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7/11 明日もその先も生きると認めること

自分だけが置いてけぼりを喰らっているような気がする
誰かがこっちを指差して笑っているような気がする
同じような孤独を君も感じてる?
愛も平和もなにもかも他人事のように聞こえる淋しさを

高橋優くんの「陽はまた昇る」の歌詞。
久々に聴いたら泣きそうになった。
独立おめでとうございます。
何年も考え準備してきたことだろうから、本当に尊敬する。アミュフェスで何度か生で聴いて、心にくるメロディと力強く優しい歌声がさらに好きになった。音楽業界が厳しいタイミングでの独立になってしまっただけに心配もあるけど、身軽になったからこそやりたかったことや出来ることがきっとあると信じてる。応援してます。

そう、なんでこの曲聴いてたかというと、ここ最近自分を周りの人と比べてどんどん沈んでいくような気持ちだったから。
周りの人は活発に行動したり、目標に向かって努力しているのに自分ときたらエネルギー無さすぎじゃんとか、もっと余裕を持って仕事をしたいのにコントロール出来てなさすぎじゃんとか、いっそのこと消えて無くなりてえなとか、一週間くだらないもやもやと戦っていたら、金曜の19時過ぎに珍しく目眩がしたので仕事はおしまいにした。

なんでこんなに悲観的になってしまうのか考えていたけど、これから先のことが見えていないせいだと気付いた。
簡単に言うといつまでにどうなっていたいという目標が曖昧。未来がある上で今どうするかを何も考えていないからだなと思った。
仕事上はそういうこともなんとかアドバイスもらいながらやるものの、元々そういうのが苦手だし、特にプライベートとなると大きな夢も無いし、外部要因に左右されることも多いだろうと思ってあまり考えてこなかったが、それこそが不安の一因であることに気付いてしまいやっぱ向き合わなきゃダメかという気持ちになった。めんどいな。
でもこれで不安が解決できるなら少し考えようかなって気持ちにはなってきた。やるも自由、やらないも自由。

昨日、祖父母に二ヶ月ぶりぐらいに会いに行った。
祖母は相変わらず昔の思い出を何回も繰り返しながら聞かせてくれる。「昔うちでネコを飼っていてね、すごくかわいかったの。名前は…なんだっけねー…。でね、あるときそのネコが『無いよー、無いよー』って悲しそうに喋ってるものだからおかしくって。ネズミかなんか捕まえたんだろうと思うんだけど、無くなっちゃったんだろうね。ネコって喋るんだなって思って一緒に探したんだよ」という話。
年々祖母が昔の思い出を話すようになった。認知症の症状だと思う。でも私は初めて聞く話が多いので楽しい。祖母とは最近の話をすることの方が多かったから。若い頃どんな生活をしていたのか、私は全然知らなかったんだなと話を聞いていつも思う。
三回ほど話がループしたところで、一回目に思い出せなかった昔飼っていたネコの名前を祖母が思い出した。さらにまた三回ぐらい同じ内容を聞いたけど、何回か聞いていく中で思い出していく内容が増えていったので、時間をかけて話しながらより細かく思い出していくんだなと思いながら聞いていた。
そして、ここ数ヶ月で行き始めた体操教室のことも楽しそうに話してくれたので、本当によかったと思った。出来ないことが増えてきて、前より悲しくなったり怒りたくなってしまうことが増えたことも知っているので、楽しいことが一つでも多く祖母の暮らしにあってほしいなと思う。
毎日祖母が同じ話をしてしまったりすることに祖父もなかなかストレスがたまっているのは親から聞いて知っているのだが、私が行ったらいつも通り嬉しそうにしてくれた。
コミュニケーションが取れる今のうちにもっともっと祖父母との思い出を作らなくちゃという気持ちと、そうやってこの先コミュニケーションが出来なくなることを前提にいつ亡くなっても後悔しないように行動するのは、祖父母の未来を諦めるようで失礼じゃないかという気持ちがある。でもどっちが後で後悔しないかというと前者だと思うので、話せるうちにたくさん話そうと思う。BADに転んだときにどうするかを前もって考えることが大事だと転職してからの一年で学んだし…。

そんなこんなで消えてなくなりたい日もあるが、ミュージシャンが先のこと見据えて独立したり、祖父母と話したりを受けて明日もその先も自分は続いていく可能性をもっと信じていかないといけないと思った。(もちろん今日死ぬかもしれないけど。)

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