病室 にて

全てフィクションです。


◆病室
静かだった。病室にはアナログ時計の規則的な音だけがしている。
「ん……起きた?気分はどう……」
「良く、はねぇ」
小さな身じろぎ、衣擦れの音でベッドに横たわっていたジェイドが目を覚ましたことに気付き、ユークは読んでいた本を閉じる。
「……ジェイド、さぁ……価値があるのは俺個人じゃないってところ……ちゃんとわかってる?」
淡々とした声で、ユークは問うた。カーテンの隙間から差す夕日が、僅かに暗い影を落とす。
「あぁ?」
「……ずっとそうしてきたでしょう、俺達は……ザクセンだってそうだった」
「怪我した意味、ないよ。確かに楽にはなったけど、個人的になんとかできる範囲だった」
「……うるせぇよ」
「ねぇ、俺はジェイドを利用してるだけなんだよ。がっかりさせないで」
「よく喋るな、今日は」
「ジェイド!」
怒気を含んだ声。ユークが声を荒らげるのは珍しいことだったが、ジェイドは動じない。
「……忘れたか。二度は言わせるな」
「はぁ……誰かが怪我をする予定もなかった。お前が1人で突っ込んだりしなかったらね」
「お前が聞こえる場所で話すのが悪い」
「耳が良すぎるんでしょ」
「……聞かれたくねぇなら場所を変えろ」
「はいはい……わかった、わかりました。内緒話できる場所、考えることにするよ」
「……火、寄越せ」


ジェイドはベッドサイドの小さな棚に置いてあった煙草を手に取る。平然と1本咥え、当たり前のように火を要求した。手元にライターが無かったせいで、そうするしかなかったからだ。
「怪我人のくせに」
「うるせぇ。もう治る」
「……呆れた。馬鹿なの?」
「……」
「はぁ……ね、不味い紅茶飲ませないでよ」
「あ?……おい」
「ふふ、仕返し」
不味い煙草を吸わせるな、この島を守れ、がジェイドからマラカイトファミリーに与えられた至上命令だった。
単純でわかりやすい。だからユークは同じように返した。
「……ジェイド。強く在ってね、誰にも負けないで」
「ンなもんわかんねぇだろ」
「嫌でしょう、弱いものに従うのは」
「……好きにしろ」
ユークは小さな鞄からシルバーのZIPPOを取り出し、ジェイドが咥えたままの煙草に火をつける。ジジ……と紙が燃える音がする。病室に似つかわしくない煙草の匂い。


「好きにしてるよ。こうして見舞いにも来たわけだし」
「……暇だからだろ」
「失礼な……こう見えても結構忙しいのに。もう行くけど、抜け出したりしないでよ」
「おぅ」
席を立つ。予定があるのは本当だ。
「怪我……痛い?」
「別に」
「……そう」
ジェイドが1人で乗り込んで行った場所は北区により近い場所で、治安の整備がまだされていなかった。綺麗に掃除して、西区の美しい街並みに合わせる必要がある。あのあたりをシマにしていた団体の素性も、構成人数も掴んではあった。最適解のリソースで無力化する方法を考えていた最中、話がジェイドに聞こえてしまったらしい。

ジェイドは1人で構成員の殆どを無力化し、その場を離れようとしていた。その時点では軽い怪我はあれどそれはいつもの事で、応急手当の範囲で済む。わざわざ病院に担ぎ込むことになったのは、残党の1人が車で撥ねたからだ。ユークには顔も名前も家族構成もわかっていた。今の拠点も、思考回路も。
小さな医院から出て、待たせていた車に乗り込み後部座席に放られていたグロックを手に取る。マガジンに弾を込め、トリガーを引けば弾が出る。シンプルで頑丈な機構がこの道具の意味をわかりやすくしていた。特徴的なポリマーフレーム、世界のシェアの大多数を占める堅実な銃をユークはそっと撫でる。

「……出して」
「かしこまりました。到着予定は17時です」
「うん」
「しかし……いいのですか、護衛の人数が些か少ないかと」
「ゴミ掃除に行くだけ。なんの心配が?」
「出過ぎた真似をいたしました」
「……構わない、弱いのは本当のことだしね」
後部座席から窓の外を眺める。北区との境に近付くにつれ、街並みは少しづつ寂れていく。最初は穏便に済ませるつもりだったが、もうそんな段階ではなくなった。
わかりやすく端的に言えば、ユークは怒っている。
「そろそろ着きます。ご準備を」
到着した路地裏は高級車を停めるには些か不釣り合いのようにも思えた。
「ありがとう。君はここで待っていて」
「はい。何名か既に待機しておりますので」
「……過保護すぎると思うけどな」

ユークは車から降りる。目の前の雑居ビルに足を踏み入れ、エレベーターで3階まで登った。ジェイドを撥ねた男が拠点にしているフロアを進み、とある部屋のドアをノックする。
「こんにちは」
室内の男が無警戒にドアを開ける。雇われのチンピラなんてこんなものだ。不自然に隠した右手に気付きもしない。
「……何の用だ、訪ねてくるようなヤツはいねぇはずだが」
「この前、対人事故を起こしたでしょう?」
「あ?……あぁ!てめぇあのヤローの関係者か!こんな細っこいお坊ちゃんが1人で……慰謝料なら出ねぇぞ」

「慰謝料?いいえ、いりません。じゃあ……間違いないんだ?」
「轢き殺さなかっただけいいと思えよ」
「ふぅん……」
男は間違いなくジェイドを撥ねていた。人間にしては重すぎる感覚に驚いたし、異形としか思えないサイズの鉤爪に車を半壊させられたが、それでも撥ねた。
「それで?文句なら他に頼むぜ」
暴力の擬人化のようだった男の関係者にしては、今目の前にいる男はそういうものとはかけ離れているように思えた。
「それが確認できれば十分」
「……あぁ?」
男の目の前に、引き金があった。白く細い手が握るには随分無骨で、黒々とした武器。
躊躇わない。グロックにセーフティはなく、ただ引き金を引ききるだけで、弾丸が発射される。
「……この距離なら、外しようもないな」
一度、高らかな銃声。装填されていた9mm弾が呆気なく男の額を撃ち抜いた。そのまま後ろに倒れた男を一瞥することもなく、ユークは開けられていたドアを丁寧に閉めた。この部屋の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで回す。
___ガチャン。


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