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5/1 自分の頭で考えろ

いくつか考えていたこと。

「自宅にて2020」とかいうポルノファンにとってヤバいワードを見てしまい、これは価値ある言葉や…と思ったのでそもそも言葉の価値とはどこで生まれるのかを考えていた。
ポルノファンにとって「自宅にて」は聖書とか教典みたいな扱いになっちゃってるもんだから、自宅にてが旧約聖書なら自宅にて2020なんて新約聖書みたいなもんじゃん。ねえ?

みんなどんな言葉に価値を感じるのだろう。
なぜミュージシャンの言葉は多くの人に感動を与えるのに、そのミュージシャンが好きなだけの自分は誰にも感動を与えられないのだろう。
その差はどこにあるんだろう。

当然ながら言葉とはただの記号であり、その並びや組み合わせでなにを伝えるかに価値がある。
ミュージシャンの思考、生活、作品なら見たい。どうやって作品を生んでるのか気になる。
それじゃあお前は誰だ。何者だ。
なにやってるのかも知らねえ奴の暮らしを誰が知りてえんだって話だ。私は誰なんだ。
などとしょうもないことを延々考えていた。しょうもな。
それでもこうしてしょうもない日記を書いている。いつか自分が振り返る時のために。

話は変わってゲームの刀剣乱舞で今やっている「匿名調査 慶長熊本」というイベントがある。
慶長の時代の熊本を舞台にしていることはわかるが、話がさっぱりわからなかったのでとりあえず細川ガラシャさんのことをWikipediaで調べてみたけど、人が作った宗教絡みで人同士が争い合うのはなんかもうしんどいなと思った。
信じるからには信仰を理解しどう動くかを自分の頭で考え抜く義務があると思うし、宗教は考えることを放棄するために使うツールではないしね。

ニュースで箱根がガラガラだと映像が映っていた。ヘッダーも上の写真も去年の今頃箱根で撮ったもので、なんか去年の今頃はこんなことになるだなんて思いもしなかったなと思う。
もしも小売業のままだったらどうしていただろう。
外で戦ってくれている人たちのおかげで今私は仕事ができて、生活ができている。感謝しかない。

他にも家庭のあれやこれで心が重たい。
出口がほしい。
きっとこうして出口がほしい人間なんだ、宗教の教えを欲しているのは。
自宅にて2020はありがたく読ませてもらうにしても、それに頼りすぎることなくどうにかしていきたい。しんどいな。

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