見出し画像

それぞれの過ごし方

3月11日

あの恐ろしい津波が襲ってきた忘れられない日は、私が夫を病で亡くしてからやっと半年経ったばかりの午後だった。
幸い住んでいたのは、津波の地域からは遥か遠く地震のみの経験だったけれど、テレビで大切な人を失って途方に暮れている人を見るたびに胸が張り裂けそうなほど辛かったのを覚えている。
それと同時にぼんやりと心の中で、「私はまだ心の準備がある程度出来ていたけれど、この人達はなんの疑いもなく朝を迎えて、いきなり居なくなった大切な人との別れを受け止めるのは想像できない辛さなんだろうな…」と、自分の悲しみと比べながら見ていた。

あれから9年経ち、10年目。この日は、セットで必ず思い出す。
私は、悲しみを乗り越えたのだろうか。
普段、泣きながら過ごすことはさすがにもうない。人は、徐々に忘れるという本能を使って悲しみを少しでも薄くしていくらしいから。
でも、それは乗り越えたのとはまた違う。
私は、悲しみは乗り越えなければいけないものとは思わない。
一生抱えて暮らしてもいいと思う。
悲しみの塊は、大きくなったり、小さくなったり。
時には、思い出話の素にして、楽しんでもいいと思う。

怒っても、泣いても、笑っても、その人が思う過ごし方でいい。

今まで、たくさん頑張ってきた。
明日からも、頑張らなきゃいけない。

今日は、自分の思ったように過ごして、自分に優しくしてあげよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?