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オンライン自〇から始まる、私の自〇法エトセトラ

お久しぶりです。暑いみたいだね。今年は窓の外で勝手に季節が流れていくから、置いていかれる感覚に涙が出そうになります。

ここしばらくは、比較的健康な精神で生きております。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
 心配した友達が代わる代わる家を訪ねて遊んでくれます。今年の誕生日は、怒る人は怒るでしょうが、福岡のよねつさんのご実家で過ごしました。よねつ母がもつ鍋を拵えてくれ、よねつ父がなにやら貴重な焼酎を用意してくれ、よねつ娘はバースデーケーキを自転車のカゴに積み、猛暑の久留米を爆走してくれました。昨年の闇深バースデーを思い出し、殊更に感涙。

福岡でよねつと過ごした2泊3日から1週間、間髪を入れず同じく福岡県民と寝食を共にしているので、そろそろ念願の博多弁話者になれるかもしれない。こういうわけで、周囲の人のお陰様、わたしの精神病と苦しさがカラッと鳴りを潜める8月を過ごしている。思い返すと、上半期はかなり苦しかった。室内乾燥機で首を吊り、240錠のブロンを飲み吐血し、薬疹で〇にかけ、〇んでやるぜ!という気概に満ちていたと思う。皮肉な話だが、ヌルヌルヌメヌメ生きてる今よりもよほどパッションを感じる。今挙げた自○方法は、己の息の根を止めようとしていたのだから当然なのだけど、かなり大変だ。吐血はするし、嘔吐はするし、血尿も出る、発熱も痙攣もする。もっと手軽にこなしたいものだと思った。わたしは難産だったから、きっと〇ぬのも手間なのだ。こういう釣り合い方を世の中はしているのかなあ。
 ところで、わたしの自〇の目的は、〇ぬことよりも「人生のワープ」が優先する(自○と呼ぶのが憚られる)。死んでしまうほど苦労はしたくないけど、人生をできるだけ縮めたい。苦しいことは考えたくない。意識がなければ人生ではない。それで、「2〜3日意識を失う」ことを目的とした自○を図る。目覚めて、また自我を手放し、目覚めてまた自我を手放し……ああ、1週間ほど経過している。やった、1週間生きなくて良くなった。といった感じで。わたしの中で知覚できなければ〇んでいるのと同じだったんだね。同時に、「知覚されていなければいないのと同じ」という考えもあった。関係ないけど、中学の頃、座右の銘を「バレなければやってないのと同じ」としていた。今では浮気を肯定しているような気がして一切言っていない。どういうつもりだったのだわたしは……
 それで、「知覚されない」ためにオンライン自〇を始めた。ODほど苦しくなく、首〇りほど恐ろしくなく、お手軽かつ〇ねる大発明だよ。方法は簡単で、オフラインになるだけだ(オンライン自〇と呼んでいいのかわからない)。Twitterアカウントを消し、Instagramアカウントを消し、LINEアカウントを消す。これでいないのと同じ。いかにもデジタルネイティブ世代の発想だ。自分でもどうかと思う。Twitter・Instagramはあまり自〇の実感がない。ひとりでいくつも持てるし、やっていない人もたまにはいる。それに、わたしはInstagramはそんなに使わない。でもLINEだったらわけが違う。大方の人間が持っている、原則ひとりにひとつのアカウント。消したら戻らない不可逆。わたしそのものと変わらないと思った。それで、わたしは「オンライン自〇」を繰り返した。いなくなった気になれて、楽になる。後遺症も出血もない。〇にたいあなたに強くオススメする。でも欠点がひとつあって、周囲の人達にめちゃくちゃ迷惑がかかるということ。何度も友達追加をさせてみなさんごめんね。だから、基本的に大きなLINEグループには入ってない。

オンライン自〇がエスカレートして、身体を傷つけ、粗末にし(諸説あり)、醤油を飲み、ODに手を出し… ヌルヌル生きてる今に至る。わたしの中では、突然始めたひとり暮らしも自〇のひとつだった。旅もだ。掃除にすら同じ感覚に陥ることがある。求めているのは現状のお掃除か、無意識か、強い衝撃なのかなあ。
 ODや自傷(身体を粗末にすることを含む)、首〇りは痛いから勧めたくないけど、旅・掃除・オンライン自〇はいい自〇だと思う。いい自〇で思い出したけど、わたしは自〇を悪とも弱とも悲しいこととも思っていない。現状が苦しいのに、「いつか幸せに」のために生きるのは今にも自分にも失礼だ。苦しい人生を無理して生きる必要はない。ただ、本当に「苦しい人生」かどうかは要検討で、でも人生の評価に他人は首を突っ込んではいけない。本人が辛いと言ったら辛いのだ。それを「生きていればいいことああるって」「辛いのは今だけだから」「〇ぬのは逃げだ」などと言う人は、相手をなんだと思っているのか、己は何様なのか考え直した方がいい。心当たりのある人はいますか?わたしは誰かに宛てて書いているよ。
 耐えるのは美徳じゃない、人類みんな楽でいいと思う。〇ぬのが楽なのだったら自〇は立派な幸せの希求だ。「生きてしまっているけど死にたい人」の「〇にたい気持ち」は、「生きたくても生きられなかった人」の「生きたかった気持ち」と変わらず尊いと思う。異論は認めます。自〇を否定はしないけど、自〇を選択するほどの苦しみを与えた何かには全身全霊の否定をします。あと、痛いのは勧めない。痛いのが好きならいいけど。だからレッツオンライン自〇!

またすぐに書きます。今日も楽にしていたいね。

(自〇自〇と連呼しすぎてnote運営から消された記事です。一番人気があった記事でもあるので全て伏字にして再掲。今読み返して見ると、マジで理解できないなあ…… 治るものだな)

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