團歿日乗1(仕切り直し)


文字通り仕切り直しである。これを起こし始めたのが2/22で、投稿しようとしているのが2/25の昼間なので早くも仕切り直しの仕切り直しなのではと暗雲が立ち込めているが容赦いただきたい。もっと体たらくに打ち込みたい。


2/22
 仕事。今週は有休を入れた日も相まって祝日と押し込むように三日で納めないといけないことがあり久々にキリキリする仕事だった。
 夜にひさびさにフォロワーとグルチャした際、かれはざーさんがTwitterで好き勝手言ってくれるから僕はnoteで好き勝手できるというような意味のことを言ってきた。私なんかよりうんと時と場所をガン無視して好き勝手言っている輩はよくいると思うんだが。
 心身の健康のために日記、ジャーナルをつけるというのは良いことみたいな話になった。あんまり継続して物事をすることがうまくできない性分というわけではないはず(筋トレも禁煙もなんだかんだでもう少しで一年になる)なのに、これまで何度も日記に関しては頓挫を経験している。筋トレや禁煙と違って、私の中で日記というものはあまり重要ではないのだろうか。日記はどちらかといえば筋トレのような能動的な縛りだ。禁煙ということはタバコを買わなければ良い、タバコのある空間に行かなければ良い。まあ私の場合同伴者が喫煙を始めようと「一本くれへん?」と言うことはないほどに禁煙は達成しているものだが。日記を書こう!という意思の元、それは開始される。少なくとも私にはそうなっている。逆に日記を書かないということを意識的にすることは禁煙に近いのか。そうではない気がする。意識的に禁煙をしようという感じではないのだ、やめよう!という意識で私はしているのではなく、単純に吸うことを選択肢から、あるいは日常の常々の中から弾いたのである。
 さてフォロワーとのグルチャ、ディスコードでの通話ではあったのだが、先週私が東京に行った時のことをたくさん話し込んでしまったのだが、ひと段落したところでフォロワーのフォロワーがわんさか入ってきてくれて、やがてしばらくフォローが外れて私が一方的にフォローしてる東北のネッ友が顔を出した。久しく話していなかったのだがフォローを返してくれた。彼は私が大学3年くらいの頃にベケットとかボラーニョとか読んでた頃に当時本読みの界隈で気がついたらいた人で、本の趣味が近かった。音楽の趣味の影響も濃い。各国のプログレバンドを紹介してくれたのも彼である。しばらくして消えたり出てきたり、自殺未遂も私が知るうちで2回くらいたしかしている。鯖くん同様に私がフォローしてる人は大体自殺しようとしても死に損ねるなんて一時期豪語していたが、本当に自殺に成功してしまったフォロワーが自殺してたとか死んでいたとか気づくにはかなり時間がかかることを私は後年知るのだが…
 と、古い友達と再会したような歓びを覚えつつも睡魔やら風呂やらで聴いているのか聴いてないのかわからない通話になってきたうちに私は通話の参加を取りやめておちおち眠りについた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?