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この道はいつか来た道

昨日綺麗な夕焼けを見た。
小さい頃、祖父母の家で過ごした日を思い出した。

弟が生まれる頃、3歳の私は祖父母の家に預けられた。
窓の外の夕焼けを眺めながら「いつお母さん帰ってくるの」ってしきりに言っていた覚えがある。
そんな私を優しく祖父母は世話してくれた。
遠くに「キッコーマン」と書かれた光る看板があった気がする。
現在視力0.1未満の私が裸眼で外の景色を見れた貴重な時代。
漢字は読めなくてもそれは読めた。
いつの間にか祖父母の家から看板は見えなくなったけれど、今もまだ残っているのだろうか。

夏の暑い日だったから、病院まで母に会いに行くときは祖母がアイスを買ってくれたことを覚えている。
ミルクのアイスで中にイチゴ味のグミが入っていたと思う。
ぽっちゃり気味で甘いものに対して制限があったせいか、どんなアイスだったか今でも覚えている。
飽きてきたら病室にもかかわらず、体操教室で習ったばかりの側転をしていた覚えがある。自分にも元気を持て余していた時代があったことが信じられない。
どんなにわんぱくだろうが絶対に祖父母は優しくしてくれた。

最近、大人に手を引かれた子どもを見ると、「この子は今日のことをいつまで覚えているのかな」と思う。
特別なおでかけや、なかなか会えない人ならまだしも、毎日の通園通学、お買い物となると一週間後には今日のことを忘れてしまうかもしれない。
でもそれらは実は記憶の中に落ち葉みたいに積み重なっていて、ある日ふと足元を見たらこんなに愛されていたんだと気付いて泣いてしまうこともあるんだと思う。
今の私です。

祖父母に会いに行きたいけれど、毎日電車に乗って通勤している私は会っても大丈夫なのか心配になる。
そして、時間が空くと怖くなる。
祖母はちゃんと私のことを覚えていてくれるだろうか。祖父は身体を動かすのがつらくなっていないだろうか。
時間が経てば経つほど変わってしまう状況が怖くなる。
役に立たない孫で申し訳ないと思いながら、あの日見た夕陽を思い出して泣けてしまう。
でもそんなことを思っているのが一番祖父母にとっては悲しいことなのかもしれない。
激務で電車に轢かれたいなどと思ったことは散々あるけど、その度に必ず二人の顔が浮かんでそんなことできないと思った。私がもしも彼らより先に死のうものなら、きっと親よりもずっとずっと悲しんでしまうから。だから私は今ここにいる。

私の住む街では今日も小学校の旧校舎が壊されて、新しいマンションが作られている。
半年後、旧校舎は消えて新しいマンションが完成したとき、世界は私はみんなは、どうなっているだろう。
そんなことを思いつつマスクを涙でびしょびしょに濡らして帰ってきた。
昼に食べたカレーが多めだったせいか、こんな気持ちのせいか食欲がわかないけど、ご飯の後に漢方をちょい足しして明日も頑張ろうと思う。ちょい足しの使い方違う気はするけど。
年末まで来たんだから、できることをやりきろう。

#日記


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