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書き言葉と私

なんかnoteってタメになる記事を書いてなんぼなところがあるじゃないですか。
ライフハックとか読みごたえのあるエッセイとか、素敵な絵や写真とか、小説のようなストーリーとか。
そんなものそうそう書けないから、読んだ本とか行ったこととかをまとめるのが限界で、他にはどうしても強く思ったこととか残しておきたいことを書くぐらいにしておくかなと思っていたけど、晴一さんがnote始められたし、刺激になったので薄っぺらでももう少し日記を書いてみようかなと思います。

自分にとって書くこととは何かを振り返ってみます、勝手に。
中学二年生のときにFC2ブログを立ち上げてから、リアルタイム日記だとか、いろんなブログを転々とし、高校生ぐらいまではほぼ毎日しょうもないことばっかり書いていました。
センター試験を受けた日も書いてたぐらい。懐かしー。勉強しろよ。
仲良しの友人たちがネットに明るい子たちだったから、帰った後もつながっていられるようで楽しかった覚えがあります。

そして、どこかに自分の気持ちを書かなければ一日を終えられない気持ちでした。
決して楽しいだけじゃなく、学校生活で感じる怒りや悲しみとかやり場のない気持ちを昇華させるには書くしかなかったんです。
私は話すのが下手で、他人を前にすると何を話したらいいんだろう、なんて答えたらいいんだろう、今自分が話していいんだろうかとめちゃくちゃ迷って変な間が空きます。そんな自分が友達とコミュニケーションを取るには日記がすごくありがたかったんです。

そして、中学生の頃は同じくコミュニケーションの手段としてほぼ毎日手紙も書いていました。
かわいいレターセットたくさん使って、たまには無印のレターセットをデコって、たくさんたくさん書きました。便箋2、3枚は書いてました。H/Kってたくさん使ってたね。(話変わるけどって意味だよ!)
今思えば何をそんなに書いていたのかちっとも思い出せないけど、とにかく手紙が好きで、気付いたら深夜1時を過ぎていたこともザラでした。勉強しろよ!

だからきっと、バレットジャーナルとかに手を出すと書くことに魅了されて永遠に書き続けてしまう自信があります。書くことの先にある目的の金銭管理、読書ログなどそっちのけで感情を吐き出すがままに文字を書き、絵を描き、デコってしまう。そうして時間を溶かして何やってんだ自分は、となる。もう目に見えている。
大人になるほど自由に使える時間は減るし、睡眠だってしっかり取らないと翌日のパフォーマンスは落ちる。大人として生きることと、気持ちよく書くことは両立できないのかもしれない。いつの間にかそう思って手紙もブログもだいぶ書かなくなりました。

大人になるってなんでしょう。
書き言葉の魔力に懲りもせず私はTwitterしてます。
大人になるってなんでしょう。
私は文字でしか伝えられない気持ちがあるのに、今日も無理やり話し言葉で頑張っています。
大人になるってなんでしょう。
いつになったら私は言葉が上手くなれるんでしょう。

眠くなってきたので終わりにします。薄っぺらいね。読んでくれてありがとうございました。
#日記

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