【日記】フライング郷愁

 約一年前のことである。大学1~3年の間、学校に近い場所に住んでいた私は、最高学年で講義も週一になるため一人暮らしの必要がなくなり、実家に帰ってきたばかりという時分だった。


 遣いを頼まれた私は、母のチャリを漕いでケーキ屋に向かっていた。中学でいうと隣の学区なのでそこそこの距離があるが、幼少期から散歩や習い事なんかで慣れ親しんだあたりである。そうして自宅から数分、某公園の前を通りかかったそのとき、
「ああ、すいません」
と声をかけられ、私はハイと返事をしてチャリに跨ったまま停止した。
 声をかけてきたのがヘラついた若い男などであったならそちらに一瞥もくれずフルシカトをしていたであろうことは想像に難くないが、そうではなかったのとこの状況を鑑みた結果私はその呼びかけに応じたのだ。まず、声の主はどこか品の良さそうな雰囲気のおじいさんであった。柔らかそうなハットと謎にポケットが多いチョッキみたいのは、御年92だか93だかになるうちの爺も、もう少し若い頃はよく身に着けていた記憶がある。これはこれくらいの歳頃の男性の制服とかなのだろうかとさえ思った。あとは状況だ。こちらが徒歩ならまだしも、私はチャリに乗っている。チャリに乗っている人間を呼び止めるって少しばかり難易度が高くないだろうか、主にスピード的に。だのにおじいさんは私に呼びかけた。かといって歩いてくる人間を待つにしても、そこまで通行量の多くない道である。いつ通りがかるかわからない人を待つよりかは、と思って私を選んだのだろうか。勝手な想像かもしれないが、ともかく私はおじいさんになりふりのなさを感じたため、足を止めたのだった。

「このへんに、カッパがいませんでしたか」
「いましたね」

 おじいさんの問いかけ(見た目の印象どおり、丁寧かつ朗らかな感じの物腰であった)に私は澱みなくうなずいた。ここだけ読むとやばい会話に見えるが、実際いたのである。まあとりあえず黙って続きを見守ってほしい。
「やっぱり! どこやったかな」
「あ、もういなくなっちゃったんですね……えーと、そこの、水車があるじゃないですか。その支柱? の部分にいたような」
「ほうかあ。いつなくなったとかわかりますか」
「いや、私も3年違う場所に住んでてこないだ帰ってきたところで。来てませんでしたしね」

 そう。この某公園の入口には高さ5mほどの水車がある。その付近に、木製のカッパの飾りのようなものが昔から設置されていたのだ。付近という言い方をしたのは、私が物心ついたときにはすでにそこにいた記憶のあるカッパが、恐らく劣化や破損の関係で度々場所や姿を変えていたからである。必ず水車の近辺にはいたのだが、覚えている限りでも3形態くらいあったはず。最後に見たのが何年前かはわからないが、そのときは水車の中心の支柱に足が引っかかってカラカラ動く(正面から見ると棒の上をカッパが走っている感じに見える)仕掛けになっていて、体の塗装はかなりハッキリした黄緑と緑色をしていたように思う。
 しかし今、水車は変わらずそこにあるものの動きを止めていた。公園内には水が湧いている箇所があり、そこから流れる川に身を任せていた割と大きめな水車だったのだが。しばらく水を受けていない木の表面は干からびて薄い色をしていて、これがもし人間だったならすごく喉が渇いているのじゃないかと気の毒に思った。
 カッパが姿を消したことと水車が動いていないことの因果関係は定かではないが、とにかく今はどちらもお役御免といった感じである。ただ当然のことながら、問答をする私の心には疑問が浮かぶ。
──なぜこの老人は、カッパの所在を気にしているのだろう。
 まずもって、カッパがたしかにここにいたこと、その上詳細にどこにいたかを記憶している通行人を捕まえられる確率が低すぎると思う。たまたま私はそれにあてはまったわけだが、この近所に長らく住んでいる人であっても、最初の問いの時点でカッパなんていましたっけと返す者が多いのじゃなかろうか。それか、覚えていたとしても、あーいつの間にかなくなったんですねで終わりか。それほどに、あのカッパの存在はあまりにもさりげなかった。最後に私が認識したくらいの緑色でなければ、背後の竹林に紛れて判別できないようなものだった。そしてあまりにも長い期間そこにありすぎて、きっと人々の中で取るに足らない日常となりすぎていた。
 だけれども、である。この老人は、いついなくなったのかを気にするほどに、あのカッパのことを心に留めていたらしい。変わった人もいるものだなとぼんやりそのことを考えていたとき、公園の中から誰かがやって来るのが見えた。するとおじいさんはその人を振り返って言った。
「やっぱりここで合うてたわ。おらんなってしもたらしい」
「ほうかあ~」

 公園の中から来たのも、今まで話していたおじいさんとよく似た雰囲気のおじいさんだった。おじいさん②はおじいさん①の報告を聞いて、デジャヴを覚えるリアクションをした。笑いを含んだものの隠せない落胆をにじませた返答だ。
 私は驚いた。カッパの所在を気にする老人に仲間がいたことに。話し方的にそこまで遠方の人間ではなさそうなのだが、じゃあなんだ。このふたりはわざわざどこかからカッパを探しにここまで来たのか。なぜ? どういう経緯で!?
「ごめんな、おおきにな」
「いえいえ……」

 ふたりに会釈され、困惑を抱えたまま私は再びチャリを漕ぎだした。そんなに気になるなら直接聞けよと思われるかもしれないが、ちょっと動揺しすぎてできなかった。

「カッパやな」
 ケーキと、母の好物の粗搗き大福を買って帰宅し、真っ先にその話を母に話すと、彼女は切り返すように即答した。
 余談だが、母は数十年来の本の虫で、その読書量による語彙力や漢字の知識や雑学や読解力など……まあ読書という行為で人が身につけることができるすべての能力において間違いなく卓抜しているような人間だ。私の文章に実質唯一ケチをつけられる人物であり、小中学生時代すでに国語に特化していたため周りの子たちと話が合わなかった私にとって頼れる話し相手でもあった。母のことは全般的に好きではあるが、このとんでもない読書量による諸々の点への私の感情は、尊敬だと思う。だから昔から、私は母へ基本的になんでも話した。彼女からの意見がほしいということは特に。それが正論でも、世論でなくても構わない。それを判別するのは私だからだ。とりあえず母の意見を仰いでなるほど、と一旦思って、思考はそれからなのだ。家を離れた3年間でこの心持ちにも変化があったりするのだが、ひとまずここでは置いておこう。
「なにが?」
「だから、そのおじいさんたちがよ。うーんそうやな、“山のカッパ”と“川のカッパ”あたりが人に化けて、“町のカッパ”に会いに来たんや。そしたらいーひんから、困って探してるとこにアンタが来て、声かけやったにゃろ」
「……そっかあ。会えるといいけどな」
「いいけどなあ」

 もうここまで完璧な回答に「そっか」以外の返事が見つかるだろうか。そして私もこの母にしてこの子ありである。そこで「は? なに言うてんのお母さんアホちゃう笑」などと返すように育てられてはいない。ストンと納得してスルッと正直な感想がでてきた。世の中、「そういうものである」としたほうが気持ち的によいことが多々ある。今回の場合もそうだ。そうか、カッパの会合が行われようとしていたのだな、と考えるのが、あまりにも妥当にして明快であった。

 この一連のことを、アルバイトでシフトが被っていた主婦のパートさんに話すと爆笑され、「お母さんめっちゃおもろいやん!」と言われ(これは母にまつわるエピソードを他人に話す、もしくは母本人が私の友人知人と会話すると高確率で言われ続けてきた言葉なので慣れている)、バイトを辞める際にありがたくスタッフ一同からアルバムをいただいたのだが、そこに「なぜかカッパの話がすごく印象に残ってます笑」とまで書かれるほどだった。
 あの一件から気づけば一年が経つ。大学近くのアパートを引き払って実家に帰ってきた私は、再び家を出て今度はもっと離れた地へ旅立とうというときになった。ついこの間某公園の前を通りかかると、なんと水車までもが撤去されていて思わず声が出るかと思った。この町の中には、昔はもっとたくさん水車があった気がする。公園内だけでなく、町を流れる川の中にも小さいのが回っていたものだ。しかししばらく見ないうちに、それらはどんどん姿を消していった。分別のつかない子供が触って怪我したり壊したりしてしまうからだろうか。景観を少々損なうことになっても囲いをつけるとか、維持する方法はあるはずである。でも、確実に数を減らすばかりだった。
 たまの帰省で、実家付近の風景の変貌を目の当たりにしたとき、言いようのない寂しさに苛まれる。そんなことを聞いても意味がないのに、相手がその最期を知っている保証もないのに、ここにあったあれはどうなったんですかと藁にもすがる思いで尋ねたくなる。町のカッパの所在を気にしたおじいさん……山と川のカッパたちも、同じ気持ちだったのかもしれない。カッパたちの再会を願う私と母が逆接で言葉を濁したのは、それが不可能である可能性のほうが高いからという諦めと同情によるものだ。
 しかしながら、月並みなことではあるが、私はこの一件を通じて「誰かの心に残っている限り、誰かが口にする限り、それはなかったことにはならないのだな」ということを痛感することになった。おじいさん①にカッパの存在を尋ねられ肯定した瞬間の私の心の中には、たしかに一種の高揚があった。今もうここにないものを通して、それについて話す者が自分以外にもいるのだということが、自分でもなんだかよくわからないが嬉しかった。きっとこれはそういうことなのだ。忘れない限り彼は我々の心の中で生き続ける! なんて大げさなことは言わない。ただ、ふとしたときに思い出すだけでいい。共通の記憶を持つ人とそんなこともあったねと確認し合うのでもいいし、そういえばあんなことがあってさと新たに誰かに共有できたのなら最高だ。その話をしているわずかな時間だけでも、その対象は蘇る。当時の匂いと質量をもったまま時空を超えて、何度でも現前することができるのである。

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