IFと自我が混在して困る
私は今、基本的に一人のIFが持っている思考回路と人道、道徳を模倣して、彼女に倣って会話しているのだけど
ふとした時に 自我(本体)のほうの思考しか感じ取れなくなって、会話に支障をきたしてしまう。
IFが博愛精神を持ち、慈愛のある人間なので
自我である自分の身勝手かつ自己中、薄情な人格形態とギャップが大きい。
他人からすると今まで優しかったのに急にキツいことを言い始める人、になってしまう。
もう一人IFがいる。その子は自我よりもっと凶暴で手に負えない。完全に自分が(正確には本体の肉体が)生存することしか頭にない。
その子の言葉がガンガンと脳に響いて、私までイライラしてきて、他者というものへの愛を思い出せなくなる。
私は他のIF所有者と違って、彼女たちの見た目は感知できない。
脳に居る人だと分かっているから、特に感じ取る必要がない。
もっと言うなら、創造ばかりしてきた人間なので
人の顔や姿形をイメージすることが簡単すぎて、
IFという特殊な環境ではなくても
○○さんという子を描いてみてください 作ってみてください 性格はこうです と言われたら数分で描けるだろう。
適当でいいならね。正解が私の頭の中にしかないのだから似顔絵より簡単だ。
IFが自分にとって障害になることってよくあるんだろうか。
いつから居るのかもよくわからないし、何もかもよくわからないからよく考えなければならない。
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