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新しい年、新しい朝が来た

2020年の到来です。令和2年です。元年ではないあたりが、すこしむず痒い気がするのは私だけでしょうか。

まず最初に・・・


このnote、登録だけはかなり初期の頃からしていました。
書いては削除…を何度も繰り返し、去年の秋くらいから「来年は、しっかりnoteを始めよう!」と心に決めていたし、ばっちり書ける自信もあったのですが。いざ、始めようとすると…浮かばない。
いや、正確に言うと、こんな私のような人物の文章なんてネットにさらけ出して何になるのだろうか?と言う疑問と、せっかくさらけ出したところで誰の目にも止まらず自己満足に浸りきった文章がデジタル遺産として残り、私がこの世にいなくなってから「この文章、なんか痛いよねー」なんて言われたら悲しすぎる!と自意識過剰になったりもして先に進めませんでした。
まあ、死んでいなくても私の知らないところで言われる可能性は高いし、言われた所で目にしないかぎり分からないですが、気にするあたりが自意識過剰の痛いところですね。


では、なぜ始めたかったのか?そこをきちんと深く考えました。3つくらいにまとめてみます。
(というか、3つしかない)


ひとつは、時々友人に勧められたことがある。
かーなり前の話になるのですが。まだ、SNSもなくメール全盛期の頃は、今より文章を考えて送る事が普通でした。(そんな時代もあった)
そんな時に、メールを送りあっていると「おもしろい。エッセイとか書いたら読んだ人は元気になりそう」などと言ってもらえる事が少々あったのです。はい、ここでも自意識過剰です。おそらく言った本人は、全く覚えていません。

ふたつめは、もし私の話を読んで少しでも気持ちが軽くなってくれる人がいたら嬉しい。
みんなそれぞれ色々な経験をして日々暮らしているので、「私って、結構酸いも甘いも経験して今を生きているのよねぇ」なんて上から目線で発言するつもりは全くありません。
こんな経験をした私でもとりあえずジタバタしながらも楽しく暮らしているよ。こんな風に考えるようにしているよ。と言うのを、ここを訪れて読んでくれた人が「そっか、私も何とかやれるかな。」と、その日少しでも思ってもらえたら嬉しいな。と思って始めたいなと。

そして、最後の3つめ。
ある本に出会って、きっかけが出来た。
その本に出会うまでは、ふたつめまでの理由はつねに頭にありました。  でも、相変わらず書いては消してを繰り返すのみ。
ただ、ある日、何となく惹かれて買った本によって、とりあえず始めてみよう。と思うきっかけが色々と訪れたのです。
それは、また後日改めて。




そんな感じで、2020年1月1日元旦の本日、始めます。
とても分かりやすい単純な始め方だと我ながらおもいます。
きっかけなんてちっぽけでもいい、単純でもいい。気持ちが大切。
と、自分に言い聞かせて始めます。

自意識過剰だったとしてもいいんです。もし、一人でも「なんか、この人の読んだあと元気になるっていうか、まあ、もう少し色々楽しんでみようかな」と思ってもらえたら、その時は痛い文章と言われても私的には報われます。

最後まで読んでくれてありがとう。
それでは、本日スタートします。



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