うれしいベッド
某所病院に勤めている甲谷(こうたに)さんから聞かせていただいた話。
「うちの病院に“うれしいベッド”って曰く付きのベッドがある。大部屋じゃなくて個室のベッド」
彼の話曰く。
患者がそこに寝ると“うれしい気持ちになるベッド”というのがあるのだそうで。
漠然と横になった瞬間にそうなる……とかではなく“うれしい気持ちになる夢”を見るらしい。
看護師は朝の雑談ついでに夢の内容について詳しく聞いたりするが、患者の方は夢の内容を全く覚えておらず、ただ嬉しい気持ちになる夢だった……と、答える人しかいない。
なので、なぜ“うれしい気持ち”になったのかは全然わからないのだ。
……と、なんとも不思議な話である。
「いつからあったのか先輩に聞いた事があったんだけど、だいぶフワッとした感じで“結構昔から?”なんて言うの。そりゃそうじゃんね、患者さんは“あー、よく寝れた。なんだか嬉しい気持ちになる夢を見たよ!”なんてニコニコ笑顔で言うんだから誰も気にもしてなかったみたい。なんだけど、」
そのベッドで真逆の事を話す患者が稀にいる。
9割の患者が「いい気分になる夢を見た」と言う中で残りの1割の患者が深夜、ナースコールで看護師を呼ぶのだ。
大体が憔悴したような顔で駆けつけた看護師に「とても怖い夢を見た。あまりにも怖くて思わずナースコールを押した」という。
看護師が夢の内容を聞くと夢を覚えている何人かは全員「詳細を全て覚えているわけではないけれど、金縛りにあった。腹の上をボウリングのボールのようなものでぐりぐりと押されて痛くて苦しくてもがいているうちに金縛りがとけた」と話すのである。
「でも、ほんっと稀。そもそも“うれしいベッド”も常に患者が入ってるわけじゃないし。何だかよく寝れたって話す人が9割を占める中で、悪夢を見たほんの何人かがおんなじ悪夢を見てるっぽい、っていう感じ。だから誰も気にしてなかったんだよ」
1年に2回、悪夢を見たという話をする患者がいるような、いないような。
看護師達の間でも“うれしいベッド”の話はうっすらと認識されてはいたが
「まあ、曰く付きのベッドなんて他でもよく聞く話しだし……しかも死ぬわけでもなんでもない、殆どの患者さんはよく眠れてると言っているし……悪夢なんて普通のベッドでも見る時あるし、取り立てて問題視する話しじゃあないよね」
といった塩梅で長らく放置されていた。
「で、うれしいベッドはもう何年も普通に使われてきたわけ。でも何年か前、見た夢を覚えてた患者がいたんだよね」
甲谷さんが看護師になってから何年か。
“うれしいベッド”のある個室に、1人の若い女性が入院することになった。
名前は岩岡(いわおか)さん。
検査入院でほんの1泊2泊ほど入院する予定だったが、大部屋の空きの都合で件のベッドのある個室に入ってもらう事になったのである。
大きな病気を抱えているわけではなく健康体そのもの。
個室になる事を伝えると気を遣わなくていいかも、とかえって喜んでいた。
ここからは、岩岡さんの話になる。
「すごい怖い夢みたんです……あんまりにリアルすぎて夢じゃないかもって思っちゃったくらい」
彼女は甲谷さんが朝の見回りに来るなりそう訴えてきた。
「あー、岩岡さんは“うれしいベッド”がハズレだったんだな、かわいそうに……ってそう思って聞いてたんだけど」
彼女は夢の中で見知らぬ男に見つめられていたという。
ああ、ハズレの患者さんとおんなじ夢を見てるのかぁ……。
ぼちぼちと問診票を埋めながら聞いていた。
「どんな夢、見たんです?」
「それが……目が覚めた夢、みたいな……。夢の中で起きた私はなんだか寝苦しくて……寝返りを打とうと思ったら身体が動かなくなってて……」
仰向けから横にごろんと体を動かそうとしたが、ぴくりとも身体が動かなくなっている事に気がついた。
金縛りだ!と。
岩岡さんは思ったそうである。
身体は動かないが目は開いていたので、あたりをキョロキョロと見回すとちょうどベッドの上、足元に1人の男性が“生えていた”。
思わず悲鳴を上げようとしたが唇は上下糊付けされたようにぴったりとくっついたまま動かなかった。
「見覚えのない人。暗かったけど顔は少しわかる……お爺ちゃんだったと思う……。それで、生えてて……ベッドの、ちょうど足元から上半身だけ。こっちをじっと見てて、私もじっと見つめるしかなくて」
声が上げられない中、じっと岩岡さんは老人を観察した。
真っ暗な中だったがはっきり判る男性のシルエットには違和感がある。
体躯のバランスがおかしい。
横に細い。
違和感の正体はその腕。
あるはずの肩から先の腕がスパンと切り落とされたようにない。
だからシルエットが異様に細いのだ。
彼女の足元に、両腕と下半身のない老人が佇んでいる。
「身体は動かないし声も出ない、ただ怖くて怖くて」
彼女は何とか身体を動かして金縛りから解放されようともがいていた。
ただ、身体は依然として動かない。
どうにかしなければという焦りと恐怖が込み上げてきて、いっそう強く身体を捻ろうとした時。
老人の影がゆらりと揺れた。
次の瞬間、全身に激痛が走った。
「お腹の上にドン!って倒れ込んできて、そしたらお爺ちゃん、お腹にぶつかった瞬間に溶けるみたいにして急に消えたの……」
悲鳴は出なかった。
「……老人が消えたからホッとしたけどまだ金縛りは解けなくて……でも、居なくなったから安心してゆっくり身体を動かそうって思って気を取り直してたんだけどね」
ピクリとも動かない手足に力に少しずつ力をこめて何とか身体を動かそうと試行錯誤していた時。
彼女の両手足が、一斉に痙攣しはじめた。
もちろん、痙攣は彼女の意思ではない。
ばたばた、ばたばた、ばたばた。
手足が小刻みに震えているのを感じる。
彼女は再び悲鳴をあげようとしたが、それは叶わなかった。
金縛りはまだ解けてはいない。
彼女の両手足は意思とは関係なく、動いている。
「怖い!って思うかと思いきや……うれしい、って気持ちになったんです。
うれしい、うれしい。さっきまで心の底から怖くて、身体を動かさなきゃ、どうしよう、どうしよう……って焦っていたのに、急に“うれしい”って」
うれしい、という気持ちが湧き上がって彼女の心の中がいっぱいになった。
何も考えていたかった時に、いい事がポンと沸いたように起こった時のように一瞬にして気分が高揚したのだという。
「うれしい、うれしい……うれしい……」
手足は痙攣している。
うれしい、うれしい、うれしい。
(……ああ、手足が動く、うれしい……)
うれしい、うれしい、うれしい。
ばたばた、ばたばた、手足が動く、うれしい。
ああうれしい、こんなに自由に手足が動かせる、うれしい……。
“ない手足がある、うごかせる、うれしい”
心の中で呟きが聞こえたような気がした。
先ほど消えたあの老人の声だと直感で感じたが、なす術はない。
彼女は“うれしい”を感じながら気を失った。
「次起きたら、朝。もー散々よ。入院なんて初めてだから変な夢みちゃったな」
ため息をついた岩岡さんに、甲谷さんは「……帰ったらゆっくり寝てくださいね」と告げた。
その後、検査を終えた彼女は来た時と同じ健康体でぴんしゃんして帰って行ったそうである。
「夢の内容からして多分そういう事なんだけど、何か……深堀してもどうしようもないしなぁなんて……。それに俺が寝る機会は来ないだろうしさ、」
特にそこから探るような事はしなかった。
なので現在もベッドは平常通り使われている。
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