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「友達」についての長い話

このご時世、学校にも行けずに(家に姉はいるが)一人で人恋しくなって友達─もとい「イツメン」の事を考える時間が多くなっている。
せっかくnoteという壁打ちのように独り言を言うような場所も作ったので友達観も含めた自分語りしたいと思う。多分とても長い。

友達はいつでもいいもんだ

さっき「イツメン」なんていう単語を使ったがちょっと前までの自分は「イツメンなんてそんなの…ww」みたいな感じになっていた。
今でも若干その感じは拭えないが、まぁいいんじゃね?みたいな、その時よりはちょっとは許容範囲が広がってるのかもしれない。心はずっと狭い気がするけれども。

ただカッコ悪い事だってくらいわかってるさ

少し遡って中学生時代、友達作りが苦手な私はめちゃめちゃ直球に言うといじめられていた。先生にもまぁ色々言われ、人と話すこと自体怖くなり、そこからほんの少し壊れれば命を捨てようとしていた位には追い込まれていた。
部活動が唯一の救いだった。しかし、同じクラスにいた同じ部活動の友達には「私に近づかない方がいい」(ニュアンス)的なことを言ったのを覚えている。案の定部員たちは私から離れてくれた。私はそれで安心した。自分のいじめに巻き込みたくなかった。「本当の友達なら助けてくれるのでは?」なんて微塵も思わなかった。だって部活動で接していたのは「友達」ではなく「部員」だったのだから。

そこから先の道の上を歩き出せばいい

そんな拗れた友達観を持ちつつ中学を無事(?)卒業し、今現在の高校生活。いつの間にか「イツメン」なんて呼ぶ仲の人が周りにいた。
邦ロックが好きなヤベー奴と、ネットスラングがきっかけで繋がったヤベー奴、アイドル追っかけてるヤベー奴、他にもイツメンとは言わずとも楽しく話せる(だいたいヤベー)人たちがいた。

めちゃめちゃ楽しい。

友達になった瞬間はお互いに自覚できないとは言うものの、話したりバカやったりしている時が本当に楽しい。

学校帰りにパッと決めたプランで翌日遠出したり、学校でねるねるねるねパーティしたり、学校の先生を巻き込んで生クリームパーティしようとしたり(これは中止になったが)、お互いにこれがしたい!の気持ちが通じる関係の凄さ。

君が君でいてくれるから、僕は僕らしくいられるんだ

みんながヤベー奴で本当に良かった。高校にあがって自分が吹っ切れたのもあるのかもしれないが、ヤベー奴が周りに集まってきてくれて救われているのかもしれない。これが類友なんだなぁと(自分が類友にした可能性には目を瞑って)思った。
学校は疲れるけれど、それ以上に友達に会いたい欲が強いのだ。「楽しい付き合い」を知れて本当に良かった。ただ、それだけ。

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