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ある日突然消えた飼い主


2023年6月5日
10才を迎える直前の
「あかね」という名の犬が
愛護センターに持ち込まれたが…
目を覆いたくなる程の
「乳腺腫瘍」でした。


持ち込んだ人間は、
飼い主ではなく、飼い主の友人…。
飼い主は、一年前に癌がみつかり入院。
その間は、飼い主の友人が預かってたが、
日に日に進行する乳腺腫瘍、衰弱…
経済面で病院に連れて行けず、
もうこれ以上は限界だと、
愛護センターに持ち込んだのです。

飼い主も友人も、生活保護受給者でした。


飼い主自身も、癌の転移と進行で
生きて退院できる日は来ないことを知り、
預かり先の友人に、
これ以上迷惑かけれない…と、
あかねの「殺処分」を承諾したとの事。
個人情報云々で飼い主と直接
連絡が出来ないので、
愛護センターに伝言を頼みました。
『安心して下さい』それだけを…


かなり酷い広範囲の乳腺腫瘍で
すでに衰弱していました。

それなのに、体に触れただけで、
唸ったり咬もうと必死に抵抗…
人間に強い不信感を抱いてましたが、
それは当然の事…。

大好きだった家族(飼い主)が
ある日突然居なくなり、
飼い主の友人に心寄せるも、
また居なくなる。
そうして連れてこられた場所が
愛護センターの檻の中ですから…。

どんな事情があったとしても、
人間に裏切られ続けたあかねが
人間を信頼できないのは当然の流れです。

「ここまで酷い乳腺腫瘍は初めてだ…」
かかりつけの獣医さんも驚いてました。
血液検査結果や、癌の進行、体力的にも、
摘出手術は難しい…との事でした。

このまま死なせたくない!
手術ができる体にもっていこう!

そう決心したのですが…


あかねから伝わってきたのは…
「生きることの諦め」
「絶望」


飲まず食わず、下痢嘔吐、激しい衰弱…
寝たきり状態になっていきました。
その姿はまるで…
自ら命を絶とうとしてるように感じました。

こんなに酷い乳腺腫瘍だから、
どう頑張っても「死」を避けられない事くらい
分かっていました。


だけど、人間に裏切られ続け
淋しく悲しい気持ちを抱えたまま
あかねに死んでほしくなかったんです。
「死んでも良いけど『今』じゃない!」
あかねが抵抗しようが怒ろうが
知ったこっちゃない!…と、
三時間置きの強制給水を続けた結果…

3日目…自分から水を飲み、
4日目…ご飯を食べました!
「もう少し生きてみようかな…」
あかねからはっきりと
そう感じたのです!

ぴょんぴょん飛び跳ねながら
「嬉しい」の感情も出すようになりましたが…
悔しいけど、食べれば食べるほど
癌が育っていく悪循環でした。

そして…


恐れていた「腫瘍破裂」
それでもまだ、摘出手術はできない…
全身麻酔に耐えられない体のため、
「手術という名の安楽死」になってしまう。

それだけは絶対に避けたい!
手術ができる体になるまでは…と、
ストレスのない生活環境、
栄養のある食事管理、
腫瘍を腐敗させないよう衛生管理、
徹底管理の日々から30日後…

ようやく手術できる体へと回復しました!

だけど…
癌範囲が広すぎて全摘出は不可能。
レントゲンで転移は見られないけど、
目に見えないだけで転移してる可能性大。
その場合は死期も早い。
今転移してなくても、半年〜一年再発する。
再発しても、摘出手術は不可能。
それは…
「手術しても一年以上は生きられない」
という意味でした。


どうせ長く生きれないのなら、
リスクを背負ってまで手術の必要あるのか?

…自問自答のくり返しでしたが、
あかね本人が痛みから解放されるので、
摘出手術はあかねにとって必要だと思いました。

短い時間でも、あかね本人が痛みや不快感無く、
楽しい余生を送って欲しいから…

無事、破裂した腫瘍摘出手術成功!
もちろん、これで終わりではありません…

腫瘍の進行と皮膚の状態をみながら
2回目、3回目の腫瘍摘出術が
控えてるのです…。

いつでも手術を受けれるよう
免疫力が下がらないように、
食欲不振にならないように、
病気させないように、
様々な面で気を付けてたのに…

施設の作業を終え「療養の家」に戻ると
部屋中大量の血痕が…!!

手術を控えてた腫瘍のひとつが破裂。
動かさないようケージに避難させての
かかりつけ病院に連絡。
緊急摘出手術になりました。

短期間で二回目の手術…
麻酔から目を覚ましてくれるだろうか…?
そんな心配をよそに、
あかねは、笑顔で帰ってきました!

そうして…時間をかけながら
乳腺腫瘍の全摘出成功!!

転移も見当たらず、安心したのですが…
獣医さんからこう言われました。
「転移しない可能性はほぼゼロ。
一年後位に再発するんじゃないかな?
完治はないんだよね…」

だけど、癌根絶の可能性を…希望を拭えずにいました。
あかねの「譲渡」への道を諦めたくない…と。

うちに居る以上「その他大勢の1匹」…
「保護犬」のまま終わらせたくない!

そんな私の願いとはうらはらに、
あかねは「療養の家」が「自分の家」に
なりつつありました。
私以外の人に向ける強い警戒心…
唸ったり吠えたり、
咬もうとしたり、
誰にも心を開きませんでした。

日に日に高まる私への愛情…。
悪く言えば、執着や依存なのかもしれません。
私が歩けば、あかねも歩く。
私が止まれば、あかねも止まる。
いつもいつも、私の足元には
あかねが居ました。

ここが一般の自宅、一般家庭だったら、
それで良かったのかもしれない…
あかねが私を求めれば求めるほど、
私には辛さしかありませんでした。
ココは「療養の家」であり
最期を看取る「看取りの家」だから…

今、まさに、
最期を迎えようとする子を抱いてると、
あかねは嫉妬に狂ってしまうのです。
「その子をどかして!」
「私だけを見て!」

私の日常は、夜間介護メインの
24時間体制が基本です。

睡眠時間は決まっておらず、
寝れるときに仮眠を取るスタンスですが…
あかねは私が横になることを極端に嫌がり、
横になることすら許しませんでした。

その背景にあるのは…
過去のトラウマからでした。


あかねの飼い主は…入院する前、
体が辛く横になることが多かったそうです。
その間、あかねは静かに過ごしてたのでしょう…
どんなに淋しくて退屈な日々だったろう。
そんな生活が続いたある日、
突然、目の前から消えた飼い主…
飼い主の闘病生活や入院は、
あかねにとって理解できない出来事。
私を寝かさないのも、
私の側から終始離れないのも、
あかねが経験してきた
「過去のトラウマ」からだろうな…

「療養の家」で暮らす子達の
穏やかな時間の流れを守るためには…
穏やかな最期を迎える子達のためには…
私しか頼る人が居ないあかねのためにも、
あかねの保護場所を、
「療養の家」→「母家」引っ越しを決意。
引っ越しとは言っても、
「療養の家」と「母家」は隣同士の建物であり、
保護施設の事務所です。

私と距離を置き、色んな人と関わることで
私以外の人にも心を開いてくれるのでは?
譲渡希望者さんが現れるのでは?
希望を持っての決断でしたが…

頑なに心を閉ざし続けるあかね…

あかねが私を求め続けていること等
もちろん、分かっていました。
でも、私には応えられませんでした。
介護を必要とする子達を
優先しなければいけなかったから…。

「ここの人はみんな優しいんだよ?」
毎日毎日、諦めず言って聞かせました。

それでも、毎日毎日
私が来る時間だけを楽しみに待ち続けるあかね…

スタッフやボランティアさん達が、
どんなにあかねを想っても
あかねに伝わらないもどかしさと
淋しい思いさせてる申し訳なさとで
胸が張り裂ける思いでした。

「療養の家」に帰省させた夜もありましたが、
他の子達の介護で、忙しく動いてると、
構ってもらえないストレス「転移行動」で
自分の毛を噛みむしるようになりました。


あかねにとって
「こんなに近くに居るのに…なぜ構ってくれない?」
そんな思いだったのでしょう。
あかねにとっての私という存在そのものが
元凶になるのだと気付きました。

私が保護施設の人じゃなかったら…
私が普通の家庭のお母さんだったら…
自分の立場を恨めしく感じました。


あかねが望んでいるのは、
「療養の家」に戻ることではなく、
24時間ずっとずーっと、
私と寄り添い合うことだったから…

私の立場上、あかねの願いが叶う日は
来ないと思っていました。
いいえ…来ない事を祈りました。

「24時間ずっと寄り添い合う」
これが可能となる意味は、
「看取り」…だったから。


「あかねの願いが叶う日が
きませんように…」

私の願いは
打ち砕かれました。


乳腺腫瘍全摘出手術から
10ヶ月後の今…
あかねの癌が、
脾臓や肺に転移したのです。

「末期癌」

あかねに残されたのは
緩和ケア…それだけ。

私とずっとずーっと一緒に居たい!
ずっとずーっと自分だけを見て欲しい!
あかねの願いが叶ってしまいました。

日中の施設作業は休暇を取り、
24時間ずっとずーっと
あかねの側に寄り添ってます。

こんなあかねの願いなんて…
叶えたくなかったのに!

あかねは、いつからでしょう…
飼主への想いを捨てて
私と家族になることを夢見ていました。


いいえ…
あかねの中ではすでに
私が家族だったのかもしれません。

最期くらい、母ちゃんを演じよう…
あかねの母ちゃんとして、
あかねと寄り添いたいから…


~ あとがき ~


あかねと出会い、レスキューしての一年間、
SNS等で私自身、あかねを投稿したのは、多分…2回位しかないと思う。
一年間…ずっと一緒に居て、一年間…あかねとは怒涛の日々だったのに、
なぜ、あかねの存在を公にしなかったのか…?
なぜ、多額の手術費用の助けを求めず、あえて苦難の道を選んだのか?
私自身、あかねの存在を公にしなかった理由が分からないんです。
ただ、今、こうして記事にしているのは…
あかねが生きているうちに、あかねの存在を知って欲しい。
あかねの生き様を褒めて欲しい…そう思ったのかもしれません。
自分でもなぜ、今、こうしてパソコンに向かっているのか、
憶測でしか自分の言動を説明できないんです。

あかねの時間は
もうすぐ
終わりを告げようとしています。


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