて必要とは思えなかった。気になって梅雨の夕暮、傘を八号棟の玄関に放ったらかしに、彼女の元へ訪ねに行った。よくもまあみる子がそんな社交的な動きができるって感心した? なんのなんの。れる子ちゃんに私がこの件を話した際に「なら行ってあげたら。てか行きなさい。さもなくば絶交して大西洋に沈めてあげるわ。」と強要したからなの。後にも前にも、もうこんな真似なんてしないだろうと私みる子の人生五十年分の勇気を全部使って挑むと、女の人は快く私を部屋の中へ招き入れてくれた。彼女には一種の不気味さがあった。私みる子に全てを見せびらかしているのだから今更ではあるけれど。彼女の名は道町マチ緒で夫どくろ川むくろとの間に子ができないことについて嘆いていたから子どもへの憧れや劣等感などごちゃまぜになっていたから私に見えるように慰めてもらうために見せびらかしていたと私みる子に説明してくれた。当時の私には子どもが一体全体どんな風に出来るか知らないしわかんなかったし、できないのは何故かなんてデリカシーのないことさえ、遠慮もなく聞いてしまった。マチ緒さんは私の頬を撫で、「大好きな人と深く愛し合えば空の遠くから鴉が黒いビニル袋に赤ちゃんを包んで連れてきてくれるのよ。」と答えてくれた。みる子はこれ以後道端で鴉に会うたびに将来はお願いしますなんて随分先のことをあらかじめいまの段階で頼んでおいた。もちろん鴉は「は?」みたいに頭を傾げるから伝わったから心配だった。「私の躰はどこか欠陥があるのよ。ちょっとまえにこの団地でも流行ったのよ。結構みんな、夫婦じゃザラにあるみたい。」そりゃ大変だ、と私は恐れた。「愛が鴉に聞こえなくなるってこと。」「そうね。」「沢山人が居るからね。」「そういう問題じゃないのよ。」マチ緒さんは私に抹茶のサブレットを出して、紅茶をいちごミルクで淹れてくれた。サヤ当てにされた心地がして、思わず「そういえば私の名前はいちごみる子って云うんです。」って答えたら、マチ緒さんにっこりして「知ってるわよ。」とサブレットを口に入れた。粉が宙を舞って湿気ったままマチ緒さんの膝に散らばった。「盆踊りでまで待つしかないわ。どくろ川むくろさん、もうだめかもしれないけど。」とぼやいた。なんでえって伺うと、大人の問題よみる子ちゃんと返し斬りに逢った。「縁日(・・)次第かしら。」縁日が流行っているのかもしれないわ。赤い糸。私みる子が縦糸なられる子ちゃんは横糸かしら。
 嵐が過ぎ去った十二月一日の晩ごはんの席で私みる子のパパとママが何か共謀してるわ、って一瞬でわかって身構えさせるような顔をするから夕飯の献立を聞く調子でその微笑の正体を暴こうとすると、麦酒を瓶でラッパ飲みをする頬っぺ真っ赤なパパが「喜べみる子、兄弟ができるぞ。」って陽気な声で宣告してきよった。雷。落雷。稲妻が身を貫いた。は? Why? 何故このタイミングで? んん? え? 鴉さん来よった? 違うの鴉さん、お願いしたのはそういう意味ではないの。これは発注ミスだよ。FAXの番号を間違えたとか、記載面とは逆に通して白紙を送ってしまったとかそんな感じのだよ。弟?妹?どっちも嫌!!一人っ子歴十二年のみる子に今更妹or弟なんて現れては困る。何考えてんのパパ。あ、きっと麦酒で悪酔してるんだ。ねえママ、なんとか云ってよ。「みる子、お盆が過ぎればあなたはお姉ちゃんよ。」いやいやいやいや、早くない? え? 早くない? ママのお腹ふくらんでないし、鴉来る予定とかわかるの。「妹? 弟?」と私がおどろおどろ聞くとママはまだわからないわと上の空。なんかフニオチナイ。オカシクナイ?訳わかんないんだけど。急なんだけど。ねえママ。私の部屋はどうなるの。私来年中学生だよ。知ってるってそりゃママなんだから知ってて当然でしょ。え、私はどうしたらいいの。一人っ子を卒業しなきゃいけないの。私にはまだ心構えができてないって云って自分の部屋に逃げ込み、学習机の下に潜りこんだ。すると門構えがとんできて、パパの仕業で「泣くなら外に出てそれに潜ってなさい。泣かれては部屋の湿度が上がる。」なんて怒鳴ってみる子を玄関へ追い出した。意味がわからない。鉄製の玄関扉の鍵をかけられた。吹き返しの風が強く、ひゅうひゅう空気を奏でながら玄関だらけの廊下をかけ抜けてゆく。足元のタイル張りにカナブンが何十匹も集って会合を開いていて、天井に取りつけられた冷たい蛍光灯に蛾や蚊が数えきれないチリみたいに集まって滞っていて、時々ふい打ちがてら私みる子の血を貰いに飛んでくる。戰争だった。
 昨々年あたりだったかしら。団地に住む二十九歳の梶原真依さんと梶原恒夫さんとの間に産まれた子の事件。マチ緒さんの云うところの鴉さんの配送が雑だったのか配送先を間違えたのか産まれた赤子はとてつもなく魚の面に近かったと、と云うか諸々魚で、人間で云う首にあたる部分にナイフで孤を描くようにして両端に切れ込みを入れられていて、頭部は鼻先から口元にかけ前方と突起し、目玉は瞼から浮き出ては両目の間の距離は遠く、というか顔面の底面すなわちもみあげにあたる部分にぽっかり穴が空く形でぎょろぎょろ蠢いていたという。真依さんは自宅のアパートに隣町で助産婦を行う友人産川透歌に来て貰い自宅での出産を行ったという。あれ、マチ緒さん? 鴉は? 何故真依さんが最上階のアパートでわざわざ出産したかと云うと上り下りもあるけど一番は扉から出られない体格になってしまっただけであって、出産の三日前からはリビングのソファに縛り縫わされたかのように動けなくなってしまったのである。いざ陣痛が轟き始めると、その響きで部屋の花瓶を全て割る結果となり、彼女の痛みに対する喘ぎもしくは絶叫は産川透歌の鼓膜と豊胸手術で膨らませていた乳を破裂させることになった。目と鼻の先で胸の破け散る様を見てしまった真依さんは失神。力なく腹の下が垂れたと思ったら羊水を吹きだしながら子宮からぬくぬくかき割けるように魚の頭部が真依の股の間から生えた。
 この頃から不妊症の話が口々に団地に広まった。私みる子には何かの病気なのかななんて思って無邪気にママに向かって「フニンショウって何。」って聞いたらまゆをひねらせて油汁をしぼり出して「まだ早いわ。どこで聞いたの。」と押殺した声がして思わず謝ってしまった。団地の広場のママさん会合で小耳に挟んだだけなのに。しばらくして最近マチ緒さんに聞きに行ったら「それは鴉に好かれなくなっちゃってるのかも。もっと呼ばなきゃ。」って答えてくれたから、きっと鴉の人間離れなのかもしれない。もうマチ緒さん大好き。
 縁日には浴衣を着て挑みたかったけれどママと喧嘩してるから無理だった。妹やら弟やら、急すぎるのが悪い。蟬のコンサートもおわり、オレンジの光線がひときわキツクなったころ、レモンイエローのキャミソールをひっぱり出して、麦茶を一杯飲み干してなしくずしのおこづかいを使い古したキティちゃんの詰め込んでサンダルに短パン、ちっちゃな肩かけ鞄をひっさげていざレッツらゴー!!縁日の会場は中池と四方木団地の境の通りから団地の真ん中に位置するちっぽけな道池公園まで続いていた。道池公園って云うから池があると思いきや埋め立てて遊び場の運動場みたいな赤茶けた土をまぶされている。時々牛蛙が干からびて死んでいる。昔を思い出してしまってまだ池だって勘違いしてるのかもしれない。道池、中池、滝沼家のある処にかつてあった大池の3つが戰前にはあったんだけど当時の道池の地主の道池さんが事業のために埋めたててしまったって長老なゴミ屋敷のシシバアが教えてくれた。道池さんが大池中池小池とあったのを、滝沼家への劣意から継ぎ場として道池と改めたため、道池の浮いた感触がにじむ。
 赤青黄紫緑桃と、色鮮やかな露店が空を突き上げる柱のような、お面、水飴バナナチョコ鈴かすていら焼きイカ焼きぬたうなぎ、辛草心中飴、水風船、わた飴などをゴシック体で記された旗を翻し、無数の甘い辛いこげくさい、鼻につく多種多様の臭いが折り混ざって頭はクラクラ。犬も歩けば棒にあたるって云うけれど、人混みの中で私いちごみる子があたったのにゃなんと人面犬で、ぶつかったことを謝ると舌打ちしてきよる。人面犬は不思議なことに浴衣を纏って扇子を片手に、犬を連れていた。いやよく見れば躰が成人男性のそれで、頭部だけドーベルマンというちぐはぐさ加減で舌打ちのことなんて忘れてしまった。目を白黒させてストリートを上る形で進むとお面売り場が右手に見えて、狐や猪犬、牛鬼、ぬたうなぎ、蟻、バラク・オバマ、チョウチンアンコウ、リュウグウノツカイの細長かったり被れば前方に突き出で歩けなかったり全長二メートルに空へ抜けてたり、只のデスマスクであったりロクなものがない。反対側に焼きぬたうなぎとバナナチョコが売ってたんだけどどう見てもヌタウナギにチョコレートがたらふくかけられていて焼けトロけたバナナが鉄板に張りついているだけなんだ。その隣の紫色の屋根のテントの夜店は百引きおみくじがあったんだけどヒモが全部蛇のボディに見えて絡み合い犇き合ってるから誰も近寄らない。日が完全に暮れて通りを照らしている明かりをふと探すと地上から三メートル程のところで数珠つなぎに道に沿って浮いている無数の提灯の龍はそのまま中池を照らして滝沼邸の方へ続いていた。いつもよりも中池と邸の間の林が茂っているように増して見えた。夏の所為かしらんなんて雑草を見るとしおれて枯れていた。滝沼邸の後ろの鴉根山はぐんぐんと入道曇のように伸びてこの縁日を見張っているようだった。メインストリートは牛歩の極みで、団地の人々でごった返し、りんご飴だとかバナナチョコを買っていられる有様武郎ではなかった。みる子はこの団地にこんなに人が居たなんて思ってもみなかった。何往復して滝沼れる子を探したけれど何百と何千と居るんじゃねえのって有様きよしだからわた飴買うにも買えずさてはれる子ちゃん来てなくて滝沼邸から一般ピープル・ヘイズをウォッチング? 蟬の雨が始まれば軒を連れて狂乱を蝕むだろうからそれを危惧してるのかな。辺りを見廻しても蟬は見当らないね。いやひょっとしてこの縁日の有様かすみを蟬の雨と喩えているのかしらん。ブリーフ一枚の生まれたてなの僕ちゃんって感じの中年男性が四、五人が闊歩して山の方へ登っていた。皆揃って頬を赤らめていて初めは恥らいかしらならなぜブリーフ一枚だって思って笑ってあげようとしたら貰いゲロきそうなくらい酒臭かった。遅れてチャイナ服姿で私みる子より四、五歳の童子が二人、つりざおにタンクトップやらジーパンをひっかけて翻させて後についてきた。やきとりやポテトサラダぬたうなぎのミンチ、きくらげの踊り喰い、指の詰めもの娼婦の爪の垢スープなどごった煮にしたゲロが洗い流されきれずにその害臭として男たちの衣で縫われた旗から臭った。食欲が地に墜した。もう起き上がれない。ねえしっかりしてよ食欲。立つんじゃ食欲。返事はなく横たわる食欲くんを揺り動かしてみると彼はくまが口元まで伸びきった顔面から生卵みたいに目玉が零れた。そっからが面白くて夜店に売られてる全てがぬたうなぎにしか見えなくなっちゃった。韋駄天ダッシュで神戸川へ下って吐き出すと出るものは消化途中の昼ごはんで、食べた筈の素麺が全てみる子の腕くらいの赤茶けたぬたうなぎ。吐き出したぬたうなぎを見てまたぬたうなぎを吐き、それを見てまた吐いて。胃が軽くなったらどうも地面に縛りつけられていた足が離れ、フヨフヨと躰が宙を滑るから水泳の要領でメインストリートを進むと前方に迫る巨大な物体に包みこまれなんぞと離れようとのたうち廻ると、直径二メートルばかりに膨らんだ水風船で、白地に迸った赤や青の線が不気味に生々しくて肌に張りついて離れない。仕方なくしがみついてると雅な天狗がタクシーで横切ってきたから団扇と光る竹の杖を貰って推進力を手にすると天空へ突き抜けた。南西に浮かぶ入道雲を光る竹でかき混ぜると百年ぶんのわた飴ができたから中池のほとりに提灯の龍に沿って降り立った。中池に半ば脚を入れ、浴衣を濡らし少しずつ深いところへ進む妖しげな女の影が私、みる子の目に映ったから思わず絶叫したらふり向かれて、見れば、あら、れる子ちゃんでは!?何してるのって伺えば「え、みる子ちゃんが遅いから沈んでたのよ。」見ればもう腰のそこまで水面が上っていた。「いやいやごめん!!みる子、れる子ちゃんを見つけられなくってさ、ごめんね。」と私みる子が慌てて謝ると、「あれ、浴衣じゃないのねどうしたの。」「ママと喧嘩した。」「馬鹿ね。馬ね。さう云うてさては鹿かしら。」「どっちでもないよ。」「まあいいわ。まだ縁日は終ってないわ。」「確かに。」「早まったかしら。」「れる子ちゃんがね。」「私が?」「え、いろいろ早まってんじゃん。」「私が?馬と鹿の大冒険か。」「いやスペクタクル曲線。」「クリスタルスカルのじゅん吉。」れる子ちゃんの「クリスタルスカルのじゅん吉」の発語が合図だったか水面は神々しく照り輝き、現(うつつ)を吹き飛ばした。眩む視界はしばらく世界を揺すり上げたみたいだけで目が慣れるとれる子ちゃんはぽっかり消えてしまっていて、慌てて背の高い雑草のしげみを深ったり通りすがりの河童さんに中池へ潜ってもらったりしたけれど、全然見当らない。参ったとお手上げ。すると鴉根山の方からふつふつと妖し気な蒼色の怪火が浮き上がってきて、いっせいに牛蛙が叫び始めた。合掌して納めれば次に林の奥から、妖し火の斑々、わわわあら、焼きぬたうなぎの盆踊り、「チチチチチ…………。」と送り雀の警鐘。大首か二体、転がりて中池に這入ればシンクロナイズドスイミング。振り向けば先の人面犬。くり返し聞こえる「チチチチチ………。」水風船が破裂してしまえば徒歩。人面犬が入道曇のわた飴を蝕み始めた。中池を出てメインストリートから鴉根山への舗装されたアスファルティックな道路を行っても良いが埋め尽くすまでの人々の百鬼夜行にへどもどするから目前の中池のほとりから滝沼宅へ続く林の中へ分け入るしかないっちゃーりー・トニック。「わ、わん、わん。」と図太く根っこをひっぱってるような低い声で人面犬が私みる子に続く。リードに引っぱられてドーベル顔の人間は白目を剥いて泡を吹いていた。夜の林ほど得体の知れないものはないけれど足元の沈む感触ぬたうなぎの群かもしれないって思ってたら怪火でわかったけど枯葉の積み重ねで埋まれた天然のトランポリン地面で時々ズボって沈んでは抜けない。その度に送り雀の「チチチチチ……。」が本格的にくり返し鳴るものだからいちいち「ちょいと憩息。」って云い訳をしたら肌寒い冷気をもった風が木々を揺らしてすり抜けるからみる子弱った。キャミソールだから蚊の格好のごはんで、ひょっとしたらみる子は蚊の輸血袋だったのかもしれないなんて悟っちゃってなんなら全身の血に毒を回して蚊に死んでもらおうかしらって土まみれのわた飴を喰らう人面犬に聞いたら「いいんじゃないすか、はい廻し用の毒っす。」ってドクロマークのレッテルを貼ったこげ茶色の瓶を寄越したから給水がてらぐいぐいって飲んだらああ潤っだあ゛あ゛あ゛あ゛っっってなってのたうち廻っちゃったから、送り雀が「あれこれって転んだってことでいい? いい?」ってチュンチュン聞いてくるから私みる子は違うから! 違うから! 毛づくろい的な奴だから!!寄生虫追っぱらう犬が背中を地面にすりすりするでしょあんな感じのだから! って弁解したら人面犬が突進秒読みって感じだから喉が焼けるようだったし全身しびれまくって力はいらないけどそばの松の木につかまるようにして立ち上がると通りすがりの粉ふき蛙小僧が「かごめかごめかごめ。」なんて云い出すから義経馬力で林の中を駆け上るとあれま、脚が取れた。迫り來る人面犬と粉ふき蛙小僧にむけて天狗に貰った団扇をひと振りすると林はなぎ倒され、夜店も神戸川まで吹き飛ばした。取れた足を拾ってどうしようどうしようってしてたら生霊になった私みる子のマリア様ことマチ緒さんとすれ違って足を縫い合わせてくれた。解毒剤も渡してくれて何者なのかしらマチ緒さんと拝み倒すと、私なんだかんだ処女だからさって私よりもキャピキャピのとびっきりの瑞々しい笑顔で答えるから魔女なのかもしれない。安直大英帝国。滝沼家の門前に辿り着くとマチ緒さんの生霊は私みる子に桃色の子葵文様の浴衣を着せてくれた。紺色の帯を巻いてくれて、中に天狗の団扇を挟んだ。
 堀の蛙は静まっていて、門の奥にそびえていた内壁は見えない。まるで門の中身を彫り取ったのか。門に向かおうとすると、母車をひく、若い娘とすれ違った。私みる子でさえ溜息も漏らし、厠へ駆け込みたくなる絶品の顔だちが真白のつばの広い帽子から垣間見えた。引力にでも躰がもってかれたか、近づくと酷い顔、安闇に浮き出(い)でる真白い肌はこうも眩しくみる子に映った。もう少し見ていたい、というか是非ともお友達でも知人に欲しい、なんて考えてすり寄ると、娘は顔をしかめた。ちょいちょいそれではその高尚な尊顔が見えない、としゃがんでまで覗き込むと、その果てには細かく刻みこまれた何重もの皺、カピカピに乾燥した剥けた皮を張りつけた唇、折れ曲がったにんじんの鼻、突き出た一対の目玉、手入れもされず無用心に伸びて乱雑な髪の中ににょっと顕れ絶叫。腰を抜かしたみる子はほふく前進で門前に至り着き、転がるように中へとなだれ込んだ。母屋へは石畳が続いているようだが母屋にあたりそうな位置にそれらしきものは見当らなかった。見渡す限り風車(かざぐるま)が幾重にも列を成して自ら回転していた。風に吹かれて廻る風車が自らの力をもって回るその様が異様であった。その群れの中に童がひとりこちらを眺めて立ち止まっていた。楝(あふち)色の水干姿で揉み烏帽子のかわりに大飛出の能面を左耳から側頭部をカバアする形でななめにかけていた。背はみる子よりも頭二、三つばかり低い。風車を手にしていた。童は私と目が合うといちもくさんに奥の方へ駈け出して行った。追いかけてみると外壁の淵に至りついて観音開きの扉が見えた。障子越に人の騒々が鳴って、勢いよく引こうと取手に指をはめこむと貫いた。ウェーハースのようにばりばりと割るとそこは大勢の百鬼幻乱の酒場で浴衣姿の女々は衣を乱しながら酒のシャワーを浴びて踊り狂い、男どもはそれを肴に私みる子の胴体ほどはあるジョッキを垂直に流しこんでいる。先のみる子の胃袋をぬたうなぎに変化(へんげ)させてなしくずしに吐き出させたブリーフ隊も見えたが誰よりも先に酔いつぶれたかしてわずかな下着をフックに吊るされて見世物と化していた。人々のごった返す先に大きな水槽が水を張っていた。水槽と云うか、こりゃ銭湯の湯船かな。その先に大きな明朝体で記された「子宮」という看板が並べられた円形の屋根が張られた小宮が建っていて、屋根の下に汚れひとつ影ひとつ見当らない純白の極みの透けかけた薄手の衣を纏った女が安楽椅子に坐していた。女の目線はうつらうつらで定かでなく宙を撫でているようでした。みる子は目線のマッチングをこころみましたが、無謀でした。湯船を覗こうと近づこうとすると、「おいみる子。」と根太い声が左手からしてまさかと思えばパピーがジョッキに抱きついてマッチで組まれた椅子に力なくもたれていまして、私みる子の呆れ。パパはこれでもかとはちきれぬばかりに火照っていて、意識定かに私みる子をみる子と気づくことができたことに驚き桃の木最初の木。「なにしとるだみる子。夜店の方におるだらと思とったが。」汗をだらだらかうジョッキ越しにパパを見るとその蛸顔を乱反射させて不気味なキメラでした。「友達に呼ばれてて。はぐれちゃった。」揚応もなく機械的に答えますと、「ふ~ん、まあでももう遅いし帰りなさい。どれ、今車の鍵だしたるけん。高齢ドライバーには気をつけろよ。」「いやいやパパ?」「ん? なんだい? 帰りにアイス買ってもいいぞ。」「いや、あのねパパ。私小学6年生だよ。」「そうだね、ほら車のキー。」「いやいやパパ。私免許もってないよ。」「嘘だあ、持ってる癖に。」「持ってないです。」「親に嘘をつくのかお前は。」「パパ酔ってるのよ。」「パパは酔ってない。素面だ。」「絶対酔ってる。」「そうなの。」「ずっと酔ってるのよ自分に。」「そうなのか……。」「そうよ。だから私なんか貰うために鴉なんか呼んでしまう。」「パパのこと、そう見えるのか。」「そうよ。」パパはうなだれてマッチ椅子をへし折って床にへばりついた。ロードローラに轢かれた蛙みたいに。ペラペラになってしまった。私が頑張ってひっぺはがそうとするとどこからかママが転がってきて、「触らないで!!丁度いいわ。そのままにしていてみる子。」と制して私を湯船の方へはじいた。頭からもぐってしまうと懐かしい羊水の中。むせかえしながら乱れる髪のあいまからママを私は睨んでしまったの。「なによその目はみる子。」ママは私の浴衣の袖を掴んで「どこでこんなの手に入れたの。なんであなたがこんなの着てるのなんであなたがここに居るのよ! 私みる子ちゃんは何も答えなかったよ。うん。ママは呆れて振りほどいてパパを円形のワクに合わせてぬたうなぎの粘液と凝固材と草炭を混ぜた草炭研究会のつくった特製のりで止めてゆく。どっかで見ればこりゃ「すくい」だ。ママの奇行をぎょっとドン引きして太ももに何かおびえをツゥ~と垂らしてわきにだらりだらりと流して首筋に棒つきの氷菓子を出し入れされている心地を描いているとよく見ればまわりの似た男女の夫婦らは男を女は丸いワクに引きのばして特製のりで止めているではないかーる憲法。ごはんの前は手洗いをして食べた後ははみがき!!ってテイストの常識的情事で、相手も居ない悲しげな私は只異様の中にこつ然としてたたずんでいる、砂漠の渦の一本の弱弱しい木なのである。入ったときからあるいは入るうんと前からの喧騒は停止ボタンを誰か押してしまったかのように静寂で、女が男の膜を構えている。じりじりと女達は湯船の方へ集まってゆく。揉まれながらも何とかして流れついたテーブルによじのぼり、水槽を覗こうとしたところで、子宮の中の女が力み始めた。音楽の先生が実演してくれた過呼吸みたいなプレッテシモウのきめの細い息を女が始まり脚を開き膝置きにのせ始めた。赤みがかったのは女の人だけでなく水槽だって会場の女たちだって私の頬だって。あああああああああと獣のそれみたく絶叫する女は神に祈るぐちゃねちゃむちゃのちゃんぱぴーぱぴーぷーちゃらきゃん。胎児の歌聞きたい?さうね。母性の音色が空気を熱して焦がして砕いてゆく。とろけた宙がだらけて頬をかすめてゆく。湯船に水柱がいくつも勃ち上がってくり出される波の壁に「すくい」を握りしめた女たちが雄叫びを上げてのめりこんでゆく。あれよこれよと女らは自分の男をひきのばした「すくい」で絶叫女の産んだ「金魚」たちをすくい上げてゆく。駆け巡る水柱は股の臭いを放ち、魚の卵のようなものを含んでいて円形の膜の中にはスーパーチャイルド。「すくい」が破れるのが先か、「金魚」ちゃんのしゃぼん玉が割れるのが先か。龍か蛇の間違いか、いや、こりゃぬたうなぎな水柱の中にふよふよと浮かぶまるいまるい「金魚」ちゃんとふと目が合った。酷いまでに私と瓜二つ。てか鏡でしか。でしか。じぇしか。じぇーん。そういう君はパトリック。よお元気かそんなこと云わずにハッカあるかよあるわけないだろなんだ仕入れていないのかよ聞いたかじぇしか。みる子にしか見えないいくらみたいの膜の中に浮かぶスーパーチャイルドはぶくぶくとぐねぐねと肉を犇めき蠢いて化けてゆく。優雅な花魅の袖の揺れにも似た尾びれがなでやかに放たれ、はちきれんばかりの体は赤色にしかし金属的な輝きをうろこが天空を泳ぐ提灯龍の朧ろな明かりに輝いていた。多分血の色に似たボディなんだろうけど私みる子にはくどいくらいのゲスもドスも効いたしつこいオレンジ色にしか見えなかった。麗しく膜の中で泳ぐ金魚ちゃんと再び眼が合ってしまうと、彼女はにんまりと微笑んでみせた。どうにもこうにもああにもいいにもううにもええ? ええん? んん、とりま、放っておけなくなっちゃって転がってたセブンイレブンのビニル袋に金魚ちゃんをすくい上げてみた。すぐ左視界隅から雄々しい私の掴んだ袋をかすめ取り中身を盗みとらんとすけしからん馬鹿女が横切って避けようとして私みる子の身を翻してみると背を馬鹿女の持っていた「すくい」のワクをぶつけた。地に倒れてしまった私みる子に馬鹿女は飽き足らず「すくい」を身より高く持ち上げ、薪を割るみたいに叩きつけた。ビニル袋は私みる子の腹の下にすべりこんで地面へと中年臭い男でつくれた膜に金魚ちゃんもろとも私は押しつぶされてしまった。茶色の膜越しに見る会場の「金魚すくい」は惨場でした。胎児が勢いよく男の膜によってつぶされ、女は喜々として叫び散らして走り抜けてゆく水柱にフォアハンドでぶつけてゆく。潰れた胎児がむなしく地面に転がって、すぐにその上を女どもが走ってゆく。血の水たまりでしかなくなった胎児の骸から未來の匂いが失せたのです。残ったのは喪失感でした。運よくすくい上げられた金魚ちゃんな胎児を、女たちは間髪入れずにそのか弱い喉へすべりこませてゆきます。なかには五つも六つも入れたのか破裂寸前の巨大腹になってのたうち回る女も居ました。女は先の子宮のそれと同じような獣の音を上げてあばばばばばしました。女の足の間からとびでた赤子はちょいとして立ち上がり気絶した女の胸元にとびついてゆきました。
 祭りのあと起き上がると私のお腹につぶされた金魚ちゃんの姿はなく、というかビニル袋ごとありませんでした。あーあと嘆いて家路に就きました。滝沼れる子ちゃんは中池で見たっきりでした。家に帰り、マチ緒さんから借りた浴衣を脱ぎ、シャワーに入るとお腹から生えるビニル袋の取手の切れ端を見て、私みる子はぎょっとしました。私の中で何かが蠢いている。ツゥーっと生足の内側に赤透明なタレが線をひきました。

 数日が過ぎて夏休みが終わり数ヶ月が過ぎて小学校が終わり数年が経って中学校も終わってしまいました。軒下みたいなコンビニすらないちっぽけな四方木町をとび出して隣の隣の隣の町にそびえ立つ公立高校へ私は進学しました。弟はむくむくと育って来年幼稚園でママもパパもずっとつきっきりで私がどんな受験勉強していたかなんて知らないでしょう。自転車で通えば一週間の内五日で総走行距離百キロメートルを越すものですから自転車の修理はしょっちゅうでした。
 中間考査2日間の数学Ⅱと古典にボロ負けしてピアゴに流れついていちご牛乳のパックを買って併設のフードコート丸テーブルの席に腰かけて、3日目のテストの大好きな日本史のノートを開いていると私立のブレザーの制服を着た私くらいの女の子が向かいの席に坐りました。彼女はノートのそばに置いてあった私ののみかけのいちごみるくのパックを手に取り上部をひっぱって開けて、まだ十分残る中へ彼女の咥内のものを吐き出しました。そして真夏の太陽みたいな笑顔でパックを私に見せつけるのです。ピンクがかった牛乳の中に何十匹かのぎらぎら輝く血の色をしたぶくぶくと溺れてゆく金魚でした。私はそれを見てしまって思い出したようにお腹が痛くなりました。
腹に生えたビニル袋の取手をブラウスから撫でました。
                          (了)

本作は、2年前に執筆したものです。掲載したサークルの部誌が事実上絶版なのでこちらに載せちゃいます。

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