縄のさがる部屋(1)

「この間、自殺しようと思ったんですけど」

話を聴かせてくれたのは畑(はた)さん。
ごく普通のサラリーマンと聞いていたが、彼は最近、死のうと考えていた。

「いやぁね、それが。死ぬ時って気力がないと死ねないじゃないですか。わかります?」

ああ、それはそうですね、うん。
と、僕も何となく覚えがあったのでそこは相槌を打った。

死にたい時、生きている何割かの人間なは何となく心当たりがあるかもしれないのだけれど、気力があって「死のう!えい!」と思えるある程度の元気がなければ人は望んだとて死ねないのである。

本当に心の底から死にたい瞬間は身体が動かないし、死のうという選択肢が脳から消えてルーティンをこなすように日常を繰り返してしまう。
感覚的には逃げられないループに囚われたような気持ちになる。

もちろん毎日全て同じではないのだが、区別がつかず摩耗していく。
同じ事を繰り返しているような気になるし、食事もさっき何を食べたのかさっぱりとわからなくなる。
会話も覚えていられない、時間を確認しようと思って見た時計の、数字が、理解できない。

そういう環境にある時、そこから抜け出す最後の“ええい”という掛け声と共に人は死ぬのだ。

「まぁそれで、死のうと思ったんだけどもあんまり元気がなくて、ちょこちょこ小分けに死のうと思って」

笑ってくださいよ、最悪な話で。
そういって畑さんは一枚の写真を見せてくれた。
縄。

「これでちょっと、吊ろうと思って」

半年以上前。
彼は仕事終わりに深夜までやっているホームセンターでいい塩梅のロープを見つけると購入して帰宅した。

「今日死のう、とか、そういう元気まではなくて……」

テーブルの上に新品の縄を綺麗に並べ、買った事を忘れないようにするためだけに写真を撮った。
この感覚に1番近いのは、いつかの災害のために防災バッグを購入して仕舞い込んでおく感覚に近い。

「疲れてたから、その日は縄を押し入れに突っ込んでお風呂入って寝ちゃったんですよね。で、またそのうちカメラロールの中身を見返した時に思い出すだろって思ってほったらかしにしてたんです」

この日から2ヶ月ほど経った頃。

縄の事はすっかりと忘れていた畑さんは、とある休みの日、カメラロールの中から縄の写真を見つけて“あっ”と言う気持ちになった。

そして、なんとなく行動する心持ちがあったから押し入れから新品のロープを取り出すといそいそと死ぬ準備に取り掛かったそうである。

「こう、ほら。いい感じに輪っかも作れたんですよ」

自室のカーテンレールに輪っかのついたロープがゆるりとぶら下がっている。
ちょんと指で揺らすと電車の吊り革のように揺れたから、その日は満足して寝てしまった。

今日ではないなぁ、というそれだけの事。

ただし、用意さえしておけば、死にたいという勢いがある日に死んでしまえるだろう……とそういう算段。
感覚としてはやる事のない一日の昼日中に急に思い立って普段やらないような掃除を始める、という感じだろうか。

「それで縄の下がった部屋で生活し始めたんです。本当に嫌になった時にいつかあの縄で首を吊ればいいやと思って……」

畑さんは自室にいる時はだいたい何となく縄を視界の隅っこに入れながら過ごした。
輪っかのついた縄が下がっているからと言って、特にすぐ死のうという気持ちにはならず。

一見すると異様な光景だが、彼にとってはただただそこに縄があるだけ。

最初の数日間は“首吊り縄だ”と。
見るたびに“おお”と思う気持ちもあったわけだが、何回も見ているとその気持ちも薄れてただの珍しいインテリアのように成り下がってしまった。
自分を殺すための道具も、見慣れてしまえば電灯の紐と同等にしか思えないのだ。

それからまた、縄を放ったままにして何ヶ月か経った。

夜、11時はゆうに過ぎた頃。
彼はいつも通りに遅くに帰宅して自室の扉を開けようとした時、普段とは違うかすかな物音が聞こえる事に気がついた。

「壊れた蝶番みたいな音」

ぎっ、ぎっ、ぎっ、ぎっ、ぎっ。

一言で表すなら
蝶番の壊れたドア。
背もたれ付きの椅子にもたれた時に鳴く椅子。

ぎっ。
ぎっ。
小さく、音が鳴っている。

消し忘れたエアコンに、電気の傘か何かが揺られているのだろうか。たまにそういう事がある。
帰宅すると小さなエアコンの稼働音と、カーテンが小さく揺れる音が扉の向こうから聞こえてくるのだ。

“ああ、やってしまった”という気持ちで、自室への扉を開けた。

「そしたら、揺れてたんですよ。縄が」

ぎっ、ぎっ、ぎっ。
ぎっ、ぎっ、ぎっ、

カーテンレールに下げた縄が、小刻みに左右に揺れている。
ぎっ、ぎっ、ぎっ、ぎっ。


「……………………」

見つめていると頭の中に一つのイメージが見えた。

目の前で小刻みに揺れる縄に、透明の自分がぶら下がって左右に揺れている。
もちろんそこに自分はいない。しっかりと開けた目には縄がうつっている。
その上に重なるような形で、イメージの中では自分が首を吊っているのだ。

「手のひらを上に向けて開いて“りんごを想像して”って言われたら、見えなくても手のひらの上にりんごが見えてくるような、そんな感覚になるでしょう?そんな感覚でカーテンレールにぶら下がってる縄に自分の姿が見えたんです」

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